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「ねえ、……群青、」 「なんだ」 「……だめ、かな。結婚するまで、群青と恋人でいちゃ、だめなのかな」 「……それ、結構キツイな……」 「だって……まだ群青と、僕はなにもできていない。初めて好きになった人に、好きになってもらえたのに……それなのに……なにも」 「簡単に、言うなよ。キスもまぐわいも、一回やれば終わりってやつじゃない。すればするほど……相手を欲しくなる。終わりの決められた恋愛ほど、苦しいものはないよ」 「でも……でも、僕は……!」  嗚咽がこみ上げる。まともに言葉を発することも難しくなってくる。きっと今、自分は酷い顔をしているだろうと、椛は群青の胸に顔を伏せた。ぎゅっと拳が白くなるほどに強く群青の着物を握りしめ、涙声で叫ぶ。 「……好きな人に、抱かれてみたい……!」 「……あー、」  群青がため息をつく声が聞こえた。 「……、」  言ってから、椛は後悔する。自分と群青は違うのだと、気付いたのだ。群青は失う怖さを知っている――きっと、だから群青は「終わりのある恋」を拒絶しているのに……それなのに、自分はこんなことを。群青がどんな呆れ顔を浮かべているだろう。怖くなって顔をあげて……椛は、目眩を覚えた。  群青が、こちらをみていた。静かな劣情の眼差しで、じっと。髪をかきあげ、恨めしそうに、困ったように、そんな笑顔を浮かべて……言った。 「おまえ、酷いやつだよ」 「……ッ、あ」  ぐい、とベッドの上に引き倒される。そして、群青は椛と位置を入れ替わるようにして、椛の上に乗った。椛のすぐわきに手をついて、見下ろして、はあ、と息を吐く。 「おまえは知らないだろうから、言っておくよ。……好きな人と体を重ねると、ふとした瞬間、どんな時にも、……思い出すことがある。いつまでも、その熱は体と心に残っている。……それでも、おまえは俺に、抱かれたい?」 「……抱かれたい。ずっと残っているなら……それでいい。群青と恋をした証を、ずっと持っていたい。僕は……群青に抱かれたい……!」 「……そうか。なんだよ。子供子供って思っていたのに……随分と大人びた表情するじゃん」  群青が、椛の手をとる。椛が呆気にとられてそれをみていれば、群青はその椛の手のひらに、キスをして、ちらりと椛を見下ろした。 「……俺も、おまえを抱きたいって思っちまったよ」 「あ……」  だめだ。そう思った。思った以上に、群青の「そのとき」の表情は心臓に悪い。犬なんてものじゃなくて、まさしく狼のような。とつぜんバクバクと激しく高鳴り始めた心臓に、椛は戸惑ってしまう。 「んっ……!」  唇を奪われる。今までよりもずっと情欲をあらわにしたキス。熱をぶつけるような、噛み付くような、そんなキスに椛は頭が真っ白になってしまった。服を剥がれながらする激しいキスは、椛の興奮を煽ってゆく。シーツのこすれる音がやけに耳に障る。これからはじめるんだ、という雰囲気が二人を包む。 「は……」  唇を離し、群青が見下ろしてくる。熱に浮かされた気だるげな瞳に、ぞくぞくとした。前髪の隙間から、蒼い瞳がちらりと見えて、それが自分を映している。どこから喰ってやろうかと見定めるような捕食者の瞳。そしてそれを必死に隠す、優しさという理性。群青の唇からこぼれる吐息が、やけに色っぽい。 「大丈夫だ……優しくする。いじわるとか、しないから」 「……しても、いいのに」 「はじめてはでろっでろに優しくするって決めているんだよ。だからあんまり煽るなよ」  参った、そんな群青の微笑み。きゅんとしてしまって、椛は照れ隠しをするように笑った。  抱かれる……とうとう、抱かれるんだ。嬉しくて、なんとなく怖くて。それでもこのどきどきが胸を満たしていく感じが、たまらなく幸せで―― 「――群青! ぐーんじょう! 中にいるんでしょ! 見回り! 今日あんたが先よ!」 「……」  ドンドンと激しいノック音と共に、紅の声が聞こえてきた。椛と群青は呆然としながらドアの方をみつめる。それから群青は恨めしそうに壁時計をみつめ時刻を確認して、「まだはえーよ」と言って舌打ちをした。 「……生まれ変わってもタイミングに恵まれないのかおまえは……」 「? なんのこと?」 「……いや、こっちの話」  群青ははあ、と溜息をついて椛の上に倒れこんでしまう。紅の「ちょっとー!」という怒ったような声が聞こえてきて、群青は「ちょっと待ってろ!」と怒鳴り返していた。 「あ、あの……群青。い、いつ……できそう?」 「……焦る必要なんてねーよ。大学校卒業まで時間あるんだろ」 「……それは、」 「……期間限定の恋でも、すっか。きっと後から辛いぜ」 「うん……わかってる」 「……キツイってわかってる恋愛も、まあ……悪くねえかな」  ――そういうのも、燃えるんじゃない。そう言って群青は椛に口付けを落とす。 「はあ……せっつねー……」  立ち上がった群青は、よれた着物を直しながら、ふざけたようにそう言った。椛も笑い返してみたが、やっぱり、切なかった。

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