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追憶・桜の花15(2)

「妖怪を皆殺しにしはるためやけに生きた人間が……今更、どなたかを愛せるとやて思っとるん? 最高におもろい」 「う、るさい……! 僕は……あいつと一緒にいて、変わりたいって……!」 「無理や。ようすでに、あんたはんの心は壊れとるんやから」  蛇は、みたこともないくらいに大きい。幹をぐるりと何周もできるほどに大きなそれは、柊の体に巻き付いてゆく。この蛇は、恐らく妖怪とは違う生き物だ、そのため祓うことはできない。山神のときと同じだ。濡鷺が妖怪でないものを使役して、そしてそれを祓うことができないため無抵抗にやられるしかない。ただ、柊は蛇が妖怪かどうか……それ以前に、体を動かすことができなかった。濡鷺に睨まれると、蛇に睨まれた蛙のように体が萎縮して身動きがとれないのだ。妖術の類ではないだろう。濡鷺の恐ろしいほどに冷たい瞳が怖くて、動けない。 「あっ……」 「よう夢をみるんは止めなよ、柊。あんたは幸せになんて、なれへんよ」  蛇が強く体を締め付けてくる。ぎし、と骨の軋む音がする。胸のあたりを圧迫されて、息が苦しい。苦痛に顔を歪める柊を、濡鷺はただ嗤ってみていた。 「可哀想な子。愛されてみたかったんやね」 「う、……」 「僕が愛してあげようか? ねえ?」  濡鷺が柊の首筋に唇を寄せる。そして、ぐ、と歯をたてた。ちくりと痛みがはしり、柊は目を眇める。 「……あっ……!」  どくん、と心臓が波打つような感覚がはしった。さっと血の気がひく。濡鷺は蛇の妖怪……まさか、毒でもいれられたのか。 「心配しはるな。幸せになれるおまじないや」 「は……、あ、や、やめろ……」  濡鷺が柊の着物を脱がしにかかった。ぐ、と肩をはだけさせると、その肌に手を滑らせる。ぞわぞわと不快な感覚が全身にはしった。あんなに……群青には触れられたいと思っていたのに、濡鷺にこうして触れられて、怖いと思ってしまう。 「気持よおしいやあげるからね」 「やだ……、あ、あぁっ……」  濡鷺が手のひらで、柊の胸を大きく撫で回す。ずく、と走った紛れも無い快楽の兆しに柊は目を閉じた。いやだ、いやだいやだ、怖い……!体を無理やりこじあけられてゆく、他人が自分に入り込んでくる……柊にとってそれは怖くて怖くてたまらないことだった。群青にだったらされても大丈夫かもしれない……そう思っていたが、こうして無理に触れられて、それが吹っ飛んでしまった。触れられるのは、怖い。嫌だ。嫌だ……! 「ん、……う、……ぁ、あ!」  それでも、濡鷺にいれられた「毒」は快楽を生んでゆく。恐怖に震える心と反して、体は感じていた。触れられるたびにびくびくと体は跳ね、口からはあられもない声が漏れてゆく。惨めになって、わけがわからなくなって……柊は気付けば泣いていた。やめてほしいと首をふり、涙を零しながら甘い声を上げ続ける。 「はは……ちびっと肌に触れたやけでこないなになるんや。挿れられたらどないなるんかいな?」 「……っ、や、やめ……!」  それだけは絶対に嫌だ――それは、群青に初めてして欲しかった。柊が目を見開いて、拒絶の言葉を吐こうとした――そのとき。  蒼い光のようなものが目の前に迫ってきた。ずっと遠くからだ。濡鷺はそれに気付いたのか体を翻し避けたが……その光はそのまま柊にぶつかってくる。何者かが濡鷺に向かって放った攻撃、それが彼が交わしたことで自分に直撃してしまった。突然自分に迫ってきた危機に、柊はふっと「ここで死ぬ」と思うしかなかった。光はよく見たら炎だった。蒼い炎。焼死は苦しい――これからの苦痛に柊は震えたが……一向に熱さも痛みも襲ってこない。不思議に思って炎に包まれた自分の体を見下ろせば……先ほどまで巻き付いていた大蛇が炎に焼かれて死んでいた。 「……狙ったもののみを燃やす蒼い炎……ああ、犬神か」  濡鷺がふらりと振り返る。その表情は先ほどまでとは別人。感情を感じさせない、氷のような眼差し。 「邪魔するなよ……犬神」  蛇に開放されずるずると座り込んだ柊は、視界に飛び込んできた――群青に、柊は全身の力が抜けるような心地がした。そして、安心すると同時に大量の涙が溢れてきた。もう大人になる自分がこんなに泣くなんてみっともない、そう思ったが涙は止まらない。 「……群青、なんで……僕は、おまえを呼んでいないのに……」 「貴方の声がきこえたような気がしたから迎えにきました」  群青の声色は、ひどく優しかった。そのせいでまた、嗚咽がこみあげてくる。 「いやに真っ直ぐな目。真っ直ぐな愛情。なんの面白みもない。僕は君にはさらさら興味ないんだよね、犬神。せっかく愉しいところだったのに邪魔しやがって」 「今すぐ消えろ。殺すぞ」 「はっ……怖い怖い。はいはい、退散しますよ。今日はまだ「そのつもり」できたわけじゃないから」  濡鷺はつまらなそうに笑うと、再び柊を顧みる。そして耳元で囁いた。 「次に会った時は、もっとかわいがってあげる」  そして濡鷺はあっさりと消えてしまった。  群青が慌てて柊のもとに駆け寄ってくる。彼の姿をみるとほっとして、柊はまた泣いてしまいそうになった。 「柊様……大丈夫ですか、何もされていませんか……!」 「うん……大丈夫」  群青が柊を抱きしめようと手をのばしてきた。早く彼の腕に抱かれたい、そう思って柊はその抱擁を待っていたが――群青の指先が肌に触れた瞬間。 「……ッ」  咄嗟に、彼の手を払ってしまった。 「……ご、ごめん」  自分でも驚いた。触れられた瞬間、とてつもない恐怖が襲ってきて……群青の手を払ってしまったのだ。驚いたような彼の表情に、柊は罪悪感でいっぱいになった。彼は自分のことを優しく愛してくれているとわかっているのに……ぶりかえした臆病が、群青を傷つけてしまった。 「……ごめん」 「……いいえ。帰りましょう、柊様。立てますか?」  困ったように群青が笑った。柊は自力でよろよろと立ち上がって、歩き出す。手を貸したそうに、心配そうに見つめてくる群青と、目が合わせられなかった。

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