20 / 343

3(1)

*** 「空気が悪くなってきたな……そろそろ近いぞ」  ハルとラズワードの二人は、目的地に到着した。そこにははどんよりとした空気が漂い、青かった空もどこか暗く感じる。魔獣が多く溜まる場所に多い現象だ。いつターゲットが現れてもおかしくない状況に、二人は周囲に注意を向ける。 「……そうだ、ラズワード、プロフェットは剣の形のもので大丈夫? 一番オーソドックスだからこれでいいかなと思ったんだけど」 「ええ、大丈夫です。ありがとうございます。……これの魔力投影率はどのくらいですか?」 「ああ、えーとなんだったかな。昔手に入れたものだしあんまり使っていないから確かじゃないけど、70くらいあった気がするな」 「わかりました」  ラズワードはハルから剣を受け取る。そしてハルから少し離れると、剣の感触に慣れるためか、軽く振ったりしていた。  その後ろ姿をハルは見つめる。朝着ていた青いシャツだけでは流石に寒いだろうから上着も着せたが、その上からでも彼の体の華奢さが見てとれる。  本当に大丈夫だろうか。  戦うには適していないと思われる細い体を見ているうちに、ハルは心配になってきた。そもそも水魔術は戦闘に向いていないとハルは聞いていたため、余計に不安が煽られる。 「!」  どこからか、獣の呻き声のようなものが聞こえた。目を凝らして前方を見れば、大きな体をした赤黒い獣の群れがこちらへ向かってきている。 「……久々に見ました、シュタールは」 「……あ、そういえばおまえはバガボンドだったんだっけ? シュタールも狩っていたことがあるのか?」 「ええ、あれよりも少しサイズの小さな亜種ですけれど。懐かしいですね、あの時は一緒に戦ってくれる人がいたから……」 「……!」  ラズワードは目には見えない記憶を見ているように、そしてそれを懐かしむように、微かに微笑んだ。それを見て、ハルは何かとてつもなく重い衝撃を胸に受けたような気がした。呼吸すらも忘れて、その痛みをどうにかしようと頭を落ち着かせようと思ったが、うまくいかない。バクバクと鼓動が大きくなって、このままでは破裂してしまう――その寸前、ブンと剣が空気を裂く音でハルは我に返る。 「……っ!!」 「きます、ハル様もどうかお気を付けて」  一匹の獣が吠える。すると、獣たちが一斉に走って向かってきた。 「……ラズワード!」  獣が近づくに連れて、シュタールの禍々しさが増していくような気がした。遠くから見ればそうでもなかったが、実際のところ人のふたまわりほどもある巨大な獣で、それが群れで襲いかかってくる光景は圧巻である。その巨大な獣の集団に対してラズワードの背中の頼りなさ。もし一匹にでものしかかられたりしたら、全身の骨が粉々に砕け散るのではないかとすら思ってしまう。  やっぱり無理だ。  ハルはすぐさまラズワードの前に立とうと駆け出した。腰に差した短剣の柄に手をかけ、それを抜こうとしたが、その前にそれは起きる。  ラズワードが、静かに剣先を獣たちに向けた。 「……?」  そして次の瞬間、獣たちの姿がノイズがかかったようにブレた。それは一瞬の事で、ハルは一体なにが起こったのかと目をこすってみたりしたが、なにも変わらない。しかしよくよく見てみれば、獣達の様子がどこかおかしい。こちらへ真っ直ぐに向かってきていた獣達は、何故か同じ所をぐるぐると回りだしたり、地面の匂いを嗅いだりしている。 「……あいつら、どうしたんだ……?」 「視覚操作の精神魔術です」 「……せいしん、魔術?」  ラズワードが獣達を見たままハルの言葉に応える。ハルはラズワードが発した聞きなれない魔術にオウム返しをするしかなかった。 「大気中の微量な水分を通して、俺の魔力をアレらに送り込むんです。そうして、脳を操作する魔術をかけることによって、アレらの視覚に異常をきたす。