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屋敷に連れてこられて通されたのは、食堂だった。長い机の真ん中に座らされて、ベリアルもその向かいに着席する。メルが座ると同時に、カシャカシャと音がして……振り向けば、骸骨がメイド服を纏って食事を運んできていた。骸骨がメルの前に、水の入ったグラスとステーキののった皿を置いて行く。
「メル様……また、お美しくなられましたね」
「……それやめろ」
「ふふ。そうですか。では早速お話をしましょう。とある魔族についてのお話です」
にこにことベリアルは笑う。そして仰々しく「どうぞ」と食事をメルに促した。ベリアルの前には飲み物しか置いてなくて、自分だけ食べるというのも気が引けたが……仕方なく、メルはグラスに口をつける。
グラスに入っていたのは、ただの水だ。しかし、それは助かった、といいたい。酒やジュース等、味の付いた飲み物はメルにとって泥水の味しかしないのだから。今のメルにとって一番美味しい飲み物は水だった。一口、飲み込んでメルはナイフとフォークを手に取る。小洒落た盛り付けをされたステーキに切れ目をいれて、小さく切って口にいれると……不味い。やはり、想像はしていたが変な味しか、しない。
「あるところに……人狼という種族の魔族がいました。彼らは人を食らって生きる魔族で、人間の肉以外は食べることができません」
メルは肉を水で流し込む。噛めば噛むほど肉汁が口の中に溢れ出て、その肉汁がまた泥のような生臭い味がするのだから、はやいところ飲み込まなければ吐いてしまいそうになったのだ。
「ある日人狼は……一人の女性を食い殺してしまいました。しかし、その女性を食べてしまったのが運の尽き。女性の旦那様はとても強い魔族だったのです。怒り狂ったその魔族の旦那様……人狼を惨殺してしまいました。しかし、人狼の子供だけは見逃したのです。なぜなら、自分の息子とその人狼の息子が同じくらいの歳だったから。息子と人狼の子を重ねてしまった魔族の旦那様は、人狼の子を殺せませんでした。……しかし、狂ってしまった旦那様。そのまま、自分の子供を置き去りにして自殺してしまったのです」
あれ、この話は……メルは不味い肉にはもう手をつけることなく、水だけを飲みながら話を聞いていた。ベリアルの話に出てくる魔族というのは、もしかしてノアの親の話じゃないのか――そう思った。メルが興味を持ったようにベリアルをじっと見つめたところで――ベリアルはニコッと笑う。
「メル様。お食事はお気に召しませんでしたか?」
「えっ……あ、えっと、」
「そちらのお肉は、とても質の高い牛の肉を使ったステーキでございます。しかし残念ながらメル様のお口には合わなかったようですね。次のお料理を持って来ましょう」
ベリアルが話を中断して、チリンチリンとベルをならす。そうするとまた骸骨のメイドが現れて、食べかけのステーキをさげてしまった。そして代わりにまた、料理ののった皿をメルの前に置いて行く。
「……」
それも、ステーキだった。ステーキなんて何を食べても今のメルには同じ味しかしない。味覚がおかしくなっているのだから。メルは気が乗らなかったが、しぶしぶ料理に手をつける。水で流し込めるように、少しだけ切り分けて舌の上に運んで行く――
「……!」
――美味しい。先ほどの吐き気を催すような不味さとはまるで違う。この肉は、口にいれた瞬間からじわっと旨味が広がっていって、噛めば噛むほど溢れ出る肉汁はほどよい脂身があって……美味しい。身体が喜んでいる、そんな感じがする。
「……そちらのお肉はメル様のお気に召したようですね、良かった」
「……」
「話を戻しましょう。その、生き残った人狼の子供のことです」
ベリアルの微笑みが、相変わらず不気味だ。ひやっとするものを感じながら、メルは肉を口に運び続ける。
「生き残った人狼の子供は、子供でありながらもやはり人間の肉を食べなければ生きていくことができません。しかし、子供であるがゆえに、狩りができない。時々人間の子供を奇跡的に仕留めて食べる、そのときしか食事はできませんでした」
「……へえ」
「飢えも限界にきていたのでしょう……ある日、子供は人間の大人に襲いかかりました。人狼の子供は必死でした。なんとかその人間を仕留めることができたものの……酷く疲れてしまったのでしょうね。殺したあともぐったりと、その場に倒れこんでしまったのです」
ステーキを半分まで食べ進める。久々のまともな料理だったから手が止まらない。自分が食い意地がはっているような気がしてなんだかいやだったが、今までろくに食事ができなかったのだから仕方ない。
「さて……ここで新たなる登場人物です。その人狼が生きる森の近くに、一人の男が住んでいました。悪魔に親を殺され、預けられた先の親戚の家で酷い虐めにあい、心の疲弊しきった男。憎しみの気持ちを糧にとても強力なエクソシストとなったのちに、心優しい神父のもとで暮らすことになり、徐々にその腐りきった心に人間らしさを取り戻していった。自分に良くしてくれたその神父が亡くなったあとは、自らも神に仕える身となりました」
