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追憶・瞳4
***
「桜の花は、あまりすきじゃない」
「どうして?」
紅と話すことが、特別好きだというわけではない。それでも群青は、できるだけ紅と会話をするようにしていた。死んでしまった彼女の心を取り戻したかった。随分と勝手で、上から目線なことだとは思う。彼女がやめろと言っているなら、放っておけばいいのに。それでもあの時、泣いている彼女をみたら……本当の彼女を取り戻したいと思ってしまった。
「……私はいやしい女だから、こういう綺麗な花をみていたくない」
式神の契約のせいで、宇都木には逆らうことができない。それなら……ずっと、待っていればいい。次の世代に生まれてくる宇都木の人間までもが、紅に暴力をはたらくとは限らない。親がそう教え込もうとしているなら、それを止めてやればいい。今すぐに紅を助けてあげることのできないもどかしさはあるが、彼女を見守っていることなら自分にもできる。
「いやしい? 俺はそう思わないけど」
彼女を苦しめる者がいなくなる、そのときまでに……彼女の心を取り戻すことができたらいい。群青はそう思って、彼女に話しかける。
桜の木の下に落ちていた、枝を拾う。桜の花のついたそれを紅のもとに持っていって、彼女の耳元にかざす。
「……似合うじゃん、綺麗だよ」
「……わけわかんない」
俯いた紅の表情は、変わらない。笑ってくれたら……もっと似合うと思うんだけどな。出かけた言葉を呑み込んで、群青はくしゃくしゃと紅を撫でてやった。
「……、」
さっと春風が抜けてゆく。花びらがふわりと舞い上がって、青空へ消えていった。
『群青』
「……なんて言ったけど」
『みて、桜の花が満開だ。綺麗だな』
「……俺も、桜の花は嫌い」
群青はぱたりと縁側に倒れこんで、空を見上げる。手を伸ばせば届きそうだと――前まで思っていた空は、なんだか白黒に見える。この世界のなにもかもが、柊との思い出に彩られていた。だから、彼が死んだ今……その全てが醜く見えて仕方がない。何をみても、あの頃の幻影にきりきりと胸が締め付けられるばかり。
「……群青様は」
「群青でいい……」
「……群青は、」
横になる群青を、紅が見下ろす。黒髪が揺れて、青空の背景のなかをふわふわと踊っている。
「……さみしい、人」
「……そりゃ傷心してるからなー」
「泣いているようにみえる」
「……それも真実の目の力ってやつ?」
「……違うと思う」
「そうなの? じゃあ何」
「……わからない」
「ふうん」
紅が耳に添えられた桜の枝に手を添える。どこか哀しげに揺れた彼女の緋色の瞳を……群青は、宝石のようだと思った。
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