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「悪魔に襲われたって……大丈夫なの、メル」
「……大丈夫、怪我とかないから」
「ふうん。ならいいや。でもその悪魔のせいで堂々とメルに会えなくなっちゃったなあ、残念」
ベリアルのことは黙っておこうと思った。変に問題をこじらせたくなかったからだ。それになにかあったなら、彼の主人であるノアが真っ先に気づくだろう。
ほんの少し昨夜のことを思い出してメルは笑顔を強ばらせたが、目の前できょろきょろと自分の部屋を見渡しているノアをみたらまた元気になった。ノアは物珍しそうにメルの部屋を眺めて、にこっと笑う。
「いい部屋だね」
「ありがと」
「堂々と会えないから……この部屋でメルと会っていることは、二人だけの秘密ってことになるね。ちょっとどきどきしない?」
「……馬鹿じゃねえの」
「えー」
わずか、トレーシーへの罪悪感を覚えたが……ノアは人に危害を加えるような魔族ではない。こっそり会ってもべつにいいだろうと、メルは特別気にすることはなかった。
ベッドに座って、だらだらと話をしたりする。メルの部屋は殺風景なほうで、あまりものが置いていない。そのせいかノアはすぐにメルの部屋に慣れて、すっかりくつろぎモードに入っていた。隣に座るメルの腰に手をまわして、遠慮なしにくっついてくる。
「メルー」
「んっ……わ、」
ぼふ、と音を立てて二人はベッドの上になだれ込んだ。ぎゅっと抱きついてきて首元に顔をうずめてくるノアの頭を撫でて、メルは笑う。
「やたら今日ベタベタしてくるな」
「んー……」
「なんかあった?」
「……昨日怖い夢みたから」
「怖い夢?」
そういえば自分も変な夢をみたな、と思ってメルは片眉を上げる。怖い……というほどでもないが、リアルな夢で、妙に記憶に残る夢だ。ノアもみたのか、と思うとなんとなく心がざわついてしまう。
「……昔の夢」
「昔の夢? 実際にあったこと?」
「そう、俺が子供の頃の夢」
ごろ、とノアはメルの上から退いて、息のかかる距離でじっとメルを見つめてきた。少しだけ震える瞳。よっぽど、その夢――昔の記憶はノアにとって怖いものだったのだろうか。
「そうだ、メルにまだ言っていないこともあったし……きいてくれる? 俺のこと」
「……うん」
「……俺ね、人間と悪魔の混血なんだ」
「混血?」
「母親が人間で、父親が吸血鬼」
人間、と言われてメルはノアの顔をじっと覗き込む。言われてみればたしかに、顔立ちは整ってはいるがベリアルのように悍ましいほどに美しい顔、というわけではない人間らしさがある。瞳の色は茶色で、見ていても怖いくらいに吸い込まれてしまう、とまではいかない。教会の結界を簡単に抜けてきたのも、もしかしたら半分が人間だからだろうか。
「母さんは人間だから、父さんよりもずっと早く年老いていった。それでも、父さんはずっと母さんを愛していたよ。おばさんになった母さんを、父さんはいつまでも愛していた。いい、家族だった」
「うん……」
「……でも、ある日……母さんが死んだ。殺されたんだ、人狼っていう種族の魔族に」
「人狼?」
「俺達吸血鬼が人の血を主食とするように、人の肉を主食とする魔族だよ。やつらは、俺の母さんを食らったんだ」
はあ、とノアがため息をつく。憂い気な瞳は、普段のノアよりもなんだか悲しげで。
「内臓が散らかった母さんをみちゃってさ、父さん、狂ったんだ。母さんを殺した人狼をめちゃくちゃに殺しちゃった。まあなんか……その人狼にも子供がいたらしくて、俺と歳が近かったからかな……その子供だけは殺さなかったけど。でもおかしくなった父さんは、人狼を殺したあと、母さんを追うようにして自殺しちゃった。俺のこと置いていっちゃった」
「……」
「みていたんだよね、全部。幼かった俺の目の前で、それらは全部起きた。俺、人間の血が混ざっているからさ、変に感性も人間に近くて。その光景が今でもトラウマになっているんだ」
ノアがメルの胸元に擦り寄ってくる。考えただけでも怖いなあ、とメルは思っていた。幼い頃に目の前で母親が喰われたあげく父親は自殺……自分だったら、きっとおかしくなっている。
「毎日のようにそのときの光景がフラッシュバックして、眠れない夜が続いていた。死にたいとも、思っていた。でも……そんなとき、あいつが俺のところにきたんだ」
「あいつ?」
「……ベリアル」
「――ッ」
ベリアル、その名前を聞いた瞬間、メルは血の気が引くのを感じた。得体のしれない悪魔。初めて会った時は悪い印象を抱いたりはしなかったが……昨日の一件で、メルは彼の存在に疑いを持ち始めていた。
「ベリアルは……俺を餌のように思っていると思う。幼い時に親の凄惨な死に様をみて……それから、俺の体質――血を吸った相手を好きになるっていう、それのせいで、生きるためには否が応でも好きな人を殺さなくちゃいけなくなる……そんな、俺の悲劇性を愉しんでいる」
「あいつ……」
「でも……俺、ベリアルのことは突き放せないんだ。一人で怖くて怖くて……そんなときに、あいつは一緒にいてくれたから。そんな優しさも、あいつにとってはただ、俺に甘い蜜でも与えているつもりなんだろうね、俺を踊らせて嘲笑って愉しむために。俺はそれをわかっているけど……でも、離れられない。あの悪魔に……依存している」
「……ノア。ベリアルから……離れられないの? なんか……あいつ、危ないっていうか……」
「……」
昨夜は自分を襲ってきたし、ノアのことをどうやらオモチャにしているみたいだし。メルはベリアルがそばにいるということに、嫌悪感を抱き始めていた。しかし、ノアはメルの問には答えない。哀しそうに目を細めただけだった。離れられるなら、とっくに離れてる――そんな声がきこえたような気がした。
「やばいかなって、俺も思っているよ。だから、今日はこんなに早く、メルのところにきたんだ」
「?」
「いつもは……悪い夢をみたら、ベリアルに縋るんだけどね。今日は、メルのところにきた。ね、メル」
する、とメルの頬にノアの手のひらが滑る。どき、とメルの心臓が高なった。
「……メル、なぐさめて」
メルの瞳が震える。淡く微笑んだノアに覆いかぶさって、メルはノアにキスをした。
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