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追憶・瞳16
***
雨の降る夜だ。群青はいつものように皆が寝静まった屋敷をまわり、警備をしていた。近頃はすっかり妖怪も身を潜め、主に強盗など人間を捕まえる事が多い。意外と手を抜ける仕事でもなく、一応自分に課せられた仕事は遂行したいという意地によって、群青は警備を怠らなかった。別に宇都木の者が強盗に殺されたところでなにも思わないのだが……
「……?」
ふと、声が聞こえたような気がした。ここから少し離れたところのようだ。声のする方へ近づいてみれば……誰かが、うずくまっている。こんな真っ暗なところで……と思って壁についているランプをつけようとしたが、壊れているようだった。仕方なく群青は妖術の炎をつかってその人物を照らしてみると――声の主は、椛だった。
「……椛? どうした」
「……誰」
振り向いた椛は、泣いていた。この暗がり、初めて椛の前で使う妖術、そして昼間とは違う着物を着ているせいか、椛は群青を認識できていないようだ。炎を操る群青を、椛は驚いたような目で見つめている。
「……、」
外から、激しい雨の音が聞こえてくる。それに気付いた群青は、なぜ椛が泣いているのかわかってしまった。雨が、怖いのだ。柊と同じで、雨の音におびえている。用を足しに部屋から抜け出してきたというところだろうが、ランプが壊れているこの場所にきて怖くなって動けなくなってしまったのだろう。
「……椛」
――泣かせたく、ない。ちり、と心の中で何かが焦げる。椛は柊の生まれ変わり、椛はそう言われることをきっと嫌がる。でも、放っておけない。泣いているおまえを……
群青は、灯していた炎を消した。その瞬間、あたりは闇に包まれる。声を発さなければ、もう、椛は自分を絶対に認識できない。
群青は静かに近づいていって――椛を、抱きしめた。
「大丈夫……怖くない」
「……、」
びくりと椛が震えた。まだ幼い体は、すっぽりと腕に収まっている。
「……う、」
椛が群青に抱きついた。そして、声をあげて泣き始める。
ぐ、と鼻腔をつく宇都木の臭い。椛が宇都木の血をひいていても、あの下衆共とは全く違う――それはわかっているのに、この臭いを嗅ぐとあの柊の無残な死体の映像が頭に浮かぶ、復讐心が燃え上がる。
……ああ、無理だ。この子供を慰めようと抱きしめても、宇都木への恨みが椛への想いをすべて掻き消してしまう。その憎しみを振り払うことに必死になって、とてもじゃないが今腕のなかにいる椛のことなんて、考えられない。
目の前にあるのに。腕のなかに、あるのに誰よりも愛した、気の遠くなるような時間ずっと想い続けた、柊の魂があるのに。
――愛することを、赦されない。
「助けて……助けてよ、僕は独りになりたくない……!」
「ごめん……ごめんな」
正体を隠さなければ、抱きしめることすら臆病になる。絶対におまえを愛することはできないという未来が、俺をそうしてしまう。おまえを救うのは、俺でありたかったのに――
「……群青……!」
「え……」
ふと――椛の呼んだ名に、群青は瞠目した。暗闇に目が慣れて顔が見えるようになった……というわけではない。だって、椛は今、自分の胸に顔をうずめている。じゃあ、なんでわかった――
『だれでも、大切なものをみることはできるのよ』
「あ……」
なぜか、今、昔紅の言っていた言葉が頭に浮かぶ。わけがわからないと思った。
急に恐ろしくなって、群青は椛を軽く押しのけて立ち上がる。そして、逃げるように走りだす。
椛は何を見た? 俺の、心の奥に、気付かれる。絶対にそれだけはだめだ、椛を酷く傷付けることになる。関わるな、もうあいつには……!
「は……、」
自分の部屋まで戻って、群青はずるずると座り込んだ。走ったせいか……それとも、こみ上げる哀しみのせいか。息があがって、苦しい。
「助けて欲しいのは、俺のほうだ……」
こんなに苦しい想いをするくらいなら……自分の知らないところに、柊の生まれ変わりが生まれてきて欲しかった。
どうして、また自分の目の前に彼はいるのだろう。
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