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 グラエムは初めて直に見る奴隷商に、ただ震えるばかりであった。  奴隷商はこの世界で最も力をもつ神族で形成される組織である。つまり、何びとたりとも逆らうことのできない権力と力をもつ。 「……しかも、アレって……」  3人の中でも異彩を放っているのは、仮面の男。その姿を見れば、誰でもその正体はわかってしまう。施設のトップを担う二人のうちの一人――ノワール。 「なんで、ノワールなんてヤツがこんなところに……!?」 「ラズワード、君の体は我々にとっても価値の高いものなんだ。そう安安とキズモノにされては困る」  仮面の男・ノワールは淡々とラズワードに言った。ダガーを弾き飛ばしたと思われる銃をしまうと、静かにラズワードに近づいていく。  ラズワードたちは、思わず後ずさった。無理もない。  ノワールは施設の中でも極めて高い地位につく男である。普段こうして人前に現れることは少なく、こうした奴隷を捕らえる仕事は下っ端が行うものであった。それを、なぜか今回はノワール本人がでてきたのだ。 「さて、ラズワード。今月分の免除金を徴収しに来た。渡してもらえるか?」 「……っ」  押し黙るラズワードを捉えようと、二人のスーツ姿の男がこちらへ向かってきた。   「……っ」  ラズワードは背負っていたライフルを手に取る。そして銃口を一人の神族の男に向けた。 「まて、ラズ!! 神族に逆らったら死罪だぞ!」 「奴隷になるよりマシだ!!」  ラズワードはグラエムの制止を聞かず、引き金に指をかけた。あ、とグラエムとレックスが言った時にはもう遅かった。  男はにやにやと笑っている。 「んん!? 神族に逆らうのか? ラズワード!! おまえら天使の使う魔術なんかが私に通用するとでも……!!」  ダン! と激しい音が響いた。グラエムとレックスは青ざめた顔で男を見る。  やっちまった。神族に攻撃を―― 「ぐ、あああああああああ!!!!????」 「!?」  激しく響く悲鳴。それは紛れもなく神族の男の声であった。 「な……」  もう一人の神族の男が、その様子を驚いて見ていた。   (確かに、ジェイクは相殺魔術を使っていたはず……。これを、破ったのか……!? ただの天使が……しかもビギナーズの武器で……)  撃たれた男は、片腕が破壊されていた。ラズワードの魔術の全身破壊の効果は、男の使った何らかの魔術により大きく威力は下がってはいるが、着弾した右腕は完全に破壊したらしい。どばどばと吹き出す血に、男はパニックになっているようだった。  もう一人の男はそんな様子を眺めながら、ノワールにそっと耳打ちをする。 「ノワールさん……あいつ、なんなんですか。神族の相殺魔術を破るとか、相当な量の魔力持ってますよね」 「だから俺がついてきたんだ」 「ちょっと、それどういうことですか。俺じゃああいつを捉えられないとでも!?」 「そういうことじゃない。ソレから手を離せ、アベル」  アベルと呼ばれた神族の男は、ノワールの言葉に従い、腰の剣から手を離す。金の短髪の、若い彼は、不機嫌そうに撃たれて倒れている男へ寄っていく。 「みっともない姿晒してんなよ、ジェイク。さっさと治癒魔術をかけろ。死にたいのか」  アベルよりもずっと年上だろう、ジェイクは地面にうずくまっている。アベルは溜息をついてジェイクの横腹に軽く蹴りをいれ、とん、と先のちぎれた右肩に手を触れた。そうすれば、またたく間に右腕が再生していく。 「治癒魔術……」  グラエムはいとも簡単に再生されたジェイクの腕を呆然と見ていた。天使と悪魔は使える魔術が限られている。自分のもつ魔力が風ならば、風魔術というように。治癒魔術は水魔術の部類のため、水の魔力をもっていなければ使うことはできない。  しかし、神族にはそのような制限はなかった。神族のもつ魔力は、無属性のもの。魔術の知識さえあれば、どんな魔術でも使うことができるのである。  アベルという青年がつかった治癒魔術は、相当高度なもののようだ。明らかに、ジェイクよりも魔術の腕は上だ。  それを悟ったラズワードの胸のなかには、逃げる自信がなくなっていく。ジェイクでさえ、全身を破壊するつもりで放った魔術が腕にしか効かなかったのだ。アベルとノワールには恐らく全く通用しない。 「なるほど、ラズワード」  どうしようかと、悩んだラズワードに、ノワールが言った。その声は、神族に逆らったことによる怒りも何も含まれていない。何の感情も感じさせない、静かな声であった。 「君は、剣を扱えるか?」 「……は?」  ぽかんとするラズワードに、ノワールが何かを投げてきた。慌ててそれを受け取ってみれば、それは剣であった。 「君がいつも使っているのはビギナーズという最低ランクのプロフェットだな。バガボンドにはハンターと違ってビギナーズしか使用許可がでないからね。今、俺が君に渡したのは聖堊剣というプロフェットの中でも最も位の高い剣だ」 「……え、なぜ、それを俺に?」 「その剣をつかって俺に斬りかかってこい。もし、俺にカスリ傷の一つでもつけることができたら見逃してやる」 「……!?」  淡々と言い放ったその言葉に、その場にいた誰もが驚いた。ラズワードたちはもちろん、神族の二人もである。 「ちょっと、なに言ってるんですか、ノワールさん! 腕を見たいってだけでしたよね!? なに余計な条件つけているんですか!」 「そうでも言わないと本気でかかってこないだろう」 「だからって……! もしこれで本当に見逃したりしたら……」  慌てるアベルに、ノワールは静かに手で制止をかける。そうすればアベルはむすっと黙って腕を組んだ。 「さあ、ラズワード。