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***  ノアが町人たちに連れられて礼拝堂を出て行った。取り残されたトレーシーを見下ろして、ベリアルが微笑んでいる。 「ほんの小さなきっかけで踊り狂う人間たちをみているのは愉しいですねえ、トレーシー神父」  ベリアルの声が響く。ヒューヒューと音を立てて息をするトレーシーは、かろうじて生きている、そんな状態だろう。今にも生命の線が途切れてしまいそうな、そんななか、彼は悪魔の声に黙って耳を傾ける。 「全ての始まりは、貴方の愛だった。貴方は……瀕死のメルを拾って、人間として育てたいと……私にすがりましたね。この礼拝堂で、禁術を知るために私を呼び出した。そのとき私は忠告したはずです。間違った愛は、悲劇を招くことになるかもしれないと」  ベリアルが聖母の像から飛び降りる。音もなく着地すると、そのままトレーシーの前に跪いた。ぐったりとしたトレーシーの手をとって、そこに、口付けを落とす。 「あんなに人間たちが惑っているのに、貴方は走馬灯をみているようだ。オリヴァーに救われ共に過ごした時間、メルと過ごした家族としての時間。強欲ですね、こんな悲劇に見舞われても貴方は……自分の人生が幸せだったと、そう思っている」  ちらり、とトレーシーの目が動く。目が合うと、ベリアルは微笑んだ。 「――最期にお尋ねしましょう。貴方は、メルを人間としたことを、後悔していますか?」

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