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***  森は鬱蒼と闇に包まれていた。ノアと椛が先頭になって、ゆっくりとみんなで進んで行く。周りからは狼の鳴き声なんかがきこえてきて、恐ろしい。  しばらく歩いて行くと、血の跡が点々とみえるようになってきた。後ろを歩く町人たちがどよめくなか、ノアは静かに辺りの気配を探り始める。 「……!」  ぴたり、突然ノアと椛が動きを止めた。前髪よく見えていない町人はわけもわからないままにつられて立ち止まる。少し前方に、人影。ノアのもつランプに照らされて――その姿は徐々に鮮明になってゆく。 「ひっ……」  先に声をあげたのは、椛だった。その声をきいた町人がぐっと首をのばしてその先に何があるのかと覗き見る。そして、それぞれが「うわぁ」と情けない声をあげた。 「……」  ノアの表情が、険しくなる。その視線の先にあったのは、まず一人の女の死体。その体はぼろぼろで、至る所の肉が削げ、骨や内臓が飛び出ている。目をそらしたくなるようなその死体は、まぎれもなくアーネスト姉妹の姉だ。  そして……その傍にあったのが。  もうひとつ、丸くなった女の死体。血まみれのそれに顔を伏せるようにしてうずくまる……赤髪の青年。アーネスト姉妹の妹と思われるそれも腹のあたりから腸が飛び出ていて生きているとは思えない。しかし、そこに顔を伏せている青年――紛れも無く彼はメルだった。彼は血まみれではあるものの、体に大きな傷はない。 「……メル?」  ノアが、恐る恐る、名前を呼ぶ。  ずるり、とメルが顔をあげた。その顔面には大量の血がついていて、目は虚ろ。それをみた町人たちはゾッとして固まってしまう。ノアはゆっくりとメルに近づいていき……優しい声色で話しかけた。 「……メル? 大丈夫? 何があったの」 「……」  メルは答えない。死体の開いた腹に顔を突っ込んでいる状況など、どう考えても異常であるから、ノアはメルが錯乱しているのだと思った。よくよく見てみれば、メルの目からは涙がこぼれていて、明らかに何かがあったのだということは見て取れる。ノアはメルの顔に付着した血や肉塊を指でぬぐってやりながら、更に尋ねてみる。 「誰かに襲われた?」 「……のあ」 「メル。大丈夫、意識あるね。一旦家に帰ろうか、お父様も心配しているから……」  ノアがメルの手をとろうとした瞬間――メルがバシリとノアの手を払う。そしてその瞬間、メルは塞ぎ込んで嘔吐してしまった。慌ててノアはメルの隣に回り込んで背を撫でてやったが……メルの吐いたものをみて目を瞠らせる。  吐瀉物のなかに、生肉と思われるものが混じっていた。それも、腸や肝臓らしき内臓……そして、人間の指と思われるもの。まだほとんど消化されていないそれは、たった今食べたということだろう。 「メル……」  恐る恐る、ノアは死体に目を移す。ぱっと死体の手を確認すれば、指が千切れていた。   「……メル、今何をしていた?」  ありえない――そう思ったが、考えられる答えはひとつだ。信じたくはないが、導かれる答えは…… 「――メル様はお食事をしていただけですよ」  ノアがメルに詰め寄ったとき……すうっとベリアルがメルの後ろに現れてそういった。驚いて顔をこわばらせるノアに、ベリアルは恭しく頭を下げる。 「ああ……メル様、まだちゃんと食べることができていませんね。吐いたり泣いたりしてしまって、まったく……人間性を完全に喪ったわけではないようだ」 「……ベリアル? おまえ、何をしている」  なぜここにベリアルが。ノアはベリアルを睨みつけ、自分なりにもベリアルがここにいる理由を考えてみる。しかし、全くそれらしき答えにはたどり着かない。ノアがじろりと睨みあげれば、ベリアルはにっこりと微笑んだ。 「産まれたての「彼に」食事の仕方を教えていたのです」 「……どういうことだ。食事って……なんでメルが人の肉を……」 「伯爵……まだお気付きになりませんか? 彼が、貴方の親の仇の息子であると。彼が――人狼であると」  ノアが唖然と目を瞠る。ベリアルは信じられないといった表情をしているノアを一瞥すると、すっとしゃがみこみ、死体の指を一本、千切りとる。ぼき、と骨の握りつぶされる音に、それをみていた町人たちは思わず耳を塞いだ。 「もしも人狼の子が生きていたとしても、殺しはしないと……貴方はおっしゃいましたね。こうして目の前にいたとしても、貴方は殺さないといいきれますか?」 「……な、」 「たとえ殺さないとして……貴方は仇の子と恋人でい続けられますか?」  ベリアルがなおもえずき続けるメルの髪を掴み、無理やり上を向かせる。そして、千切り取った指を口元に押し付けた。メルはぎゅっと目を閉じて硬く唇を閉ざすも、ベリアルにこじ開けられて指を口に入れられてしまう。今のメルにとって指は非常に美味な食糧であり、まして今まで不味いものを食べ続けたメルは腹を空かしていたため……ほぼ本能で、咥内に転がる指を噛み潰してしまった。わずかに理性は残っている。町人やノアが見ているということも、そして人肉を食らう自分をみて驚いていることも、わかっている。そして今まで食べてこなかった人肉を食べることへの嫌悪感も残っている。それなのに……その肉は、美味い。溢れ出る血、やわかな肉の食感、硬い皮膚。甘くて甘くて、美味しい。 「……メル」  信じられない光景。