213 / 353
追憶・絶望4
***
「う……」
鳥居の奥は――全くの異空間だった。今まで神社にいたはずなのに……柊はあまりの驚きに恐怖すらも覚えなかった。
真っ赤な空、立ち並ぶ民家の壁にへばりつく肉塊のようなもの。強烈な腐臭が鼻をつく。
「ここは……」
「あの世やね」
「……あの世!? 人間の僕がどうして来れるんだ……!」
「僕が入り口を開いてやったからやよ……そないなことよりも」
濡鷺ははあ、と溜息をついた。そして、ずい、と柊に近づくと、氷のような冷たい目で柊を睨みつける。
「……おまえの見えているもの。あの世本来の姿だね」
「……っ」
急激に変化する、濡鷺の表情と口調。それに柊は本能的な恐怖を感じた。後ずさろうとしても、手首を掴まれてそれは敵わない。
「この世界はね、現世で叶わない夢を叶えることのできる世界なんだ。それぞれの人が望む世界に変化する。僕はそれぞれの人が見ている世界を覗くことができる「真実の目」を持っているけれど……おまえ、現世で叶わなかったことがないんだね。世界が変化しない。……つまらない人間に成り下がったもんだね、柊」
「……何を、言って……」
「昔のおまえは孤独と復讐心にまみれたそれはそれは可哀想な人間だった……それなのに、今は、まあ満たされちゃって。群青か? あいつに愛されたことがそんなに幸せか。可愛げがなくなったもんだ、興味失せた」
ごき、と濡鷺が首を鳴らす。言葉を失う柊に、濡鷺は追い打ちをかけるように言い放つ。
「たくさんの妖怪の命を奪ったことを忘れてした幸せごっこは楽しかったかい?」
「……え、」
「……おまえをここに連れてきた理由はわかるね。おまえを殺すためさ。妖怪を殺し回った、罰だ」
柊は固まる。濡鷺に言われて――自分が以前、妖怪を無残に殺して回っていたことを思い出したのだ。復讐心にとらわれて、妖怪を惨殺していた。何も言い返せずに、柊は唇を震わせるばかり。しかし……そんな柊をみて、濡鷺は突然笑い出す。腹を抱えて、ひーひーと言いながら大笑いしだしたのだ。
「わかってる、わかってるよ、柊。おまえはね、被害者だ。宇都木に妖怪を殺すように洗脳されていたんだろう! なぜ妖怪が悪いのか、なぜ妖怪が憎いのか……そんなこともわからずにおまえは妖怪に復讐心を抱いていた。母が殺された……物心もつかない頃に見たそれだけの光景で、そこまで人間が強い復讐心を抱くわけがない!」
「は……?」
「おまえは宇都木に操られていたんだよ! おまえの手柄を宇都木のものにするために、幼いおまえは妖怪を殺して回るように吹き込まれた! あー、どんまいどんまい! でもね、殺したのは事実だろう!? たくさんの妖怪たちからね、おまえを殺すように頼まれたんだよね、僕! べつに僕はおまえのことなんてどうでもいいよ、ただ妖怪たちの頼みを無視できなくてさ」
するりと濡鷺が柊の肩に手を這わせる。びく、と肩を震わせた柊の耳元に唇を近づけ……囁いた。
「……死ぬ前にひとつ、体をもって覚えられるね。「因果応報」ってこ・と・ば」
ず、と空気が震えた。見渡せば――たくさんの巨大な妖怪が、自分を囲っていた。
「あっ、群青はここに呼べないよ。違う世界だから」
「あ……」
気付けばするりと手足に蛇が巻きついていて拘束されていた。ぐらりと倒れこんだ柊に、妖怪たちが群がり出す。
「来世では幸せになれるといいね、柊」
強烈な痛みが全身に走る。「助けて」と、そんな言葉を吐くことはできなかった。自分も、昔、妖怪に同じことをしていたから。宇都木に操られていて……濡鷺はそう言っていたが、自分の意思で妖怪を殺していたことは間違いない。自分に助けを請う資格など、ない。
「あ、……ッ、」
宇都木にいいように扱われていたということに、全く気付いていないというわけではなかった。真柴の言動に疑問を覚えたときから……なんとなく、感づいていた。でも、この人生を不幸であったとは思わない。群青に出逢えた、群青に愛し愛された……だから、幸せだった。願わくば……群青に、別れの言葉くらい言いたかった。愛していると言いたかった。
焼け付くような痛み。妖怪たちが柊の体を少しずつ食いちぎり、嬲り、焼いてゆく。濡鷺が大笑いしているようだったが、その声はあまり聞こえなかった。
「……ぐん、じょう……」
意識が消える瞬間……桜の花の幻影をみた。桜の大木に、群青がよりかかって寝ている。近付くと彼は目を覚まして……微笑んでくれた。抱きつくと抱きしめられて、優しい口付けをしてくれた。
涙が流れた。
「群青……愛してる」
夢の中で言ったのか、現実で言ったのか。それはわからない。言いたくて言いたくて仕方なかった言葉。よかった、……最後に、言えた。
――視界が、赤に染まった。
ともだちにシェアしよう!