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「……メル……大好き」  ぱ、と花が咲くように血が噴き出した。そして……二人、抱きしめあいながら、倒れていった。 ――まるで、絵の中にのように美しい光景だった。薔薇の絨毯のような真っ赤な血の上で、抱き合いながら倒れる二人。微かに意識があるのだろうか――うっすらと目をあけて見つめ合い……そして、唇を触れ合わせる。お互いに首をやられているからだろうか、声が出せないようだ。息だけをこぼし、そして「すき」と声にならない愛を、ただただ伝え合っていた。 「……メル、……ノア」  椛がゆっくりと二人に近づいてゆく。最期の顔を、みたかった。しかし、そのとき―― 「――運命からの逃避行をしているかのようですね」  二人に影がかかり……ふわ、とベリアルが現れる。得体の知れない、人ならざる者。信用ならない相手が現れて、椛はびくりと立ち止まる。ただ、ベリアルの表情には邪気は感じられない。二人を祝福でもするかのように、慈愛にみちた表情をしている。……そして。 「どうですか、トレーシー神父。あなたのエゴによって運命を狂わされた人狼の末路は」  その腕には、瀕死のトレーシーが抱えられていた。  トレーシーの虚ろな瞳が、ちらりとメルを見遣る。血まみれで、今にも生命の灯火が消えてしまいそうなメル。――でも。その表情は、どこか幸せそうだ。ノアに抱かれ、見つめ合い……心なしか微笑んでいるようにみえる。 「……め……る」  ひゅー、ひゅー、と声にならない声で、トレーシーがメルの名を呼ぶ。その顔は……嬉しそうだった。最愛の息子の、幸せそうな顔をみて、トレーシーの心は歓びに満たされていたのだ。  ベリアルが、倒れている二人に近づいてゆく。そしてトレーシーに二人の顔が見えるようにしてやると、ふふ、と微笑んだ。 「はは……醜いですね。これが人間の愛という名を背負ったエゴが導いた終焉(さいご)。実に素敵です。私の好みだ」 「……、」 「……トレーシー神父。素敵なものを見せてくれたお礼です。貴方の心の言葉を、息子さんに届けて差し上げましょう」  声を発することのできないトレーシーは、その言葉に嬉しそうに微笑んだ。悪魔は人を惑わせそれを愉悦とする、受け入れがたい生き物。しかし、嘘はつかない。これからこの悪魔は、紛れも無く自分の心を言葉として紡いでくれるだろう。これから死にゆく息子への祝詞が、悪魔によって語られるとはなんとも不思議な光景ではあるが。 「……さて、メル様。貴方は私の声が聞こえているでしょうか……少しだけ、耳を傾けてはいただけませんか」  悪魔はかく語りき。その、嘲りが吐出された口からは、朗々と静かな言葉が紡がれる。 ――私が、今までで一番神様に感謝をした瞬間のこと。今でも鮮明に覚えています。メル、あなたと出逢ったときのことです。あなたは人の子ではありませんでした。でも、みなしごであるあなたのことを放っておけなかった。あなたに自分を重ねてしまったから。 あなたを育てようと決めた理由。それは私のエゴでした。でも、私の決断を、私は間違っているとは思いません。だって、あなたは笑っていた。あなたと私の過ごした時間は、神様に祝福されていた。あなたも私も、幸せだったから。 あなたが人を食べてしまったと聞いたとき、私は悲しかった。でも、それでも私の行いを間違っているとは思いたくありませんでした。私はどこまでも、あなたの親だった。あなたの幸せのことしか考えることができなかったのです。神様は、私を見放すかもしれません。でも、あなたと過ごした日々が誤りであったと思うくらいなら、私は罰をうけることを選ぶでしょう。 あなたは、恋をしましたね。私の知らないところで、あなたは恋をしていた。私は少し、怒っていますよ。あなたの大切な人のことを、私に紹介して欲しかった。 