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「こんにちは、椛くん」
「……こんにちは」
メルたちが亡くなってから一月ほど経った。トレーシーのいた教会には違う街から新しい神父が来て、彼が教会を管理している。神父の名はマードック。まだ若い神父であるが優しい人物であり、町の人たちにもすでに慕われ始めていた。
「悩み事は、解決したかい?」
「……いいえ」
「そうか……でも焦らなくていい。心が晴れるまで、この教会に来るといいよ」
「……ありがとうございます」
椛は、あれからずっと教会に入り浸っていた。未だにメルたちの死を受け入れることができなかったから。毎日のようにメルと共に過ごした日々の夢をみては、あのころを懐かしんでいる。彼らの選んだ幸福を、祝福することができなかった。
「あ……マードックさん。お庭の薔薇……少し、しなびていましたよ」
「ああ……僕もちゃんと世話をしているつもりなんだけどね……なかなか綺麗に咲いてくれなくて。僕が来た頃にはとても綺麗な薔薇だったのにな。薔薇の世話をするのって、とてもむずかしい」
「……お庭、覗いてもいいですか?」
「ああ、どうぞ」
教会の玄関を出て、庭へゆく。実際に中に入ったのは、初めてかもしれない。薔薇がたくさん咲いていて、いい香りのする、美しい庭。初めて入るのに懐かしさを感じるのは……ここに立っていたメルを、いつもこっそり見ていたから。
――そう、メルはいつもここにいた。初めて彼を見たのも、この庭。椛が教会に祈りにきたときに、珍しい赤髪をした少年が薔薇に水をあげていた。薔薇の庭に溶け込むようでいて、その美しさは何よりも際立っていて。彼を見てから、椛は教会を訪れる度に彼を影からそっとみていた。片想いをしていた。
メルと初めて会話をしたのは、いつだっただろうか。たしか、椛がエクソシストとしての仕事を始めてまもなくのころだった。ふらりと立ち寄った酒場に、彼がいたのである。まるでヒロインが王子様に恋をするかのような……そんな、非現実的な片想いをしていた椛は、彼を間近で見た瞬間に心臓が爆発しそうになった。しかし、彼は思っていた人物とは違かった。薔薇の花を愛でているときの彼とはまるで別人のような、そんな態度で彼は話しかけてきたのである。
『――エクソシスト? おまえにそんなの向いてないよ。やめちまえ』
それからだった。椛がメルとライバルという関係になったのは。自分を小馬鹿にするような言葉を吐いてくるメルに幻滅したのかといえば……そうかもしれない。でも、恋心が消えることはなかった。教会にいけばいつもメルは庭にいて、薔薇の世話をしていた。その姿が相変わらず綺麗だったから。ある日、尋ねたことがある。「ガーデニングが趣味なの?」と。
『趣味といえば趣味かな。愛情を注げば注ぐほど綺麗に咲く薔薇をみていると、頑張ってお世話したくなる。自分の子供みたい。俺の育てた薔薇は、世界一綺麗だよ』
その言葉を聞いて、やっぱり自分はメルのことを好きだと……椛は自覚した。出会ったときに椛にエクソシストは向いていないと言い放ってきたのも、どうやら椛が危険な仕事をして傷つくのが嫌だったかららしい。酒場の常連客に「そんな危なっかしい仕事して死んだらどうすんだよ、親が哀しむだろ。あいつ絶対親に大切にされてるもん、そういう顔をしている」とこぼしていたのだ。
――薔薇は愛情を注げば注ぐほど綺麗に咲く。そんなことを言っているメルには、椛も親に大切に育てられて、すくすくと育った少年にみえたのだろう。それなら、メルだって同じだと……人づてにその話を聞いたから本人に言ってやることができなかった。おまえこそ、どれだけ親に大切に育ててもらっているのか、わかっているのか、と。
「君は……マードックさんからちゃんと愛を受けているね。マードックさん、まだ薔薇の育て方わからないから手こずっているみたいだけど……ちゃんと、枯れないで咲いている」
椛は、ちょん、と薔薇の花弁を指でつつく。メルの育てた花。メルの愛情を受けた花。すこししなびてしまったけれど、やっぱり綺麗だ。でも、以前のように真っ赤な色を咲かせて欲しいと、そう思う。
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