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「これからハル様に案内させていただく奴隷はファイルには載っていないもので……直接見ていただくことになります」
「はあ……」
扉の奥は、恐ろしく広い空間が広がっていた。そして、おびただしい数の奴隷。鉄格子がびっしりと並び、その中に奴隷と思われる人たちが蠢いている。ノワールはそんな奴隷たちを気にもとめずに前に進んでいくが、ハルはそうもいかない。初めて見る奴隷市場というものに、あっけにとられていた。
これだけの数がいるのに、シンと静まり返った奴隷市場。誰ひとり、口を開かない。ここにいる全ての奴隷が、調教済だという証明だろう。ハルは吐き気をこらえるのに精一杯であった。
「ハル様は、奴隷を買ったことはありますか?」
「……いや」
「そうですか。初めてなんですね。でも、今回のは少々変わった奴隷なので驚かれると思いますよ」
「……変わった……?」
「ええ」
奥へ奥へ、進んでいく。曲がり角を曲がり、階段を上り、ひとつ大きな扉の前にたどり着く。ノワールはその扉の鍵を開けながら、振り返った。
「意思を持っています」
「……意志? 普通の奴隷は、もっていないんでしたっけ?」
「ええ。普通、私たちは奴隷の自我を徹底的に破壊するように努めるのですが……今回は趣旨を変えてみました。あなたのものになるのです、それではいけないと思いまして」
「はあ、意思をもった奴隷ですか……」
「安心してください。反抗するということはないと思います」
ギ、と大きな音を立てて扉が開かれる。そこにはまた、鉄格子が並んでいる。ハルはその光景に辟易したが、ふと、ノワールの言葉にひっかかりを感じて尋ねた。
「……俺のものになるって……俺が奴隷を買いに来るってこと知っていたってことですか……?」
「ええ、あなたが近々奴隷を買いにこちらへいらっしゃるだろうということは、我々のあいだで話題にあがっていました。レッドフォードにはご贔屓にあずかっていますから、ハル様にも満足した商品を届けなければいけないと、あなたに合う奴隷を作りました」
「作るって……」
「ソレ用の調教をしたということです」
ノワールが立ち止まる。彼の発した言葉に些か不快感を覚えていたハルは、その心情を読まれたのかと思って、ドキリとした。しかしどうやらそれは杞憂だったらしい。
「こちらです。今回紹介する奴隷、Z198476、ラズワードでございます」
ノワールはひとつの鉄格子の扉を開ける。この部屋の牢は、他の牢とは少し雰囲気が違っていた。一つの牢に一人の奴隷。簡素ながらもベッドがある。一つの牢にぎっちりと何人も詰め込まれていた他の牢とは、明らかに違う。
どうやらラズワードと呼ばれた奴隷はそのベッドの中で眠っているようで、ハルからは顔が見えない。ノワールは牢の中へ入っていくと、膨らんだ布団をめくり、でてきた肩をトントンと軽く叩く。
「起きて。ハル様がお見えになったよ」
ノワールの体が調度ハルの死角となり、やはりラズワードの顔はよく見えなかった。しかし、ノワールの声に眠りから覚めたのだということは、もぞ、と布団が動いたことによって確認出来る。
「……」
「ハル様、どうぞ、こちらへ」
彼が布団から起き上がったところで、ハルは牢の中へ呼ばれた。一瞬戸惑ったが、ハルはそれに従うことにした。
「……!」
近づいて、始めて彼の顔を見ることができた。
透き通るような白い肌。さらさらとした茶髪の髪。スラリとした体。
男相手に美しいだと思ったのは始めてだった。気づけばハルはぽかんと口を開けてしまっていた。
「どうでしょう? ハル様」
「え……あ、ああ……」
ノワールに声をかけられて、ハルはハッとする。思わず見とれてしまっていたが、大事なのは容姿ではないのだと、思い出す。
「あの……随分と綺麗だと思いますけど……俺、少し戦えるような……奴隷がいいって思っていまして……いや、ここにいる……奴隷にそれを求めるべきではないてっていうのは知っているんですけど……」
「ええ、その点についてはご心配なく。まずはこれをご覧になってください」
