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追憶・絶望5

***  土砂降りの雨のなかを、必死に走った。雨水が弾いて足元がずぶぬれになったが構いやしない。 「――柊様……柊様……!」  声が、聞こえたような気がしたのだ。式神の契約とか、そんなものじゃなくて、魂に呼びかけるような切なげな柊の声が。ひどい胸騒ぎがした。群青は傘もささず、宛もなく、ひたすらに走り続ける。  雨のせいで匂いはよくわからない。だから、闇雲に走っていた。……それなのに、一際、強い柊の匂いがする場所があった。それは、神社から。通りかかった神社の石段から、強すぎる柊の匂いがした。……血の臭いがする。 「……柊、さま……?」  群青は一段一段……石段をのぼっていった。ゆっくり、ゆっくり。急がなくてはいけない……そう思うのに、脚が進まない。見たくない……そんな心理が体を動かさない。  しかし――それが視界にはいった瞬間、脚が震えた。石段に……血が伝っている。濡れた桜の花びらが、赤く、染まっている。どくどくと心臓が高鳴る。ゆっくり……ゆっくり……一段……一段……のぼって…… 「あ……」 ――その惨劇は、群青の視界に飛び込んできた。  鳥居の下に――血の海に沈む、愛する人。切り刻まれ、肉を食いちぎられ焼かれ、ところどころ内臓や骨が見えている。目を覆いたくなるようなその遺体の上に乗っている、桜の花びら。  ……紛れも無く、それは柊だった。  群青はよろよろと近づいていって、どしゃりと崩れ落ちる。 「……柊様」  青白い頬に、触れる。ひどく冷たい肌。 「柊様」  肩を掴み、揺さぶった。血が、溢れ出てくる。 「柊様、起きて」  抱き上げると、血と雨を吸った着物がずしりと重たい。だらりとずり落ちる腕には、もう力が入っていない。 「……柊様、……ねえ、柊様……」  ぼろぼろとこぼれてくる涙。こみ上げる吐き気。たしかに、柊の命がもう……ということはわかっているのに、信じたくない。 「柊様、起きてください……まだ……やってないこと、いっぱいありますよ。……ほら、春になったら桜餅をつくりましょうって、言ったじゃないですか。去年はできなかったから、今年、やろうって……柊様、……柊様、聞こえていますか……ねえ、起きてください……」  ぎゅ、と手を握りしめたいつも、そうすれば柊は嬉しそうに微笑んで握り返してくれた。……今は、全くその指は、動かない。その瞳は、自分を見つめてくれない。 「……毎朝、一番に……柊様に、おはようって言わなくちゃ、いけないんです……柊様、こんなところで寝ないで……起きて、柊様、起きてください、……起きてください、お願いだから……お願いします、……柊様、……」  うずくまる。強い雨が体を叩く。 「あ、……あ、あ……」 ――群青の悲痛な泣き声が、雨音に掻き消された。

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