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***  黒が部屋を出て行って、一時間ほど。すっかり空は赤く染まっている。  未だ黒の面影が頭にチラついている。それはただ、ぼんやりと残像のようにふわふわと漂っていて、心を支配するには足りないものであった。  今更ながら、不思議な人だな。  ハルのそんな思案も、こんこん、と小さなノックによってかき消される。 「……あ」  扉をあけて入ってきたのは、ラズワードとエリスであった。ラズワードは多分目立たないようにであろう、地味な色のローブを羽織っている。そんな彼は、ハルと目が合うと、駆け足気味にハルに近寄った。その拍子にフードははらりと外れ、サラサラと髪が風に靡く。 「……ハル様……ご無事で……!」 「ラズ、ワード……」  ラズワードはベッドの傍にしゃがみこむと、はあ、と小さく吐息を吐いてうつむいた。夕日の光が彼を照らして、長い睫毛がきらきらとしている。チラリとハルを見上げたその瞳は、その夕日の赤と、彼本来の深い青が混ざり合って、不思議な色をしていた。  その瞳にハルがドキリとしたのも束の間、エリスがラズワードの後ろに立つ。そして、わしゃ、とラズワードの髪をかき混ぜながら言った。 「……んな心配しなくたってコイツそう簡単に死なねーっての」 「……どういう意味」  妙にイラっとしたのはその言葉のせいか、それとも。なんで二人で来ているんだよ、なんて呪詛が心に浮かんできたが、ハルはそれを口に出すことはない。 「あの、ハル様……一人でお出かけされるのは危険です。今度からそういう時は俺もお供させてください」 「ああ、うん……考えてみる。……でも、今日はおまえがいなくてよかったと思うよ」 「……? どうしてですか?」  ラズワードは不思議そうにハルを見上げた。その青い瞳に自分が映って、心臓がはねたのが自分でもわかった。ドクドクとうるさい鼓動が、唇を動かすなんて簡単な動作すらも封じてしまう。 「……いや」  おまえが一緒にいたら、おまえが傷ついたかもしれない。  その一言は、たぶんいつもならば言えた。自分をしたってくれる臣下とか、そういった人たちにならば。でも何故か、今はその言葉がでてこなかった。言おうとした瞬間、なんだか恥ずかしくなってしまったのだ。  いやいや、別に恥ずかしがることじゃない。誰かに傷ついて欲しくないなんて当たり前の考えじゃないか。  わっと頭の中で言葉が溢れてきて、ハルはラズワードから目を逸らした。なぜだろう。これ以上彼の瞳をまっすぐ見ていられそうにない。 「おいハルー、もう体は大丈夫なんだろ? 今日中にここでれるわけ?」 「……ああ、怪我なんてないし……大丈夫、すぐにでも出れるよ」  いつまでもラズワードを撫でているエリスの手を視界に入れないようにしながら、ハルは答えた。エリスは至って普通にハルの心配をしているようである。言葉は少しぶっきらぼうだが、彼が心の中でちゃんとハルをことを大切に思っていることを、ハルは知っている。  しかし。どうしても今、彼がやっている行動は。  苛々する。  いくら意識しないように、と考えたところで、感情などコントロールはできなかった。湧き上がる苛立ちを抑えるのにも限界が生じてくる。 「あ、あのさ……兄さん」 「おー?」 「……そろそろ、それ……やめてもらえる?」 「それ?」  ハルが静かに言ってみれば、エリスはキョトンとした表情を浮かべた。そして自分の手をみて、ああー、なんて声を上げている。   「悪い悪い、こいつ触り心地よくてよ」 「うん、わかったから。あんまり俺の前でやるな」 「あー、確かに見ていてイイもんではないかー」  抑えていたつもりだが少し声に出てしまったのかもしれない。エリスは苦笑いをしながらハルに謝ってきた。  そんなエリスになんだか無性に苛々としてしまう。 「……っていうか」 「ん?」 「そいつ……俺のなんだけど」 「……へ?」  その苛立ちが、恥じらいとか訳のわからないストッパーとかを壊したのだろうか。この言葉は言ってはいけない、そんなことをいつも無意識に思っていたのに。勝手に唇から言葉が溢れてきて、塞き止められないのだ。

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