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 布団にくるまった状態で、ラズワードは目をパチクリとさせる。一瞬ノワールの言ったことが理解できなかったが、何度か彼の言葉を頭の中で反芻させ、意味を考え…… 「なっ……え、ええっ!?」  ようやく今日の調教師がノワールだと理解して、ラズワードは間抜けな声を上げてしまった。それと同時に飛び跳ねるようにノワールから離れ、ベッドの端まで逃げる。 「あら、そんなに俺嫌われていたか」 「え、本気で言っているのか……!? だってあんた今まで……」 「ローテーションなんだよ、ごめんね、今日は我慢して」 「……っ」  ノワールは笑っている。  確かに一度、ノワールがラズワードの調教を引き受けたことはあった。しかし、それはラズワードに自慰を強制するといったもので、ノワールは直接手をだしていない。つまり、今回のように、ちゃんとした形で調教をするというのは初めてなのだ。  いつもストイックに戦闘の訓練を共にしていた人。ほかの調教師なんかよりもずっと長い時間、共に過ごし、それゆえにその中身を少し知ってしまった人。  その人に、性奴隷の調教をされる。  ラズワードはなぜか恥ずかしくなって頭から布団をかぶった。まともに顔を見れない、そう思ったのだ。調教師に対してこんなことを思ったのは、初めてのことだった。 「あと30分くらいで始めるからね」 「う、うるさい!」  布団の外から、ノワールが声をかけてくる。その声を聞きたくなくて、ラズワードは叫んだ。  調教は嫌いだ。  見知らぬ人にベタベタと体を触られること、体温を共有すること。気持ち悪くて、そして自分が自分でなくなってしまいそうで。だから、その日にあった調教のことは一刻も早く忘れようと努めてきた。きっと、脳もそういったラズワードの気持ちを理解しているのかもしれない。実際に、調教は嫌な記憶と脳は判断したのか、あまり鮮明には覚えていない。  しかし、どうしても離れない記憶がある。そう、一度ノワールがワイマンとかいう調教師の代わりに調教をしてきた時のこと。実際に体を慰めたのは自分だが、少しだけ、彼も触れてきた。  あの時……彼はどう触ったっけ……  布団の中で、ラズワードは服に手を滑り込ませて記憶を辿る。ゆっくりと……焦らすように、肌を滑らせるように。指の腹で優しくなぞっていく。 「……っ」  何をしているのだろう。外にはノワールがいる。いや、そんなことじゃなくて。誰に強制されたわけでもないのに、自らこんなこと…… 「……ぁ」  まずい、声が出た。ラズワードは慌てて自らの口を塞いだ。  聞かれたら、バレたら一巻の終わり。おまえも性奴隷らしくなった、とそう言われてしまう。それだけは絶対に勘弁だ。プライドが許さない。性奴隷になんて絶対になりたくない。  そう、頭の中で自分に向かって叫ぶ。だから、手を動かすな。これ以上はいけない。  それなのに、手は止まってくれない。あの時の熱を思い出したい。彼の、熱。  人に触られるのは好きじゃないのに。どうしてあの記憶はあんなにもはっきり残っているのだろう。耳元で囁く声。抱きしめられた背に感じた体温。全部、覚えている。 「……」  声が出ないように、必死で口を塞ぎながら。もう片方の手で、あの時の熱を探していた。 「……は、」  くに、と軽く乳首をつねる。びくん、と動いた身体に、すっかり調教されきった自分を恨む。  しかしそんなまともな思考が存在したのも一瞬で。すぐにそれはあの記憶でかき消されてしまう。  責めるようにぐりぐりと摘まれて。いつも穏やかな声をしているくせにあの時は冷たい声をしていて。ああ……今日も、あんな風にやられるのかな。 「……ぁ、ぁ」  口を塞ぐ手が、ブルブルと震えてくる。声を出すな、声を出すな。バレたらヤバイ。  そうやって理性を保とうとする自分の中に、いうことを聞いてくれない欲望がいる。あの時に耳元で言われた言葉を思い出しながら、あの冷たい声に責め立てられる自分を想像しながら。ぐにぐにと指で自分の乳首を苛めた。 「……ん、ぅ」  動けば布団の擦れる音で怪しまれる。声を出せば速攻バレる。自分で自分を追い詰めながら、ラズワードの中で快楽は限界に達していた。 「は、ぁ……あっ」  ビクッと体が弓なりに沿って、視界が暗くなる。びくびくと小さく痙攣を続ける体と、ハアハアと吐息の漏れる唇をどうにかしようと、ラズワードはぎゅ、とシーツを掴む。目を閉じ、快楽の余韻に浸りながらも、なんてことをしたんだろうと自分を苛(さいな)めた。  自慰をしてしまったこともそうだ。しかも、乳首を弄ってイくなんて、本当に性奴隷に近づいていってしまっている。そして、何よりも。ノワールのことを考えながらやってしまったということが、一番の問題だった。  確かにノワールは、思っていた人物像とは違っていた。人の苦しみを悦とするほどには腐った性格はしていない。しかし、だからといって、ここまで心を許していい人物ではないはずだ。いや、もはや心を許すとかいうレベルでなくなってきてしまっている。 (こいつは外道だ……許されるべき人間じゃない……!)  一度イって頭を支配していた変な気分から解放されたというのもあるが、ラズワードは思い直し、体を起こす。つい数分前まで自慰のネタとして使った人を視界に入れるのはなんとなく罪悪感を感じたが、決意を新たにしようとラズワードはノワールを顧みた。 (今日はこいつの言いなりになってたまるか……!)  布団を放り投げて、ラズワードはノワールを睨みつける。例のごとくの定位置に彼は座っていた。  ……が。 「……え」  そこに座っていた彼は。てっきりまた何か作業でもしているのかと思ったが。 「……」  ……寝ている。  腕を組み、頭を垂れて。 「……本当に……?」  あまりにも珍しい光景に、ラズワードはただただ驚いていた。いつも、戦っている時はもちろん、その他の時間も、絶対に隙を見せることはなかった彼である。よっぽど疲れているのだろうか。身体的な疲労は魔術で回復できるから、精神あたりが。  おそらくもう二度とお目にかかれない光景に、ラズワードは興味津々であった。  ベッドから静かに降りて、彼にそろそろと近づいていく。下を向いているから寝顔は見えないが、近づいても反応がないところをみると、本当に寝ているようである。 (馬鹿か……)  そこでラズワードが真っ先に頭に浮かんだのは、ノワールへの罵倒の言葉であった。  気を許しすぎである。散々虐げた人の目の前で寝るなど、ツメが甘いにも程がある。そう、恨みを買っているとは考えないのだろうか。こうして寝ている隙に殺される、とは考えないのだろうか。  ラズワードは、ノワールの寝ている姿を見ている内に、沸々と何かが湧いてくるのを感じていた。  ……今なら、殺せる。この牢は魔術が使えないようになっている。もし、途中で目が覚めたとしても、先に手をだしたこちらのほうが圧倒的に有利だ。  そう、世界を占める悪の根源を。多くの人を苦しめる組織の頂点を。  今なら、殺せる。

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