今まで普通に人間として生活し、仲良くしていたメルが、人肉を食べている。泣きながら、時折えずきながらも口の中に入れられた指を噛んで、そして飲み込んでいる。唇から血をだらだらと流しながらまた泣き出したメルをみて、町人の何人かは吐いてしまった。あんまりにもグロテスクな光景だった。 「さて……伯爵。もう一度、貴方に申し上げましょう。人狼を殺せるのは貴方だけです。そして人狼を殺さなければ、また次の被害者が現れます」 「俺に……メルを殺せって……?」 「ただ可哀想な境遇にあると思って貴方に従事してましたが……まさかこんな悲劇を味わえることになるとは……貴方に目をつけた私の判断は正しかったようですね、伯爵」  ベリアルはノアの手をとって、その手の甲に口付ける。絶望したように唇を震わせるノアは、ただ、その様子を眺めるだけ。 「素敵な表情ですね、伯爵。愛らしい子だ」  ベリアルはメルを抱きかかえ……消えてしまった。  メルとベリアルが消えてしまったあとも町人たちの動揺は止まらない。あのメルが人を食っただなんて信じたくないが、その目でみてしまったのだ。否定しようがなかった。 「……メル、人狼だったのか……? 今までそんな素振り一切みせなかったじゃないか」 「あのベリアルって悪魔が嘘をついたんじゃねえのか?」 「でも人肉食ったじゃねえか! 俺達の目の前で! メルはきっと俺達を騙していたんだよ! 俺達を油断させて食っていくつもりだったんだ!」 「でもトレーシー神父が拾ってきた子だろ? トレーシー神父もグルだったのかよ」 「トレーシー神父がそんなことするわけねえだろ! アイツは……人の好意につけこんで、俺達の隙を伺っていたんだ!」  パニック状態となっている町人たちは、まともに状況を判断することができないため、話がどんどん飛躍してゆく。ただ、真実を知らない彼らにとって、メルは「人間のふりをしていた人狼」としか映っていないため、そういった結論に落ち着くのも仕方なかった。 「殺すんだ……メルを、殺す! いけるだろう、人狼が相手だって俺達全員でかかれば!」  殺気だった町人たちは、メルを殺す算段を立て始める。ノアと椛は、どうしてもメルが自分たちを騙していたとは考えることができなくて、興奮を増してゆく彼らを見ていることしかできなかった。冷静をかいた彼らを止めることができない。そもそも自分も真実を知らないため、説得することもできないのだ。 「おい、ノア!」 「……なに」  一人の町人がノアを呼びつける。ノアは下手したら魔族である自分も一緒に殺される可能性のある状況に、冷や汗を流しながら応える。 「あの悪魔……ノアしかメルを殺せないって言っていたな、どういうことだ」 「……それは……人狼は強い魔族だから、人間には殺せないって意味だよ……」 「だったら! ノアが殺してくれよ! おまえだってメルに騙されたんだろう!? メルと恋人だったんだろう!? 悔しくないのかよ! それともなんだ、おまえもグルか!?」 「なっ……」  どうしたらいいのかわからない。そんなときに決断を迫られてしまったノアは、焦ってしまった。頷けばメルを殺さねばならない、断れば自分がメルの仲間だとみなされて殺される。自分の命のためにメルを殺すなんてことはもちろんできないが、ここで死のうとは思えなかった。死んだら、真実を知ることができないからだ。  ノアはメルが人狼だなんてこと、今の今まで全く気づかなかった。だから、今メルが人狼であると知らされて、激しく動揺していた。しかも、ただの人狼ではなく親の仇の息子だ。それを全く知らずに彼と恋人になっていたなんて、運命を呪いたくなってしまう。  本当にメルは自分を騙していたのか。メルは……本当に自分のことを愛していたのか。 「ノア! 俺達に協力してくれよ! おまえが協力してくれなかったら俺達がみんな喰われちまう!」 「……ッ」  ノアの瞳から、涙が一筋こぼれる。メルが人狼であっても、親の仇の子であっても……彼のことを好きという気持ちをどうしても拭うことができなかった。しかし、この問題は自分だけの問題ではない。町人の命がかかっている。何が真実なのかはわからないが、メルが人狼であるということは紛れもない真実だ。 「……ッ、少し、考えさせてください……」 「――おい、ノア!」  頭の中が真っ白だ。落ち着いて考えようとしたが、やはりパニックになってしまって――ノアはその場から逃げ出してしまった。 「ノア……」  ノアの背中を見つめながら、椛は呟く。  メルは本当にはじめから人狼だったのだろうか?どう考えてもそうであるという結論には、椛はたどり着かなかった。あの、メルの家に行ったときに襲われた時のことが気がかりだ。突然理性を失って襲いかかってきたメル。ノアが「突然魔族になってしまった」人狼であるなら、それはありえることらしいと言っていた。 「メルが……魔族に、「なった」……?」  もしそうだとしたら、酷く残酷なことのように思われた。今まで心から愛していた町人たちに殺意を持たれ、そして彼らを食うようになってしまい。メルを救う方法はないのだろうか……考えて、椛は走り出す。向かう先は教会。メルを拾ったというトレーシーが何か知っていないか、聞きに行こうと考えたのだった。

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