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***  雨にずぶ濡れになりながら、椛は朱坂神社に辿り着いた。朱坂神社は平安時代から存在し、何度か修繕をされているものの、その時代を感じさせる小さいながらも立派な神社だった。  屋根のあるところで夜を待とう。そう思って椛は鳥居をくぐり、本殿へと近付く。そこは春になると花を咲かせる桜の木は今は葉桜となっていて、秋独特の穏やかさをもっていた。本殿からは雨の匂いに混じって木の匂いがする。椛は階段をのぼって、表からは見えない裏側へ移動した。鬱蒼と茂る木々に囲まれた本殿の裏側までゆくと、ずるずるとそこに座り込む。 「……」  雨の音が、頭の中に入り込んでくる。そうすると、不安で胸がいっぱいになった。「宇都木」の人間だからとちゃんと自分をみてもらえなかった。みてもらえない悲しさに、周囲の人々にやつあたりをした。本当は、みんなに愛されたかった。でも、自分から人を突っぱねていた。わかっているのに、ひどくひねくれてしまった心は、素直になることを阻む。  こんな自分だから。きっと、もっと素直になれて、仲を深めていれば自分を見てくれたかもしれないのに。相手が自分をみてくれない、だからこちらも相手を見ない。そして相手のせいにして。  嫌だ……自分が嫌だ。 「僕は……僕が、嫌い」 「――こんなトコで何をしとるのどすか」 「……え?」  ここには自分しかいないはず。しかし、誰かの声が聞こえてきた。……群青?いや、この声は群青のものよりもずっと甘ったるい。  は、と椛が顔をあげると、そこには知らない男が立っていた。 「……えっと、」 「ずぶ濡れではおまへんどすか~風邪をひおいやしたらどないしはるん?」  男はにこにこと笑って自らの着ていた羽織を椛にかけてくれた。  くせっけの黒髪、白い肌。目元の化粧が怪しい雰囲気を感じさせる、和装の男。話している言葉は、京の言葉だろうか。 「雨宿りをしとるん?」 「……いえ。丑三つ時を待っているんです」 「丑三つ時? なんんために?」 「……丑三つ時にここで花一匁を歌うと……あの世へいけるって」 「……花一匁!」  男は椛の言葉をきいて、なぜか嬉しそうにぱん、と手を叩いた。男の着ている着物が揺れ、裾の花がら模様がきらきらと光る。よくよくみれば男の着物は女物で、ますます浮世離れした印象をうける。 「あの世にいきたいのどすか? この世になにがご不満がおますのどすか?」 「……誰も、僕をみてくれない。それが、いやで……僕も人を傷つけちゃうから……」 「……そら哀しい想いをしたんやね」  男はしゃがみこみ、椛の肩に手を置いた。そしてにっこりと微笑んで、顔を近づける。透き通るような白い肌は、まるで人間のものではないようで……ぞわりとした。 「あの世へ連れて行ってあげまひょ。哀しいことなんてみな忘れてしまえばええ」  ぐ、と手を引かれ、椛は立ち上がる。そのまま男は歩き出し、本殿を降りてしまう。迷うこと無く鳥居に向かう彼を流石に不気味に思って、椛は立ち止まった。不思議そうに振り向いた男に向かって、椛は震える声で問う。 「ま、待ってください……連れて行ってあげるって……貴方はいったい、」 「僕? 僕の名前は濡鷺(ぬれさぎ)。妖怪どす」 「よう、かい……」  濡鷺と名乗った男は、たしかに人間とは雰囲気が違っていた。群青や紅よりもずっと、妖怪らしい。彼の周囲だけ世界が変わって見えるような、そんな雰囲気。  いよいよ噂は本物だ。それを悟った瞬間、椛は怖くなって脚がすくんでしまった。花一匁を歌ってあの世にいこう……そう思っていたのに、いざとなると怖気づいてしまったのだ。しかし、そんな椛の頬を手のひらでつつんで、濡鷺は優しく語りかける。 「どもない、怖くないわ。あの世は素敵なトコやからね。哀しみをみな忘れることがでけるよ」 「で、でも……僕がこの世から消えたらみんな心配する……」 「心配なんてせんよ。みんなあんたんトコなんてどうでもええんやから」 「……っ」  「さ」、そういって濡鷺が再び椛の手をひく。  自分が消えても……誰も心配しない。宇都木家の人たちは大いに騒ぐだろう。「跡取りが消えた」と。でも、それだけだ。「椛」という人間が消えたことを哀しむ人なんて――いない。  目の前が真っ暗になる。いらないんだ、自分はこの世には――いらない。 「さあ、「花一匁」を歌いよし。一緒に幸せん世界へいきまひょ」 ――かってうれしい花いちもんめ、まけてくやしい花いちもんめ

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