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「伯爵」
「う、わ……」
シャワーを浴びおえてぼんやりとしていたノアに、ベリアルが声をかける。ノアは完全に別のことに意識がむいていたようで、突然声をかけられたことに酷く驚いてしまったようだ。ノアの視線の先には、棚に飾ってある一枚の写真。笑顔で写っている、両親の写真だ。
「伯爵。親を殺した人狼を、憎いと思っていますか?」
「……まあ、そりゃあ。でも、死んだじゃん。お父様が殺した」
髪をタオルで拭きながら、ノアは淡々と答えた。写真を見つめる水滴に濡れた瞳はどこか憂げだ。親が死んだのはもう物心がついたときだったから、両親の愛情をしっかり感じていたし、だから死んだときには酷く哀しかった。人狼を憎いと思ったが、もう憎む相手はいない。
「伯爵、知ってます? 人狼ってそこらへんの悪魔よりも強い邪気を持っているんですよ」
「……へえ? そうなの?」
「人の肉を喰らいますからね。人間の怨念が体に蓄積していっているのです」
「なるほどねー」
「……ですから、並大抵のエクソシストなんかには祓えない。伯爵、私の言いたいことはわかりますか?」
「……? いや?」
にこにことして問いかけてくるベリアルを、ノアは訝しげに見つめた。ベリアルがこのように笑っているときは……大抵良くないことを考えているときだ。
「伯爵のお父様が見逃した、人狼の子供がいるでしょう? ソレ、もしかしたらまだ生きているかもしれませんよ」
ベリアルの言葉に、ノアが固まる。濡れた髪の毛から、ぽたぽたと水滴がたってゆく。
「……だから?」
「親の仇の子供です。貴方は放っておくのですか?」
「……子供は、関係ないだろ……人狼だとしても、その子が俺の親を殺したわけじゃあ……」
「貴方と同じ悲劇に誰かが見舞われるのだとしても? 人狼である以上、人を喰わねば生きることはできないのですから、今日もどこかで人を喰っているかもしれない」
「……俺に、どうしろって?」
回りくどい言い方をしてくるベリアルに、ノアも苛立ち始めた。しかし……ベリアルの言いたいことは、なんとなく察している。並大抵のエクソシストでは祓えない、つまり……
「俺にその人狼の子供を殺せって?」
「いえ、頼んでいるわけではありませんよ。あくまで判断は貴方に任せます」
「……殺せっていってもそいつの容姿も居場所も、よくわからないし。殺せるかどうかは、わからない」
いくら仇だからといっても、殺生は気が向かない。ノアはそういう性分だ。ため息をつきながら写真から目をそらし、タオルでがしがしと頭をかく。ベリアルはそんなノアの背中をみつめ、にっこりと人形のような微笑みをたたえていた。
「――案外近くにいるかもしれませんけどね」
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