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*** ――――― ――― ―…… 「はあー……」  堅いベッドに四肢を投げ出す。施設に来てひと月と少し。毎日行われる戦闘の訓練は大分慣れてきたものだった。始めの頃は明らかに手を抜いていたノワールも、少しずつ本気をだしてくれるようになってきた。それに伴って訓練のあとの疲れは増していくのだが。 「お疲れ」  一緒に牢に戻ってきていつもの定位置に座ったノワールが言う。少しずつ彼は優しい言葉をかけてくれるようになってきた。「奴隷に情を見せるつもりはない」らしいのだが、流石に毎日ずっと一緒にいるとなると、素も出てくるのだろう。彼は善人ではないが、無駄に気の利く、そんな人のように思われた。 「まだ調教まで時間あるね。休んでいていいよ」 「……調教」  戦闘訓練には慣れたが、この調教ばかりはそうもいかなかった。その言葉を聞いた瞬間、ラズワードは気が重くなるのを感じた。 「……今日は、誰ですか?」 「ん? 調教師?」  ベッドに寝転んだまま、ラズワードは尋ねた。  ノワールに対する敬語も慣れたものである。少し前に彼の本性をチラリと見た時からだっただろうか。自分は美しいものに触れられないのだと、自分をひどく貶したあの時。その時から、彼の中にある弱さ、悲しさ。それを感じてしまってから、ほんの少し、極僅か、彼への嫌悪感というか対抗心というか、そんなものが薄れてしまったのだ。心を持っていないとか言われていたこのノワールという人も、同じ人間なんだ、そう心のどこかで感じたからかもしれない。だから、別に彼を尊敬しようなんて思わないが年上なんだし身分も上だし敬語を使ってやろうと、そう思って使い始めたのはいつだったか。 「ラズワードは、誰がいいの?」 「……は?」 「どの調教師がいい? 参考にするから」  ノワールは相変わらずの冷たい目でラズワードを見ながら尋ねる。しかし、気のせいかもしれないがその声は少し優しげである。 「いままで……何人くらいかな。全員覚えている? 調教師によって全然違ったでしょ?」 「どれがいいとか……全員嫌に決まっているじゃないですか……」 「ちゃんと言ってくれないと君が好きじゃないタイプの調教師ばっかりぶつけるよ」 「え」  まるでラズワードがどの調教師の調教を好んでいるかをわかっているようなノワールの口ぶりに、ラズワードは驚き体を起こす。ノワールはフ、と微笑んでラズワードを見ている。 「わ……ワイマンは嫌です……あとヘーゼルも……あと……」  ただ、ノワールは観察力も優れているから、ラズワードが調教されている様を見ていればわかってしまうのかもしれない。その上で苦手な調教師をぶつけられるのは御免だと、ラズワードは必死に記憶を辿る。好きな調教師をあげるのはまるで自分の性癖を言うようなものだから恥ずかしくてできなかったが。 「うん、なるほどね。そうだと思ったよ」 「……やっぱり、わかっていたんですか」 「君は感情をぶつけられるのが好きじゃないでしょ? 調教の中に、その調教師の欲望とか君への劣情とか……そういうのが見えるようなのは好きじゃないよね。ラズワードは残念ながら容姿が良いものだから、調教師の人たちも君に欲情しちゃったりもしているみたいだよ。自分がラズワードの担当になったと知って目の色変える奴らも少なくない。ただ、そういう調教師の調教はやっぱり違ってくるものだね。調教することよりも君と性交することばっかり考えている」 「……いつも見ないふりして……そこまで見ていたんですか」 「見なくても声でわかるよ。調教師達の異様に高揚している声とか。それから反応が僅かに薄い君の声とか」 「……っ」  人の痴態見て冷静に分析するなよ、そう心の中で毒づきながらもラズワードは自分の声を聞かれていたということに今更のように恥ずかしくなって俯いた。ノワールは調教には一切手を出そうとしてこなかったため、ラズワードの中で彼は性に関することとはほぼ無縁な人、と勝手にカテゴライズしていたのかもしれない。 「そうだな……調教師の性格とか……君の反応から見て君が一番好んでいそうな人は……」 「は、反応とか言うな……」 「……アベルかな。ほら、昨日の調教師。覚えているでしょ」  ラズワードはその名を聞いた瞬間、ぞわっと背に寒気がはしるのを感じた。 「き、昨日の人だけは嫌です……! あの人……!」 「そう? 一番感じていたでしょ?」 「だ……だから……その、か、感じすぎて……怖い……」  自分で言っていて恥ずかしくてラズワードは片手で軽く顔を覆った。そんなラズワードの様子に、ノワールは笑う。 「いいんだよ、それで。それくらい感じているってことは君との相性が良いってことだ」 「う、うるさい……! あんな暴力的なのと相性がいいとか……まるで俺が……」 「いいんでしょ? ああいう血も涙もない、ひたすらに快楽だけを与えてくれる人。余計な感情の混じり合いを求めない彼みたいな調教師が好きなんじゃないの?」 「……」  てっきり自分がマゾヒスティックなのではないかと馬鹿にされると思ったが、ノワールに言われて気付く。そういえば彼は他の調教師と違って無駄に触ってくることもなかったし淡々と調教をしていた。ゆえに生理的な嫌悪感も感じなかったし、体こそ苦痛を感じたが心は楽だった。 「どう? アベルが君の調教するように、調整しておこうか?」 「……じゃ、じゃあ……」 「了解」  ノワールは口元だけで笑って手帳のようなものに何かを書いていた。 「……それで……ノワール様……今日は……」 「そんなに気になるの?」 「いや……心の準備」  ラズワードがぶすっとして言えばノワールは吹き出した。  どうせ準備をするくらいには調教に慣れたんだ、とか嫌がらなくなってきた、とか思っているのだろう。非常に不愉快である。 「んー、でもね、ラズワード。今日は初めての人だから準備はできないんじゃないかな」 「……初めて……ああ、そうですか……」 「だってね、今日の調教師は」  ノワールは身をかがめてラズワードの傍に寄る。そしてぽん、と手をラズワードの頭に置くと、にこっと笑っていった。 「俺だから」 「へ」

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