304 / 353

18

***  帰宅すれば、トレーシーがいつものようにメルを迎えてくれた。朗らかな笑顔をみて、メルは首をかしげる。本当に彼は昔、冷たい人だったのだろうか。 「あの……義父さん」  問いただしたいわけでもなく、メルはただ彼のことを知りたいと思った。恐る恐る、ベリアルからきいたことを尋ねてみる。昔はエクソシストだったのか、そして他人から冷たい表情と言われるような人物だったのか。そうすれば、トレーシーは焦る様子もなく、「とうとう聞かれたか」といった顔をして笑った。 「そうだよ。私はエクソシストだった。……隠していたわけじゃないんだけどね、今はもう悪魔祓いをやっていないから」 「……どうして、もうやってないの」 「……悪魔祓いをすることで、私の心がどんどん冷たくなっていってしまったからだよ」 「?」  トレーシーがメルに紅茶を淹れてくれる。穏やかな彼の声色のせいか、初めて聞くトレーシーの過去の話にも、緊張すること無くメルは耳を傾けることができた。  トレーシーの親は、悪魔に殺された。トレーシーがまだ年端もいかないころのことだった。  親を亡くし、トレーシーが預けられた先は遠い親戚の家。意地悪な人たちばかりで、いつも彼らに虐められる日々を過ごしていた。悪魔への恨み、恵まれない環境――トレーシーの精神がすり減っていくのは必然とも言える状況だった。  エクソシストとして悪魔を狩り始めたのは、15歳のころ。悪魔への憎悪を糧に退魔術を学び続けたトレーシーは、あっという間に腕のたつエクソシストとして有名になってゆく。しかし、エクソシストとして悪魔を狩るようになってからというものの、トレーシーの心は更に病んでいった。有名になったトレーシーに対して手のひらを返して甘やかしてくる家の者たちへ辟易したし、そして悪魔を殺すことへ快感を覚え始めていたトレーシーは人間らしさというものを失い始めていた。  ――しかし、転機が訪れる。トレーシーが19歳のころ、一人の神父と出逢った。妻と子を失ってから神父として神に使えるようになった彼の名はオリヴァー。もう彼は老人といってもいい年齢だった。 「オリヴァーは、私を初めてみたときに、涙を流した」  冷たい目をもつ人間・トレーシーが、どんな人生を歩んできたのか……オリヴァーは悟ったのだろう。はたまた、恨みのみが満たすトレーシーの心から聞こえる、からからとした空っぽの音に、自身の妻と子を失った空虚な心を重ねたのかもしれない。オリヴァーはトレーシーに、自分のもとに来るように言ったのだ。自分のもとで、一緒に暮らさないかと。悪魔を殺すことに生き甲斐を感じるような哀しい人生を送らないでほしいと。  ……それからの生活は、穏やかなものだった。幼いころ、家族が生きていた時と同じ暖かさをもつ生活。始めは悪魔を狩らないと気がすまないとオリヴァーに反発したトレーシーも、彼の優しさに触れていく内に、少しずつ心の中の氷が溶けていった。オリヴァーが寿命で亡くなるころには、彼と同じように神に仕え、そして彼の死に涙をながす心を持っていた。 「オリヴァーが亡くなって悲しみにくれていた私の前に現れたのがおまえだよ、メル。親のいないおまえをみつけたとき、私はおまえに昔の自分を重ねた。オリヴァーのようにおまえに愛情を注げたなら、私のように幸せな人生を送ることができるんじゃないかと信じたんだ」  ――トレーシーの話を聞き終えたメルは、なんだか気分が軽くなったような心地を覚えていた。トレーシーは自分がオリヴァーにしてもらったように、メルにも愛情を注ぎたいと、そう思っている。ひたすらに優しいトレーシーの、その優しさの根底を知ることができて……メルはトレーシーをより身近な人物に感じることができたのだ。 「……義父さん、教えてくれてありがとう」  メルは、自分の親のことを覚えていない。親がいなくなったのはメルが物心がつく前のことで、気付けばメルはトレーシーのもとで育てられていた。……だから、メルにとってはトレーシーが本当に親そのもので、彼自身に自分の過去を教えてもらうことができて嬉しかった。  ベリアルからトレーシーのことをきいたときには驚いたが、結果として良かったと思う。自分が本当に愛されているのだと、再確認もできたのだから。  その日メルは、久々にお休みなさいのキスをトレーシーにした。大きくなってからは恥ずかしくてできなかったが、愛してくれてありがとうという気持ちと、その愛を返したいという気持ちをこめて。

ともだちにシェアしよう!