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追憶・桜の花7

*** 「ん……」 「……なんだ、目覚めんの早いですね、これから手当てでもしてやろうと思っていたところですよ」  柊の屋敷に着いて、彼を寝室まで運んだところで彼は目を覚ました。柊は傷が痛むのか、ぼんやりとした目で群青を見つめる。 「……あの妖怪は」 「もう人を襲う気力なくなったって言ってました。血塗れのあんたを運んでいたら山のふもとの人たちが驚いたような顔してましたけど……彼らがあんたに依頼したんですよね。もう大丈夫ですって伝えておきましたよ」 「……そう」 「……着物、脱いでください」  群青は桶に張ったお湯にふきんを浸し、しぼる。まずは妖怪の血肉でどろどろに汚れた体を拭いてやらなければいけない。しかし、柊はためらうように顔を伏せて従おうとしない。 「……早く」 「……いや、自分でやるから、おまえはどこかいってろ」 「背中届かないでしょう」 「いいから……あ、」  めんどくさくなって、群青は柊の着物を脱がしにかかった。激しく抵抗するかとおもいきや、柊も汚れた肌が気持ち悪いと思っているのか、唇を噛んで脱がされることに耐えている。脱がす途中で、もしかしたら見られたくない傷でもあるのかと思ったが、着物を剥いだその体は血で汚れていること以外は綺麗で、思わず息を呑むほどだった。何をそんなに脱がされることを嫌がっていたのだろうと群青がまじまじと柊の体を見つめていると、柊の肌が次第に赤く染まっていく。 「あ、あんまりみるな」 「……なんで?」 「……人に肌を見られたことがないんだよ……だから、その……見られるのに抵抗がある」 「ええ? 恥ずかしがることもないでしょう。俺もあんたも男なんだし」 「うるさいな、おまえみたいな大雑把な奴にはわからな……んッ……」  群青が構わず柊の手を掴んでふきんで肌を拭いてやると、柊はくすぐったそうに身をよじった。手を掴んでみて気付いたが、彼の体は自分よりも細く、色が白い。ふきんを肌にすべらせるたびに「ん、ん」と声を漏らされぴくぴくと動かれると、なんだか妙な気持ちになってくる。 「はい、うつ伏せに寝て」 「あっ……」  体の表側を拭き終わり、残るは傷のある背中。群青が柊を布団にうつ伏せに押し倒すと、柊は驚いたように振り向いた。群青が「大人しくしてろ」と視線で訴えると、すごすごと顔を伏せる。群青の言ったとおり、背中は自分で治療するのは難しい。黙って従うしかないと、柊も諦めたのだろう。傷口を避けて、ふきんを滑らせる。華奢で綺麗な背中だな、と思った。背筋が真っ直ぐで、浮き出た肩甲骨は色気がある。 「はい、汚れはとれましたよ」 「……じゃあ、もう部屋をでていけ」 「まだ怪我の手当てが残っているでしょうが」  相変わらず口が悪いな、と群青はため息をついた。でもこの態度にも、もしかしたら理由があるのかと思うと不思議と許せるような気がした。山神の言っていた、「そいつの抱えているものなんて、見ようと思わなければ見えない」という言葉。ちゃんと向きあえば彼の内側を知ることができるのだろうか……いや、ただ今までの態度の理由を知りたいだけで気になっているとかではない。 「ちょ、ちょっと……」 「なんです?」 「何をしている」 「何って」  群青が柊に覆いかぶさるような体勢をとると、柊が訝しげな声で抗議した。別に変なことをしようとしたわけではない。怪我を治してやろうと思っただけだ。……舐めて。 「俺の唾液は怪我を早く治す効果があるんです」 「だ、だからなんだ、まさか舐めるのか、よせ、それはいい!」 「こんな大きな傷放っておいたら苦しいですよ」 「いいって……あ、ちょっ……ん、あ……!」  群青が柊の声を無視して傷を舐めてやると、柊は過剰に反応した。もちろん、痛みもあると思う。しかし、この反応は明らかにそれだけではない。柊の口から漏れる声には、確実に艷が混じっている。 