水魔術のひとつです」 「……?」  水魔術は治癒しかできないと思っていたハルにとって、ラズワードの言っている魔術は全くの未知のものであった。なんとか理解しようと考えているハルの視界に、なにか光のようなものが飛び込んでくる。ハルはそれが何か考えて、ハッと短剣を抜いた。 「ラズワード! 魔力放出だ、よけろ!」  こちらの居場所がわからない獣の一匹ががむしゃらに撃ったのであろう、魔力の塊が向かってきたのである。ハルは魔術をぶつけてそれを相殺しようとしたが、それもまた、ラズワードの動きによって阻まれた。  ラズワードは逃げようともせずに、魔力の塊に剣を向ける。何かまた魔術を発するのかとハルは見守るが、その予想は裏切られた。ラズワードは何かをしようとすることもなく、ただ剣を構えているのである。 「おいっ……!!」  気がついた時には遅かった。魔力の塊はもう剣にぶつかる直前である。ここまできてはもう避けるのも魔術を唱えるのも不可能。ハルが慌てて駆け出した、そのときである。  魔力は、そのまま剣先にぶつかった。そしてそのまま柄まで向かっていき、ラズワードの手まで到達しそうになる。しかし、ラズワードが僅か腕をひねり、そして振るうと、それに沿って魔力の塊は違う方向へ飛んでいってしまったのだ。 「な……」 「自分の魔力を使わずに魔術を受け流す方法です。タイミングをしっかりしないと自爆しますけどね。魔力投影率が高い武器でのみ可能だそうです」 「……そうです、って……」 「……ノワール様が言っていました」 「え……」  突然ラズワードの口からでた名前を、ハルはすぐに理解できなかった。この流れでその名前がでてくるとは思わなかったためか、それとも彼の口からその名前がでてきたのを認めたくなかったのか……。いつぞやの不快感がまた蘇る。  今、こちらに背を向けるラズワードはどんな表情をしているのだろう。  そんなどうでもいいことが気になり出す。 「ラズワード……」  ハルの唇から、彼の名が漏れる。ハル自身、無意識だったのだろう。自分の口から勝手に声がでていて、ハルは驚いた。  こっちを向いてくれ。あいつのことは忘れろよ。あんな顔、もう俺に見せるな。  おぞましい感情が、心を満たす。  なんだ、これは。うるさい……、気持ち悪い……。不快だ、……すごく不快だ。  ヒュ、と剣が風を切る音がした。顔を上げれば、ラズワードの真っ直ぐな背中。少し錆びた剣が、彼の魔力を纏い仄かな光をおびている。  ラズワードの剣が通ったあとに、青白い光がわずかに残っていた。それは瞬く間に強みを増して、激しい閃光を散らし始める。 「……あれは……」  チラチラと空の光を浴びて輝いているのは……氷の粒。ぼんやりとその光の粒を見ていれば、冷たな音がして、地面から氷が生えてくる。それはみるみるうちに増えていき、真っ直ぐに獣たちに向かっていった。 「……」  背筋の伸びた、綺麗な背中。ハタハタと揺れる彼を纏う服。そこからのぞくスラリとした指。白い首筋。  獣たちの体を貫く氷の刃。血を帯びなおも光を受けてきらきらと光っている。彼を中心に広がる氷の柱。美しいそれは、彼の魔力から紡ぎ出されている。 「……眩しい……」  空から覗く太陽の光を反射する氷が、目に辛い。目が眩むような光を背に、ラズワードは振り返る。  ……綺麗だ。  今、目の前に広がる景色がすべて。  氷の柱。きらきらと舞う氷の粒。そして、それを支配している彼が。 「……ハル様」  不安げにラズワードがハルを呼ぶ。   「あの……今の感じで大丈夫ですか? 心臓はとらなくてもいいんですよね?」 「あ……ああ」  ラズワードがハルの方へ歩み寄る。それが視覚で確認出来た時、ハルは思わず後ずさりをした。

ともだちにシェアしよう!