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紅はトリガーにのせた指に力を込める。妖力を込めた弾丸なら、妖怪にもあたる。濡鷺の使う妖術は、万物を溶かす毒の瘴気。非常に強力な妖術ではあるが、高速で向かってくる弾丸を自分に直撃するまでに溶かし切ることはできない。撃てば必ずあたる。ただし……相手に与える傷はそこまで大きなものではない。トドメをさすには至らない。
「群青……逃げる準備! 濡鷺を仕留めるのは無理だから……ひるませたらすぐ、その出口から逃げるわ」
今濡鷺に背中を向けて逃げようとすれば、必ず後ろから攻撃されて、殺されてしまう。濡鷺を殺すことではなく、隙をつくることに全力を注がなかればいけない。
紅は、周りから聞こえる、蟲の蠢く音に顔をしかめる。大量の蟲の群れ。紅の妖術ではそれら全部を片付けることはできない。しかし、逃げるためには蟲は全て殺しておかねばならない。
「……群青、そいつら焼いて!」
「……むちゃ、言うな! 俺の体みてそれ言ってんのか! 立つのだってキツイんだぞ」
「いいから、やって! 終わって屋敷に帰ったらぶっ倒れてもいいから今は頑張って!」
「こ、このっ……」
「椛様の式神でしょう! 椛様を、死んでも守るのよ!」
「……っ、ああ、くそ……わかったよ、やればいいんだろやれば!」
群青はふらりと立ち上がった。椛は慌てて群青に肩を貸してやって彼を支える。
紅の要求はなかなかに無茶なものであるが、そうしなければここを抜け出せないことも事実。先ほどと違って、ここを逃げることのできる希望がある。最後の気力を振り絞って、群青は手をかざす――が、
「……ッ、」
ずきりと全身が痛む。これ以上妖力を使おうとしたら、意識が飛んでしまいそうだ。蟲の集まってくる音がきこえる、早くしなければ、早く……!
「――群青……!」
椛は咄嗟に手を伸ばし、群青の手を掴んだ。そうすれば、群青がはっとしたように目を見開く。そして驚いたようにつぶやいた。
「……おまえ、」
「え?」
その瞬間、群青を中心に蒼い炎が放射状に勢い良く広がっていく。炎は蟲たちを一気に焼き払い、濡鷺へも届いた。濡鷺は驚いたような表情をしながらも妖術を使って身を守っている。
「……宇都木の祓い屋め」
苦々しい表情をしてつぶやいた濡鷺は、群青の急激な力の増幅の原因を悟っているようだった。炎の勢いで生まれる風に目を眇め、濡鷺は椛を睨みつける。
「……な、なに……僕が何かしているの?」
「……ああ、「おまえ」がやってる」
「?」
椛が無意識にしていたのは――式神の力をあげる、祓い屋の術だった。もちろん、椛は祓いの力など一切使えない。しかし、この世界から抜けたいという想いが、「術の使い方の記憶」を呼び寄せた。歴代の宇都木家で最も優秀な祓い屋だった柊の記憶を。柊の魂を所有している椛は、強い想いのよって、柊の記憶を呼び覚ましたのである。
「僕が、やってるの? なんでこれを使えているのかもわからないのに」
「俺の力になりたいって思ったから使えているんだろ。この術は柊様のものだけど……あの人、この術使ってくれたことないからな、ケチだし!」
「……、」
「群青! 火力上げて!」
「……この、言いたい放題言いやがって……! やってやるよ!」
紅の呼びかけに、群青はやけになって応えた。気力を振り絞って、蒼い炎の威力を一気にあげる。
濡鷺は身を守ることはできているようだが、火柱のせいで視界が遮られ行動にでることができないようだった。紅は今がチャンスだと、銃に妖力をこめて――残りの弾丸を全て放つ。
「――く、」
「走って! 逃げるのよ!」
弾丸は全て命中。致命傷には至らずとも、濡鷺を一瞬怯ませるには十分だった。紅の叫びで、群青と椛は出口に向かって走りだす。紅もすぐに追いついて、椛の手を掴んだ。
「椛様……! 帰りますよ!」
「……うん」
椛の足が、出口に入り込む――そのとき。後ろから、凄まじい勢いで何かが飛んでくる。群青はすぐに気付いて振り返った。大蛇の妖怪。濡鷺の妖力を纏って、飛んできている。
「――しつけえ……!」
群青が炎でなんとかその大蛇を仕留め、椛と紅が傷を負うことはなかった。群青がじっとこちらを見据える濡鷺を睨みつけると、紅が手を引っ張ってくる。
「群青……はやく」
紅が急かしたが、群青は動かなかった。濡鷺から、攻撃の意思を感じなかったからだ。濡鷺はだらりと全身の力を抜いた状態で立って、不機嫌そうな顔で三人をみている。
「……出て行くなら、勝手に出て行けばいい」
「……」
「ただし、覚えておけ。この世に生きている限り……自分を囲う人間たちの醜い欲望に苦しめられ続ける。生きたいなら、それに一生苛まれるのだと――覚悟しろ」
群青は、じっと黙り込んだ。そして、濡鷺には言葉を返さずに、出口のほうへ体を向ける。
「……今まで、ずっと……俺は人の欲に苦しめられて、打ちのめされて。手に入れても手に入れてもまだ足りない、莫迦な人間たちの側にいては人生を憂いて。でも……俺にも、欲がまた生まれた。もう一度、大切な人を幸せにしたいって。生きたいって」
「……贅沢な、欲やなあ。本当に莫迦や。花は、一匁じゃ足りないっていうのかい」
「……足りねえよ。身に余るほどの幸福を、俺は求めている。その代償に、きっとこれからずっと苦しむだろうけど」
群青は、椛の手を掴んだ。はっと顔をあげた椛に微笑みかけて、言う。
「――覚悟は、できている」
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