「や、……ん、ぁ……、だめ、」 「……ちょっと、あんまり変な声ださないでください」 「う、うるさ……あっ……、ん」  ……やばい、正直興奮する。  憎たらしいクソ生意気な人間……と思っていた柊が、自分の愛撫に喘いでいる。声を出さないように必死に手で口を塞ぎ、顔を真赤にして、体を震わせて。ふつふつと湧き上がる征服感は、単なる男の性だと思いたい。柊に欲情するなんて、絶対に嫌だ。  群青は色々と頭のなかに浮かんでくる、あれもしてみたいここも触ってみたい、そんな想いを封印して、傷を全て舐め終わった。柊の体を引っ張って起こしてやり、包帯を巻いてゆく。その間も、ほんのり赤く染まるうなじから目が離せなかった。 「……本当に、人に触られるの、慣れてないんですね」 「……ああ」 「……なんでですか? ちょっとくらい聞かせてくださいよ。怪我の手当てをしてやった礼ということで」 「……生意気な口を。駄犬が」  新しい着物を着せてやると、柊はちらりと群青を伺い見た。恥じらいがあるのだろうか……伏し目がちに、ちらりと見るだけだった。長い睫毛が影をつくっていて、先ほどの愛撫のせいで瞳は濡れ、頬は上気して紅くそまっている。……これはなんかヤバイ。どき、と一瞬跳ねた心臓に群青は焦燥を覚える。 「……僕は、妖怪を皆殺しにすることだけを糧に生きてきたから、人とほとんど触れ合わないようにしていたんだ」 「……!」  ぼそ、と柊が呟く。自分のことを話してくれた、そう思った瞬間、群青の頭のなかは歓びで満ち溢れた。散々冷たい態度をとられた相手だったからだ、きっと。彼のことを知りたいなんて、そんな馬鹿な。 「……その、妖怪への嫌悪はどこから来るんですか? それが一番気になってはいるんですけど」 「……僕が幼いときに母上が、妖怪に殺された。ばらばらに、無残に殺されたんだ。……元々僕は、宇都木家の次男として祓い屋になるつもりではいたけれど……そこまで妖怪を祓いたいという気持ちはなかった。でも、ある日母上が妖怪に殺された。途方に暮れる僕に、兄上がもう二度とこんな哀しみを生まないようにって……祓い屋としての心得をたくさん教えてくれた。そして、母上を殺した妖怪への恨みを糧に、祓い屋として生きろと言った。……気づけば僕は、全ての妖怪を殺すと心に誓っていた。しばらく人と触れ合う気もおきなくて、家をでてここで一人で暮らすようになったんだ」 「……その……柊様の兄上様がやれって言ったんです? 妖怪を皆殺しにするってこと」 「……いや……妖怪を皆殺しにしてやろうっていうのは僕が決めたことだ。兄上はただ、妖怪は悪い生き物だと僕に教えてくれただけ」 「ふうん……」  ……なんだか、腑に落ちない。もしも柊の兄がいなければ……柊はこんなことにならなかったのでは?そう思ったからだ。ただ全く納得できないというわけでもなく。母を妖怪に殺され、妖怪への復讐を誓い……世間から離れるようになってしまった。自分を異常に拒むのも、触れられることに過敏になるのも、彼の境遇を考えれば不思議ではない。  でも――哀しい人だな、と思った。このまま、ずっと孤独に生きるつもりだったのだろうか。復讐心だけを抱えて。 「あの――」 「……もう、いいだろ。部屋をでていってくれないか。少し気分が悪い、寝させてくれ」 「……はい」  ――この人は一生笑うことができないのだろうか。  部屋をでるときに、一度柊を顧みると……その背中がひどく頼りなさ気にみえた。あんなにも強大な力を使うことができるのに……むしろその力が憐れで儚いもののように感じた。もしも――この手で、彼を笑わせてやったら……きっと、気分がいいだろう。あのつっけんどんな表情をこの手で変えてみせたい。決して……彼を想ってなんかじゃない、ただ、好奇心のようなもの、そうに違いない。  もう少し、彼の側にいてやってもいい。心のなかで呟いて、群青は襖をしめた。

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