くるといい」 「……っ」    ノワールの放つ雰囲気というか、圧力というか。恐怖に近い感情が、ラズワードの足に制止をかける。しかし、やらなければ、この状況は脱却できない。ラズワードは意を決して地を蹴った。 「……!?」  ノワールから渡された剣に魔力を込めた瞬間、ラズワードはその動きを鈍らせた。あまりにも軽いその剣にいつものように魔力を流すと、刀身が光りだし、小さくプラズマを放ち始めたのである。今までそんなことはなかったため、ラズワードは驚いてしまったのだ。 「ビギナーズではそうなることはなかったか?」 「……え?」 「聖堊剣は、魔力投影率ほぼ100%。君の使っていたビギナーズは10%。その剣はビギナーズと違い、君のもつ魔力をそのまま力として扱うことができる。その光は、君の魔力そのものだ」  魔力投影率という聞きなれない言葉に、ラズワードは戸惑ったが、要するに今までの武器は自分の魔力にリミッターとして働いてしまっていたのだろうと理解した。つまり、今はリミッターなしの魔力。今までよりもその威力は段違いに跳ね上がるということだ。 「……」  ビギナーズでも、人体破壊は可能だった。では、この聖堊剣で人を切りつけたらどうなる?  ラズワードは自分の頭に浮かんだ映像を、首をふってかき消した。それは、あまりにもおぞましいものであったから。  剣へ流す魔力をいつもより減らしてみる。しかし、減らしすぎてはノワールへきっと届かない。それはわかっているのだが、いつもと感覚が違いすぎて、調整が上手くできない。 「遠慮しなくてもいい。自由になりたいのなら、俺を殺す気でこないといけないよ」 「……わかってる……!」  剣を握る手に力を込め、ラズワードはノワールを睨みつける。そして、大きく深呼吸して、足を踏みこんだ。  ダガーよりも当たり前だがサイズが大きい聖堊剣は、それでも軽く、扱いやすかった。あまり剣は使い慣れていないが、上手く間合いを取りながら、斬りかかる。  しかしノワールはただひょいひょいとラズワードの攻撃を躱していた。手に武器も持たず、攻撃を仕掛けてくる様子もなく、ただ躱すのみである。 「……っ」  まったく攻撃の当たらない様子に、ラズワードは焦れた。振っても振っても、掠る気配もなく、剣はただ虚空を切り裂くだけである。ただ、焦れているのはノワールも同様だったらしい。 「ラズワード、本気をだしたらどうだ」 「……だしている……!」 「いいや、だしていない。君はまだ、自分の魔力の強大さに怯えて、俺に攻撃を当てるのを心のどこかで躊躇している。君の攻撃には、迷いしか感じない」 「……っ」  全くの図星であった。はっきりと言い当てられて、どきりとしてしまう。それと同時に真正面から剣を振り落とすと、鋭い金属音と共にそれは阻まれた。  見れば、ノワールが短剣でラズワードの剣を受け止めていた。 「……そういえば、ラズワード。君に謝らなければいけないことがある」 「……謝る……? 今ですか……?」 「ああ、今でないといけない」  ラズワードは静かに言葉を投げてきたノワールから、一歩引いて、立ち止まる。ノワールは短剣をおろし、話し始めた。 「君の、お兄さんのことだ。彼の死因は聞いているか?」 「……え、ああ、はい」  正直、このわけのわからない状況のため、兄の死を忘れていた。元々、兄の死が突然すぎて現実味を感じず、印象になかったこともあるかもしれない。しかし、兄の死を忘れていた、という事実はラズワードには恐ろしく思えた。自分には感情がないのだろうかと、そんなことを思ってしまう。 「彼は、私が誤ってリストに流した魔獣を退治しようとして亡くなった。その魔獣はレベル5の魔獣で、本来ならばハンターには狩ることが禁止されているはずのものだった。危険だからね」 「……謝るとは、そのことですか? 確かに、リストにその魔獣が載っていなければ、兄が死ぬことはなかったとは思いますが……あなたが誤ってリストに掲載したことはあくまで間接的な原因です。直接的な死因にはなりえない」 「そうか、ラズワードは優しい人なんだね」  ラズワードからすればノワールにあまり責任はないように感じた。だから、そのようなことをわざわざ謝ってくる彼に、些か驚いた。  もしかすれば、彼は悪い人では…… 「……ところでラズワード」  僅かに優しげな色を含んでいたノワールの声が、低くなる。 「君のお兄さんは……たしか、レイといったか。君の免除金を払うために、随分と無理をしていたそうだな。そのときリストに載っている獲物の中で最もランクの高いものを選んで狩っていたんだろう?」 「……ええ、まあ」 「今回もそうだったな。俺が手違いでリストに載せた魔獣ゲヴァルトはレベル5。確実にリストのなかでの最高ランクとなる魔獣だ。国の半分をも滅ぼしたという恐ろしい魔獣だという。……ただ、彼はレベル5がどれほど恐ろしいものだかわかっていなかったみたいだな。残念なことに亡くなってしまった」 「……」  淡々と話すノワールの言葉に、ラズワードは違和感を覚えた。なにが、とははっきりしていない。しかしそれは、次のノワールの言葉により、徐々に輪郭をあらわにする。 「そう、レイは私が「誤って」載せた「最高ランク」の魔獣を狩るのに失敗して亡くなったんだ。本当に申し訳ないと思っている」 「……まさか」  なぜ、レイが免除金を払うために最高ランクの獲物を狩るだなんてことを知っている?なぜ、ミスをしておきながらそのゲヴァルトについてそんなにも情報を知っている?ラズワードの中に、一つ、その答えが浮かびあがる。 「まさか……わざと、リストにレベル5を載せたのか……?」

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