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*** 「千代様、お茶をお淹れしました! いかがですか?」 「あら紅ちゃん、ありがとう……そこに置いてもらえるかしら」  昼下がり、椛の母である千代は窓から差し込む光を浴びながらソファに座っていた。紅は指示されたとおりにカップとお茶菓子を乗せた盆をテーブルにおくと、そっと千代の隣に座って彼女の手元を覗きこむ。 「何をされていたんですか?」  千代の手には、白いハンカチーフと針があった。紅が問えば、千代が困ったように笑う。 「もうすぐ、あの子の誕生日でしょ?」 「ああ……椛様の!」 「誕生日の贈り物を……行人さん(椛の父である)があの子に別荘をあげるんだなって言っていたから、私はちょっとしたものでいいかななんて思っていたんだけど。このハンカチーフに、刺繍をいれてあげたいと思うの」 「まあ……素敵ですね!」 「ふふ、ありがとう」  笑った千代の顔には、どこか憂いの色が浮かんでいた。紅はその心を、みてしまう。彼女が悩んでいることを、紅は知っていた。ずっと、気にかけていた。 「千代様……大丈夫、椛様は強くなりますよ」 「……あなたの「真実の目」は、なんでも見抜いてしまうのね。ねえ、紅ちゃん。あの子は、あなたになんて言っている? 宇都木の子であることに、苦しんではいないかしら」 「……苦しんでいます。椛様は、自分が宇都木の子であるから自分自身をみてもらえないのだと……思い悩んでおられます。でも……それは、まだまだ椛様が弱いから。本当に自分を愛してくれている人たちに、目を向けることができないのです。自分を見てもらいたい、その想いでいっぱいいっぱい。でも、大丈夫です。千代様は心配なさらないで。私が椛様をちゃんとみています。それに、群青だってバカで不器用だけど……椛様を支えてあげられる。大人になって、成長したら……そのときは、椛様も千代様の本当の気持ちを感じ取ることができるはずです」 「……そう、だといいんだけど。宇都木の人間として、日本国を背負っていくには、少し厳しい教えをしなければいけない。それがあの子にとって苦しくても、大人になっていくあの子のため。そう思っているのに……辛そうな顔をするあの子をみると、心が痛むの。母親として、私は間違っているんじゃないかって」  千代がうつむく。その瞳が、かすかに震えていた。紅は、そんな千代の手にそっと自分のものを重ねて、微笑む。 「間違ってなんかいませんわ。千代様は椛様のことを大切に想っている。ただ甘やかすだけが親じゃない、それをきっと、椛様もそのうち気付いてくれるはず。……千代様、針で指を二回刺してしまったでしょう。こんなに頑張って椛様のために刺繍をしている千代様が、母親として間違っているものですか」  「ね」そう言って紅は笑った。千代もつられたように、笑う。少しでも彼女を元気づけることができただろうか……普通の家庭の母親ではない千代も、平凡な母子のように椛を愛したいを思っていることを、紅は知っている。そう簡単に言葉で解決できるほど温い問題ではないが、少しでも彼女の力になりたかった。 「千代様、もうすぐ刺繍完成じゃないですか! 完成楽しみです!」 「そうね……あとはここに、花かなにかをいれたいと思うんだけど……そういえば紅ちゃん、あなた、いつもその髪飾りをつけているけれど……ちょっとそれは季節はずれじゃないかしら? もう、秋よ」  千代は紅の髪飾りをみて、不思議そうに尋ねる。紅がいつもつけている髪飾りは、桜を模したものだ。可憐で美しいが、秋に身につけるには少し季節感がないといえるもの。 「そうですね~もう桜の季節ではないですね! でも、これをくれた方が、これを付けた私をみて綺麗って言ってくれたのが嬉しくて……外せないんです。あの方のなかで、私はずっと、綺麗な女でいたいのです」 「……その方のこと……好きなの?」 「……はい。ずっとずっと、その方をお慕いしております」  微かに頬を赤らめて答えた紅に、千代は嬉しそうに微笑みかけた。そして少し考えたように視線を漂わせると、「ああ、」と何かをひらめいたように目をかがやかせる。 「そうだ、椛さんも桜が好きなのよ。小さい頃にお花見にいったとき、すごく喜んでいた。あの子が覚えているのかは、わからないけれど……」 「あら、そうなんですか?」 「ハンカチーフにいれる刺繍、桜にするわ。少しでも喜んでくれたら嬉しい」 「桜のハンカチーフですか! 椛様、きっと喜ばれます!」  千代はさっそく、針に薄桃色の糸を通す……が、はたと手を止める。「いけない、せっかくのお茶が冷めちゃうわ」と慌てたように言って、紅の持ってきたカップを手にとった。

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