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*** 「……あれ、ここ」  ついさっきまで、椛と一緒にいたと思う。でもいつの間にか俺は、柊様の屋敷にいた。みれば、体の傷が全部治っている。……夢をみているのだろうか。 「あ……」  縁側に、柊様の背中がある。ゆっくりと近づいていってみれば、柊様は振り向いて、俺をみあげた。 「……群青」  にこ、と柊様が笑う。なんだか、そのまま風に攫われてしまいそうな儚さをもっていた。それもそうか。この人はもう、死んでいるのだから。 「おまえ、本当に馬鹿だね」 「え、なんですか突然」 「僕と、偽物の区別、つかなかっただろう」 「……えっ」  ふ、と意地悪く笑った柊様に、俺はどきりとした。それは? どういうことだ? 「……もしかして」 「……どうだと思う?」 「……ほん、もの」  柊様は、とんとんと自分の隣を叩いた。俺は呆然としながらも、促されるままに柊様の隣に座る。やっぱり信じられなくて、俺は何も言えなかった。まさか、また幻をみてしまっているのかと、そんな可能性も捨てきれない。 「信じる信じない、それはおまえ次第。ただ僕は、群青に言いたいことがあってきただけだから」  庭には、桜の花が咲いていた。思い出の花だ……と俺はぼんやりとそれを見つめる。 「……群青。おまえはまだ、僕を愛している?」 「……はい。ずっと……ずっとずっと、愛しています」 「そっか。僕もだよ」  春風が吹く。柊様の髪が、さらさらと揺れた。なんだかその光景が眩しくて、俺は目を細めた。なぜか……ずき、と胸が痛む。 「……じゃあ、僕以外の誰かを……これから、愛せる?」 「え……?」  柊様が、俺をみつめて微笑んだ。 「僕との思い出が、ずっと群青を縛り付けているね。宇都木を恨んでいるのも、新しい人をなかなか愛せないのも。僕との思い出が、群青のなかに強く残っているから」 「ま、待ってください……そんな、柊様との思い出が俺を苦しめているみたいな言い方、しないでください……」 「いや、そんなこと言ってないよ。正直言おうか、僕は優越感を覚えている。おまえみたいなかっこいい人を、ここまで縛り付けていること」  すり、と柊様が俺の肩口に頭を擦り寄せた。どき、と心臓が跳ねる。彼が甘えるときにいつもしていた仕草。 「……でもね」 「……?」 「……みてみたいんだ。もう一度、群青が誰かを愛して、幸せそうに笑うところ。……おまえが一番かっこいいときはね、人を、愛しているときだったよ」  柊様は、俺の頬に手を添えた。その目は、優しげに細められている。 「愛は、命ってものが存在する限り永遠じゃない。別れがどうしても奪ってしまう。でも……何度でも恋をして、愛しあって、……そうやって僕達は成長していくんだ」 「……柊様」 「難しいよ。簡単じゃない。苦しいし、無様に足掻くことになるかもしれない。でもそれが、生きている証拠だから」  距離が縮められる。桜の花びらがはらはらと舞っている。 「がむしゃらに生きて。群青。そんなおまえが、一番かっこいいよ」  唇が重ねられた。俺がはっとして目を見開くと、柊様はにっこりと、太陽のようにきらきらとした笑顔を向ける。 「――僕の、世界で一番かっこいい、自慢の恋人」

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