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椛は自分の寝室へ行く前に、群青の部屋へ立ち寄った。いつでもきていい、という彼の言葉を思い出したのである。群青が屋敷の見回りをするのは0時以降で、現在は22時。まだ彼は自分の部屋にいるはずだ。
「おう、椛」
扉をあけると、やっぱり群青はなかにいて、椛を迎え入れてくれた。すでに群青は着物に着替えていて、洋風のこの部屋と不釣り合いで椛は笑ってしまった。
「どうした?」
「あ……えっと、」
笑顔がどこかぎこちない椛を心配したように群青が声をかけてくれる。椛は話をきいたばかりで混乱していて、まだ自分がどうしたらいいのかわからなかったが、とりあえず先ほどきいたことをそのまま群青に伝えてみる。
「……ああ、なるほど……結婚か。そうだよな、椛は一人息子だもんなあ……」
「……大学校を卒業してからだから、まだまだ先だけど……」
「うん。……椛は、どうしたいんだ」
「え?」
「……俺に言ってきたってことは。俺とどうしたいのか、考えたいんだろ」
動揺している椛とは違って、群青は落ち着いていた。椛は、そんな群青の態度が気に食わなかった。少し、ショックを受けて欲しい、なんて思っていたから。生きている年月が違うし群青のほうが大人だし、ということも踏まえてだ。
「……群青は? 嫌じゃないの、僕が女の人と結婚するの」
「こればかりは……俺がどうこう言えることじゃないし」
「……僕のこと……本当に好き?」
「馬鹿、好きだからこそだよ。ここで俺がでしゃばったら、おまえの将来泥沼だ。俺の勝手でおまえの未来を壊してたまるか」
「……」
大人。群青に対して、椛はぽつりと頭のなかで思った。どうして群青はそんなに冷静でいられるのだろう。自分はこんなにも動揺しているのに。群青のことが好きで好きで、ずっと彼と一緒にいたくて、それでそれは叶わないと知って悲しくて、苦しんでいる自分とは違うのだろうか。そんなにすっぱりと諦められるものなのだろうか。自分が子供なだけ?
「……じゃあ。正直、群青はどうしたいと思っているの」
「正直?」
「する、しないは関係なく……本当はどうしたいって思ってる? 本当に……僕が結婚してもいいって思っているの。僕は、本当は群青と一緒にいたいって思っているのに……」
「……本当は、ねえ」
少し悔しかった。やっぱり、自分と群青では想いの強さに差があるんじゃないだろうか。不安になって、椛は尋ねてみる。結婚は避けて通れないだろうが、それを嫌だと群青に言ってほしかったのだ。たとえばこの質問には「椛をさらってどこかへ逃げたい」とか、そんなことを言って欲しいと。
「どうしたい、か」
ばふ、と群青はベッドに横になった。そっとまぶたを閉じて、考えるように黙っている。
「……群青、」
「……い」
「え?」
「……心中したいって言ったら、どうする」
――心中。
その響きに、椛は息を呑んだ。思いにもよらなかった言葉。
「……濡鷺に殺されそうになったときも言ったよな。死を共にした二人は、来世で一緒になれる。……この世で自分のものにできなくても……何がなんでも、いつかは自分のものにしてみせる。おまえの魂を……自分のもとに、縛り付けたい」
「え、群青……」
「――引いた? 俺、結構独占欲強いから」
へら、と群青が笑った。強烈な言葉に、椛は呆然としてしまった。愛しあった恋人同士がこの世では一緒になれなくて心中した、という話は何度もきいたことがある。しかし、それを理解できたことはなかった。……でも、ここで群青に言われて――「心中」という言葉に甘い響きを感じてしまった自分は。
「まあ、でも心中なんて良くねえよ。どんなに辛い出来事も、それを乗り越えて、大人になって、いつの日か振り返った時には自分をつくりあげた大切な思い出になっている。おまえのそんな未来を、俺は奪いたくないんでね」
「……ちょっと、心中に惹かれちゃったじゃん」
「やめとけアホ。悪いね、期待させるようなこと言って。でも俺が言いたいのはそういうことじゃなくて」
ぐい、と手を引かれて、椛は群青の上にのしかかってしまった。何をするんだ、と椛が体を起こして群青を見下ろせば……彼は、かすかに切なげな表情を浮かべ、笑っていた。
「俺は、おまえが思っているよりもずっと……おまえのこと、好きだよ。……ってこと」
「……っ」
目頭が熱くなって、椛はぐっと唇を噛み締めた。
全てが思い通りにいくわけなんてなくて、人生って難しくて、……それでも、愛されるっていう幸せは手に入れることができて。添い遂げることができなくても、こんなにもこの人に愛されているという事実は変わることがない。群青からこの想いをきくことができただけでも、すごく、嬉しいと椛は思った。
「……群青、」
「……ん」
「好き……群青のこと、好き」
「うん……」
ぼろぼろと溢れ出る涙を手の甲で拭いながら、椛は必死に想いを伝えた。群青も、叶うことのない恋に自分と同じように悲しみを覚えているとわかって、安心してしまった。自分の告白に相槌をうつ群青の声が寂しそうなのが、切なかった。
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