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***  ノアは応急処置を施して、酒場の裏にあるマスターの部屋に運び込まれた。ノアが魔族ということもあって大事には至らなかったが、とりあえずは安静にさせておこうとのことだ。ノアがずっと人間界にいればそのうちベリアルが迎えに来るだろう。それまでのあいだ、メルはつきっきりで看病をしていた。 「あ、あのさ、これ」  傷もふさがりはじめ、ノアが元気を取り戻したころ。ノアが寝ているベッドに、メルが食事を運んでくる。たくさんの具をつかったスープだ。 「それ、どうしたの? マスターの奥さんが作ってくれたの?」 「ううん、俺がつくった……」 「メル料理できるの!?」 「と、義父さんの手伝いとかよくやってるから! 料理できて悪いかよ!」 「まさか。すごいなあって」  メルはノアにスープの乗ったお盆を渡して、ベッドの側に設置された椅子に座る。魔族の味の好みが全くわからなくて、とりあえず身体に良さそうなものをつくったが……ノアの口に合うか不安で、メルは心配そうにノアをみつめていた。そんなメルの視線に気付いたのか、ノアはふっと微笑む。 「……メル、ありがとう。すごく嬉しい」 「……う、うん」  メルがかあっと顔を赤らめると、ノアがにっこりと笑った。スープを口に運んで嬉しそうに咀嚼している様子に、メルの不安がほどかれてゆく。 「……ノア。俺のために、傷ついたりするなよ……」 「んー、気をつける」 「気をつけるじゃなくて……! 俺だって、ノアが傷つくの……嫌なんだからな……!」 「……!」  メルの言葉に、ノアははっと驚いたような顔をした。そしてにやにやと笑ってみせる。「なんだよ」とふくれるメルは、恥ずかしげにノアから目を逸らしていた。  そのとき、窓からばたばたと音がした。はっとしてそちらをみれば――ベリアルが慌ててすっ飛んできた様子で窓から中に入ってきていた。彼は部屋にはいるとふうと息を吐きながら息を整え、ノアのもとに歩み寄ってくる。 「まったく人間の世話になるとは情けない……」 「ご、ごめん」 「夜には帰りますよ、伯爵」  ベリアルは呆れ顔でノアを叱っていた。しばらくそんな様子をメルは眺めていたが、ふと、ベリアルがぎょっと目を瞠らせた。どうしたんだろうとメルがきょとんとしていれば……ベリアルはノアが持っていたスープの容器を覗き込む。 「……これは?」 「え? ああ、メルがつくってくれたスープだよ」 「……人間の料理? 完食したんですか?」 「……うん」  ベリアルがあんまりにも驚いた様子でメルのつくった料理についてノアに問い詰めているものだから、メルは不安を覚えてしまう。もしかしたら、魔族にとって人間の料理は身体によくないのかな、なんて。しかし、そんなメルの心配をよそにベリアルは感心したような声をだす。 「……よく、全部食べましたね。土の味がする食べ物なんて私にはとてもじゃないけれど食べられません」 「……土の味?」  ベリアルの言葉に、メルは首をかしげる。もちろん土をいれてなんかいないし、味見もしたから不味いなんてことはないはずなのだか…… 「メル様は知らなかったのですね。私たち魔族にとって、人間のつくる料理は土の味しか感じることができないんですよ」 「……えっ」 「好物……伯爵なら人間の血になりますが、それ以外の食事はとてもじゃないけど不味くて食べれたものじゃない。伯爵……貴方って人は」  ――魔族は味覚が人間とはまるっきり違うらしい。それを知らないでとんでもない不味い料理をノアに食べさせてしまったことにメルがショックを受けていると、ノアがあわあわとしながら「しーっ」と唇に人差し指を当てている。 「べ、ベリアル! せっかくメルがつくってくれたのに」 「え?」 「味なんて関係ない! メルがつくってくれたってだけで嬉しくて……だから全部食べれたよ。俺のためにメルが一生懸命つくってくれた料理だもん」  呆然とベリアルがしている横で、ノアは笑ってみせた。しょんぼりとしているメルの手をとって、嬉しそうに微笑みかけてくる。 「……ノア、」  土の味がする料理なんて、考えるだけでも気持ち悪い。よくそんなものを文句も言わずに笑顔で完食したな、と思うとメルは泣き出してしまった。ノアは本当に、自分のことを愛してくれているのだと思うとぎゅっと胸が締め付けられた。 「ごめん……知らなくて、変なの食べさせて……」 「変じゃないって! 本当に嬉しかったよ、メル! 泣かないで」 「……のあ、」  ああ、もう、どうしようもない。こんなにも自分を好いてくれている優しい吸血鬼のことを、どうしようもなく……俺は、好きなのかもしれない。よしよしとしてくれるノアの胸に飛び込みたい。大好き、ノア、大好き。そんな想いがふつふつと湧いてきて、メルはさらにぼろぼろと瞳から涙を溢れさせたのだった。

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