ハルの言葉に驚くというわけでもなく、ノワールは淡々と言う。ノワールはラズワードの顎をクイ、と持ち、ハルに顔が見えるように上を向かせた。
「魔族の瞳の色の濃さは、魔力の強さにほぼ比例すると言われています。どうでしょう、彼の瞳の色は。なかなか見られない色だとは思いませんか?」
「……え、この色……」
「すごいでしょう? 水の天使は水色の瞳を持つと言われていますが、彼の場合、魔力が強すぎて色が黒に近い青なんです」
ノワールにまるで人形のように扱われている彼に違和感を持つ前に、ハルは素直にその瞳の色に感嘆してしまう。それほどに、彼の瞳の色は珍しいものであった。
「それから、彼はこう見えて戦闘の心得もしっかり持っています。水魔術のすべて、武器の扱い……そこらへんのハンターよりもずっと腕がたつと思いますよ」
「……元からそうだったんですか? ここで調……教えてもらったんではなくて?」
「彼はここに来る前はバガボンドに入っていました。元々戦うということには慣れていたようです。……とはいっても、それでは足りませんからね。ここで調教しましたよ。私が戦闘術については全部手ほどきしました」
「……ここの……奴隷は皆戦い方を教えてもらうんですか?」
「いいえ。ほとんどの奴隷は性奴として調教されます。彼は特別です。……言ったでしょう? 貴方用に、調教したと」
奴隷だの調教だのという言葉を言いたくなくてハルは避けているというのに、ノワールはさらりとその言葉を言ってしまう。ハルは表情には出さなかったものの、ノワールに対して嫌悪感を抱き始めていた。元々の人間性を破壊して売り物に育て上げるなんてことを、平然とやってのけること。そしてそれを当然だと思っていること。話には聞いていたが、実際にこうしてノワールと話してみてハルは思う。
この男は、外道だ、と。
「……いかがなさいますか?」
「……おまえはどう思うんだ」
「?」
「ラズワードに聞いているんです。ラズワード、おまえは俺に売られることを、どう思っているんだ」
たぶん、このままノワールと話し続けても苛立ちだけが募っていくだけだろう。だから、というわけでもないが、ハルはラズワードへ話しかける。どうせほかの奴隷と同じように虚ろな眼差しを向けられるのだろうと、あまり期待していたわけではなかったが。
しかし、その期待は大きく裏切られる。ラズワードは微かに首を動かし、その蒼い瞳でしっかりとハルをとらえたのだ。先ほど、見世物とされた瞳と同じとは思えない、座った目をしていた。
「……貴方のお役に立てるのであれば、喜ばしく思います」
「……」
ただ、返ってきた言葉は、あまり嬉しくないものであった。ありがちな言葉すぎて、彼の意志を感じなかったからだ。しかし、落胆したハルに向かって、ラズワードは言葉を続ける。
「俺は、貴方のために作られたのです。貴方のモノになるために、俺は存在しています」
「……へ?」
「もしも貴方に拒絶されたのなら、俺は生きている意味がなくなります」
え、何言ってんの。
うっかり口にしそうになった言葉をハルは飲み込んだ。それほどに、彼の言葉はわけがわからなかった。
もちろん、言っている意味はわかるが。自分の意志を持っているにしては、自己を捨てすぎていて。心を奴隷に堕とされたにしては、はっきりとした意志が込められている。自分の理解を超えた事に、ハルは言葉を発することができなくなってしまった。
自分から質問したからには、彼の答えに対して何か言わなければいけない。しかし、ハルの頭は飽和状態になっていた。なにも言葉が浮かばない。
そんな風にハルが迷っていると、ラズワードが立ち上がる。そして、ハルに近づき、立ち止まった。
「ハル様」
「……はい?」
意思を持っている。ノワールが言った言葉を思い出すたしかに、これは普通の奴隷とは違う。はっきりとした、意思を持っている。
強く深い蒼の瞳は、確かに人のもつものだ。虚ろな奴隷の瞳とは違って、吸い込まれそうになる。目が、離せない。
「俺を買っていただけませんか」
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