今、あなたのそばであなたを大切に抱きしめている人。あなたが恋をした人。素敵な人に出逢えて良かったですね。あなたも幸せそうな顔をしているから、私は嬉しくて仕方ありません。一番の誕生日プレゼントです。 最後に……私はこの悪魔に問われました。あなたを人間にしたことを、後悔していますか、と。私の答えは、ノーです。あなたに出逢えてよかった。あなたの親でよかった。メル――あなたは、狼になっても、私の子です。大切な、私の息子です。 愛しています、メル。 ――悪魔の言葉が、途絶える。トレーシーは、目を閉じていた。息が浅かった。もう……意識はないかもしれない。しかし―― 「……とう、さん」  微かな、声。メルがトレーシーを呼ぶと、トレーシーの表情はどこか幸せそうに和らいだ。そして、その瞬間だ。トレーシーが絶命したのは。同時にメルも完全に意識を途絶えさせた。それはまるで、トレーシーの祝詞を受けて旅立ったように。 「――素敵な、喜劇でしたね」  飛び散る血痕、哀しい亡骸。それらをみて、ベリアルはうっとりとした顔で呟く。それを聞いた椛は、じろりとベリアルを睨みつけた。 「……何が、喜劇なものか。これをみて、貴方は何をどう思って喜劇と言っている! 人間は悪魔のおもちゃじゃないんですよ!」 「彼らにとって最も幸せな結末を選べたのだから、それは喜劇と呼んでもいいのでは?」 「……そもそも貴方が僕とメルを間違えたから……メルがノアと出逢わなければ、こんなことにはならなかったかもしれないのに……!」 「すいぶんと残酷なことをいいますね、貴方は」 「……?」  ベリアルはトレーシーを抱えたまま、椛に近づいてゆく。 「出逢わなければよかったなんて、それは最も言ってはいけない言葉だ」 「……なぜ」 「貴方もみていたでしょう? 伯爵と知り合ってからのメル様の幸せそうな表情。出逢えてよかったんですよ、二人は。私が貴方とメル様を間違えたのも、きっと運命。メル様の側に似通った特徴をもつ「赤ずきん」である貴方がいたのもまた運命。運命に導かれて幸せになった二人、素敵じゃないですか」  ベリアルにじっと顔を覗きこまれて、椛は涙目で睨み返す。 ……否定は、できなかった。たしかにノアと出逢ってからのメルは、幸せそうだったから。じゃあ、どうしてこんなに自分はベリアルの言葉に憤っているのだろうと……椛は自分に問いただしてみる。 「……メル」 ――答えは、簡単だった。自分も、メルのことが好きだったから。彼に生きていて欲しかったから。まだ、メルへの恋心を諦めきれていなくて、メルがノアと共に死へ向かったことを受け入れられなかった。メルが人狼へ回帰したことで失われた生命を痛ましくも思っている。でも、なによりも……椛は、自分がメルと結ばれたかったというひとりよがりな恋心を持っているために、この結末を受け入れることができないのだった。 「……でも。僕は……死を選んだ二人の運命を、喜劇だとは思わない」 「喜劇ととらえる……悲劇ととらえる……まあ、それは貴方の自由でしょう。でも貴方はフィナーレに拍手を送ることができていない。貴方がメル様と伯爵の最期を受け入れることができたとき……貴方がフィナーレを受け入れたとき、そのときが二人の本当の最期となるのです」 「……どうやって、受け入れろと」 「……貴方の心にお聞きなさい」  ベリアルがトレーシーを地面に下ろす。そして、三人の亡骸に一礼をすると……ふっと消えてしまった。  残された椛は、血まみれの三人を黙って見下ろす。 「……こんな運命、哀しいじゃないですか」  ぽろりと涙がこぼれ落ちる。ぽろぽろ、ぽろぽろ。ひとつ落ちてまたひとつ。やがて止まらなくなった涙が、椛の頬を濡らした。

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