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追憶・瞳17
***
――春が、訪れる。
いつものように、群青は夜の見回りをしていた。もうすっかりこの洋風の屋敷にも慣れたものだ。決まった順路を、群青は歩いてゆく。椛の部屋の前まできたところで、群青は立ち止まった。ほんの少しだけ、扉が開いていたのだ。その隙間からは、風がこぼれてくる。
ちらりと中を覗き見て――群青は固まった。
「……あ」
部屋のなかは、月明かりに満たされていた。窓が開いていて、そこから風がなかに入ってきている。そして……風と共に舞い込む、桜の花びら。昔から宇都木の屋敷にある桜の木。屋敷が改装されてからも、桜の木だけは変わらなかった。
「椛……」
昼間は、家族が厳しくてゆっくりと桜を眺める暇がない。だからこうして彼は夜に桜を見つめているのだろうか。椛も柊と同じで桜が好きなのだということに、群青は今、初めて知った。
でも、椛はひとりで桜を見ている。誰かと一緒に見た方が綺麗なのだということを、知らない。
――それは、俺が教えてあげたかった。
柊のように。群青と結ばれて、桜を美しいと知った彼のように。ひとりでみるよりも、誰かと一緒に見た方が綺麗だと、群青は椛に教えてあげたかった。でも、それはかなわない。椛を愛してはならないから。
いつ、彼はそれを知るのだろう。知ることができるのだろうか。
ただ、二人で桜をみたいなんて、そんな簡単なことが。夢物語と消えてしまう。
永遠に俺たちは、扉を隔ててでしか、桜を一緒にみれないのだろうか。
もう一度……桜を美しいと、笑って言い合うことは赦されないのだろうか。
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