「……ちょっとまって、それ、義父さんのこと? なんで今その話……」
突然のトレーシーの話に訝しげな表情を浮かべるメルに、ベリアルはにこりと笑うだけ。黙ってきいていなさい、そんな風だ。
「男は……ある日、その倒れている人狼の子供を発見しました。人間を殺した直後でしたから、血塗れで酷い有様です。飢えも相まって、きっとその子供の姿は酷く悲壮感に満ちていたでしょう。男はそんな人狼の子供を……昔の自分と重ねた。そして、彼(か)の神父がしてくれたように、この子供を自分の手で救いたいと、そう思った」
「えっ……ちょっとまって、」
「しかし人狼の子供など普通に育てられるわけがない。人を喰わせねばなりませんからね。そこで彼が行ったのが――エクソシストの使える術の境地……魔族のもつ「魔性」を封じ込める秘術です。魔族を人間に変える、そんな奇跡的な術をエクソシストとして最高の腕をもっていた男は可能としていました。男はその人狼に秘術をつかい……人間にしてしまう」
ガタンとメルが立ち上がった。今の話は……それが、本当なら、まさか。
「しかし秘術には欠点がありましてね……魔族と触れ合いをするたびに綻んでしまうのです。魔族の気にあてられて、元の魔性が戻ってきてしまう。ただ、普通に生活していて少し魔族と話してみたり、たとえばエクソシストとして魔族を祓ったりするくらいでしたら、死ぬまでに完全に秘術がとけてしまうことはない。男もそれを見越して、その人狼の子に秘術を使ったのでしょう」
「……」
「しかし……まさか、その子が自分の知らないところで魔族と濃い触れ合いをしているなんて思ってもみなかったでしょうね。そう……たとえば、吸血鬼と恋に堕ちて、体内に何度もその吸血鬼の精液を放たれている……とか、そんなこと予想できるわけありません」
「ま、待って……俺は……俺は、人間で、」
「――ああ、そうだ、失礼しました!」
たん、とベリアルが立ち上がる。ゆっくりと歩いて長机を回り込み、メルに近づいてゆく。脚を震わせながら後退するメルに微笑みを向けると、つい先程までメルが口にしていたステーキを手でベロンとつかみとった。
「私としたことが、メニューの説明をしていませんでしたね! さて、牛肉がまずくて食べれなかったメル様。こちらのお肉は大変お気に召したようですね。……そうそう、人狼も魔族のひとつですから、好物の人肉以外は食べることができないのですが――」
「ま、さか……それ……」
「こちらのステーキ、人間の肉をつかったものでございます。たしか生前の名前は――アイシーと」
「――ッ」
全てを理解した瞬間――メルは強烈な吐き気に見舞われてその場に崩れ落ちた。人肉を――話したことのある人間の肉を食べてしまった。
「おえっ……うっ……」
行方不明になったアイシーは殺害されたのちにこの屋敷に連れて来られて、そして――メルの食料へと生まれ変わった。「人狼」であるメルの、食料として。
「はじめは気付きませんでしたよ。貴方を纏う秘術は、ほぼ綻びがなかった。ただ……妙な色気を感じるとは思っていました。人間からは絶対に感じることのないはずの、魔族特有の色気。伯爵に会う度にその色気が強くなっていくものだからもしやと思って調べてみれば――大当たり!」
「……」
ベリアルは至極愉しそうにステップを踏みながらメルを指さす。食べたものを全て出すようにえずくメルは、口を抑えながら虚ろな瞳でベリアルを見上げた。
「美しいではありませんか! 愛しあう恋人同士がお互いの親の仇の子供だなんて! ましてや方や優しい心を持った者、そして方や――人を喰らい世に絶望をもたらす者! いがみ合うが摂理――私の前で悲劇を演じてごらんなさい!」
自分の苦しみがこの悪魔にとっては楽しみとなる。たまらなく腹が立ったが、どうしようもない。自分が人狼であるという事実も、ノアにとっての敵であるという事実も……これから起こりうる悲劇を回避する手だてが存在しない。
「……今、ノアはどこに……」
「伯爵は外出中でございます。じきに、メル様の正体を知ることになるでしょう」
「……俺、無理だよ。自分が人狼だってわかったところで……人を食らうことなんてできない」
「その心配なら御無用です」
ベリアルがつかつかとメルに歩み寄ってくる。そしてうなだれるメルの顎にそっと指をそえて、ゆっくりとメルの顔をもちあげ、その瞳を覗きこむ。
「それは、貴方の秘術がまだ完全にとけきっていないからです。完全に人狼に戻れば――理性も愛も、何もかも……なくなって人を食らうことへためらいがなくなりますよ」
「……な、なにもかも、」
「そうです。完全に人狼となれば、人を食うことに苦しみを覚えることもありません。ですから……ほら、メル様」
く、と手を引かれて立たされる。はっと目を見開いたメルの目の前に、ベリアルが迫る。
「私が手伝って差し上げましょう。貴方の秘術を完全にといてあげます」
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