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「あ、ああああの……命だけは……ほんと、義父さんが哀しむんで、やめてください」 「え? まさか、殺さないよ。むしろ俺はもう人間を殺したくないから君を連れてきてもらったんだけど」 「お、俺を死なない程度に拷問するつもりですか! お願いしますやめて、俺そういう性癖もってないから!」 「え? え? なに? ねえちょっと、ベリアル! メルに説明してあげてよ」  錯乱するメルに、ノアは焦ったような表情を浮かべた。声をかけられたベリアルは、すっとノアの隣について静かに話はじめる。 「メル様。貴方をここに連れてきた経緯について、私から」 「は、はい……」 「……公爵はヴァンパイアです。人間の血を吸わなければ生きていけません。そのため、今まで何人もの人間をここに連れてきて、血を吸っていました。しかし、公爵の欲する血の量は多いのです。ここに連れてこられた人間は、すべて失血死してしまいました」 「し、失血死……あの墓……」 「公爵は決して残忍な性格をしていない。自分が生きるために人間を殺さなければいけないことに、心をいためていました。そんなとき、悪魔たちの間で噂になっていたのです。赤ずきんと呼ばれる人間が、『エンジェリックジーン』を所有していると」 「……えんじぇ……え?」 「それを所有している人間の血は、ヴァンパイアに与える満足感が普通の人間の数百倍あると言われています。つまり、失血死するまで吸わなくても公爵は生きていける。赤ずきん花嫁にむかえてそばにおいておけば、血を欲したときに少量の血をもらえます。そうすればこれから人間を新たにさらって殺す必要もない。そういうことです」  ベリアルが話している間、ノアはしゅんとした顔をしていた。自分が今まで殺してきた人間のことを考えていたのだろうか。    ……が、彼らには悪いがメルにその望みを叶えることはできない。なぜなら、 「あの、何回も言っているんですけど俺は赤ずきんじゃ……」 「ごめん、メル! そろそろ俺血が欲しいんだ! 吸わせてくれ!」 「はっ!? ちょっ、話を聞けよ!」  メルは赤ずきんじゃない――ということは彼らに伝わることがなかった。ノアはそのまま、メルの首筋に噛み付いたのである。 「あっ、……」  ちく、と小さな痛みがはしると同時に、ぎゅうっと血を吸われる嫌な感じがした。きん、と頭が締め付けられて、血が身体から抜かれていっているというのがわかる。なるほどこの吸血鬼、血を吸う量が多い。じゅるじゅると吸われ続けて、メルは苦しさを覚え始めた。 「……あれ?」  ようやくメルの首から唇を離して、ノアはきょとんとした顔を浮かべる。開放されたものの、大量に血を吸われたショックと、なぜか沸々と身体の内側からこみあげてきた熱に浮かされて、メルはぼーっとそのノアの顔をみつめることしかできない。 「……本当に君エンジェリックジーンもってる? 血、普通の味だけど」 「……だから、……俺、赤ずきんじゃない、ってば……」 「……えっ!?」  メルの返答に驚いたのはノアだけではなかった。ベリアルも後ろのほうでぎょっと目を瞠ったのだ。ベリアルは焦った表情を浮かべながらつかつかと歩み寄ってきて、ぐったりとしたメルに掴みかかる。 「……貴方、エンジェリックジーンを所有していないって本当ですか!?」 「だから、そのエンジェルなんとか、とかいうの? 知らないって……俺、普通の人間だから……」 「な、なんですって……!」  ベリアルががく、とうなだれた。散々違うって言ったのに聞き入れなかったおまえたちが悪いんだろ、とメルは苛立ったが、口答えなんてすれば何をされるかわからない。ぐっと文句を言いたくなるのをこらえていれば、ベリアルが突然、メルに向かって頭を下げる。 「……申し訳ございません、メル様」 「……え、い、いや……いいです、返していただければ俺は大丈夫なので」 「……残念ながら、それはできないのです。メル様は、花嫁にならなければいけません」 「え? な、なんで? 間違いでしょ? 本物の赤ずきん探してくださいよ、俺が公爵の花嫁になったところで誰の得にも……」 「いえ。それが……」  ベリアルは心底申し訳無さそうな顔をしていた。そして、ちら、とノアを横目で見つめる。なんだろうと思ってメルもベリアルの視線を追うようにしてノアをみつめたところで――がく、と衝撃が身体に走った。 「――メル! なんって可愛いんだ! メル、大好き!」 「……は?」  ノアがものすごい勢いでメルに抱きついてきたのである。突然のことに固まるメルに、ベリアルがため息をつきながら、言う。 「……公爵は、血を吸った人間に惚れる体質をしているのです」 「んなっ……」  ベリアルの言葉にメルはあんぐりと口を開ける。……つまり今、自分はこの吸血鬼に惚れられているということだ。ぎゅうぎゅうと抱きついてきては好き好き言ってくる彼は、今自分に恋をしているらしい。 「だ、だから花嫁になれって!? 嫌なこった、惚れられて殺されるなんてたまったもんじゃねえ!」 「あれ、メル……君……」 「あ!?」 「さっき噛んだところの傷……治ってる?」  ノアがメルの首筋を凝視して、ぼそりと呟く。言われてみればほんの少し感じていた痛みがひいている。 「……なんか俺の体、治癒能力が高いみたいで……」 「……治癒? じゃあ血液の量とかもすぐ復活するのかな?」 「た、たぶん……今、あんまりふらふらしていないし……」 「……! じゃあ! いっぱい血を吸っても死なないよね!?」 「……は?」  たしかにそうかもしれない。異常な治癒能力は失血すらも回復するようだ。失血のせいでふらふらとしていた頭もすっきりしてきている。しかしだからと言って四六時中血を吸われる生活なんて絶対にしたくない。  ほら……ベリアルも呆れたような顔を…… 「メル様……どうか公爵の花嫁に」 「ちょっ! やだ! 絶対に、やだ!」 「血を吸われても死なないということですし、このまま結婚していただければ公爵はもう、人を殺さずにすみます。血を吸われるとすこし体に不具合が起きると思いますが、まあ、大丈夫でしょう! ということで、ご結婚おめでとうございます!」 「アンッ!? ざっけんなよ、俺は可愛い嫁さんもらって子供産んで孫の顔を義父さんにみせるって決めてんだよ! っていうか魔族と結婚なんてやだ! 魔族は神様の敵であって、……おい、きいてんのかよ! っていうか不具合ってなに!? ベリアル、おい、ベリアル出て行くなー!」  ノアを引き止めてくれるという期待をあっさりと裏切って、ベリアルは深々を頭を下げると、にこっと笑ってそのまま部屋を出て行ってしまった。  絶望に打ちひしがれ、メルは硬直する。  これは本当にマズイ。逃げることなんてきっとできないし、たぶんこのままこの吸血鬼の花嫁にされてしまう。終わった。俺の人生終わった。  あわあわと今にも泣きそうな表情を浮かべるメルを、ノアは不思議そうにみつめる。なぜメルがショックを受けているのかわかっていないようだ。ノアはうーん、と悩んだように唸ったのちに、メルの手を掴んで立ち上がる。されるがままにメルは引きずられていって、そのままベッドの上に放り投げられた。

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