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追憶・桜の花10
***
「あ、柊様いたいた」
風鈴がちりんちりんとなっている。夏の夜は、虫の歌と風鈴の音が混じってとても風情がある。独特の、青草の匂いが生ぬるい空気に混じって漂ってくるのも心地よい。縁側に座って涼んでいる柊を発見した群青は、隣に座って柊の顔を覗きこむ。
「……隣に座るな」
「あ、いやいやすぐ退散しますんで」
隣に座るなと言いつつも、柊は逃げたりはしなかった。少し前にした、背中の傷の手当てのときに群青には散々触れられたため、群青への抵抗感は薄れているのかもしれない。未だ素肌に触れると怒るが、近付くだけであればあまり文句を言わないようになってきた。
「俺これから用事あるので……ちょっと出てきてもいいですか? 何かあったら呼んでくれればすぐ戻ってくるんで」
「……用事?」
「夏の祭りです。妖怪のあいだでやっているんですよ」
「……祭りって何」
「んー、酒盛りしたり踊ったり? 綺麗ですよ、灯りがたくさん集まって、すごくきらきらしている」
「ふうん……行ってくれば。僕は先に寝ている」
柊は興味なさげに、つんとしている。静かな風が、柊の髪をぱさぱさと揺らしていた。群青はそんな柊の横顔をみつめ、ふと思いつく。
「……柊様、祭り行ったことない?」
「大昔に母上に連れていってもらったくらい」
「楽しかったですか?」
「……あんまり覚えてないけど……まあ、たぶん楽しかった」
「じゃあ、一緒にいきませんか? 楽しいですよ」
「……は?」
柊を楽しいところに連れて行ったら、彼はどんな顔をするのだろう。それが気になって、群青は柊を祭りに誘ってみる。当然ながら、柊は驚いてしまったようで、目を白黒とさせていた。
「よ、妖怪の祭りだろ……いくわけないだろ、馬鹿!」
「俺といれば襲われたりしませんよ?」
「僕は妖怪が大嫌いだって言っているだろう!」
「そういうの、今回はなしで! みんな俺みたいにいいやつばっかですから」
「おまえはいいやつなんかじゃない……いや、そんなこと関係ない、僕は妖怪をみるだけで虫唾が走るんだ」
「……ねえ、柊様」
群青が柊の手に、自分のものを重ねた。柊はびくっと肩を揺らす。そんな彼を、群青は優しい眼差しでみつめ、微笑んだ。
「少しだけ……変わってみましょう。苦しいことも忘れて。きっと妖怪たちが楽しそうにはしゃいでいるところをみれば、柊様のなかの憎しみも薄れるかもしれない。妖怪がみんな、悪いやつなんかじゃないですから」
「……でも、」
「……いきましょう。……いや、一緒に来てください。俺が、貴方といきたいんです」
「……っ」
群青の言葉に、柊はきゅ、と唇を噛んだ。「一緒に来て欲しい」、こうした誘いを……柊は受けたことがあるのだろうか。柊は群青から目をそらすようにして、しばらく黙りこむ。伏し目がちな瞳を象る睫毛が、かすかに震えている。
「……つまらなかったらすぐ帰る」
「……! はい!」
それはそれは嬉しそうに笑った群青を、柊はなにか眩しいものでもみるかように、困ったような表情でみつめた。少し珍しい表情だった。
「……僕なんかと一緒にいってどうになる。仲間と馬鹿みたいにはしゃいでくればいいだろ」
「うん、まあ……そうですけど。なんか柊様と一緒にいったら楽しいかなって」
「楽しくなんかないと思う。僕はあまり話さないほうだし」
「隣にいてくれるだけでいいんですよ」
柊は俯いてしまった。髪の毛に隠れて、目元がみえない。
細い肩を抱き寄せたいと思った。その衝動は、どうにかおさえたけれど。
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