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「君とその彼はさ、結構長いあいだ友人だったみたいだね」
「……」
「確かに彼は君に恋慕の情を抱いていたわけではなかった。せいぜい綺麗な顔しているな、くらいの認識だったみたいだね。そう、ただの「友人」であり、かけがえのない「大切な人」だった」
イヴが朗々と語り始める。なぜグラエムのことをそんなに知っているのか、これも魔術なのだろうか。ラズワードはそんなことを考えることすらもできなかった。グラエムから愛撫を受けながら、イヴの言葉に耳を傾けることでやっとだった。
「ラズワード、君が奴隷商共に連れて行かれてから、彼は君を取り戻すために必死だった。四六四十君のことを考えて、君のためだけに全てを捨て……君が彼の全てとなっていった」
「……」
「そんな君が突然目の前に現れた……。今まで募らせていた君を想う気持ち……それは爆発していったんだ。どこか昔と変わった君、貴族の奴隷となって美しさに磨きがかかった君……大切な君。「友人」の枠を超えた愛情を、彼は君に抱いてしまったんだよ。たった一晩でね」
ラズワードの制止の言葉を無視しながらもグラエムの愛撫は優しかった。今まで抱かれた人の誰よりも。ラズワードの身体の隅々を味わうように、じっくりと愛撫は続けられていく。
「それでも……君はあくまで「友人」。そして愛を性欲以外の何物でもないという考えをもった君。グラエムのなかで下した決断は、「友人」として君を愛すること。愛は性欲だけじゃないと、君に伝えたかったんだ」
「……、」
ラズワードは身体を愛撫し続けるグラエムを見下ろした。イヴの言葉の真偽はわからない。それでもグラエムが自分を大切に想っていてくれていることはわかっていた。昨日怒鳴りつけてくれてまでそれを教えてくれたグラエムには感謝していた。
イヴの言葉でそれを改めて認識し、ラズワードの胸の中に締め付けられるような不思議な気持ちが湧いてくる。今までまともな愛情を受けたことがなかった。ここまで真っ直ぐに自分を想ってくれた人はきっとグラエムが始めてだろう。嬉しさとも感謝ともわからない、不思議な気持ちだった。
「でも、一度生まれてしまった恋心を殺すことはできなかった。彼は君を目で追いながら、君を自分のものにできない苦しさに心の中で喘いでいた。今君にやっていることをしたい、そんな気持ちを抑えていた」
「……おまえ、まさか」
「俺は人の気持ちくらいなら簡単に読めてしまうからね。彼の可哀想な恋心を供養してやろうと思って、こうして洗脳魔術を使って彼の体を動かし、彼の願望を叶えてあげている。こうでもしなければずっと彼は自分のなかで暴れ狂う恋心に苦しんでいただろう」
「……それなら、おまえは……! グラエムの気持ちを無下にしたってことになるじゃないか……!」
「え? そんなことないけど? こうして洗脳をしている間にも、彼の心は生きている。さっきも言ったじゃないか。『彼の意思だ』と。いま彼は洗脳を受け君を弄びながらも、心のなかで君にこうして触れられることに悦びを感じている。……まあ、ちょっと悪いな、とは思っているらしいけど」
イヴがクスクスと笑っている。グラエムを使って遊んでいるのだと、グラエムのことを馬鹿にしているのだと思うと無性に腹が立ってきた。ラズワードは自分の胸元に顔を埋めるグラエムの頭をそっと抱きしめる。
「ちゃんと君の言葉も認識できているよ。だからさっき君が拒否の意思を示したときは少しショック受けていたみたいだね」
「……イヴ、おまえは……」
「……そろそろ洗脳を解いてあげようか? 君の心も少し動いたことだし? ……『Freilassung』」
イヴの目がカッと見開かれた。目にも止まらぬ速さで腰の剣を抜く。その黒い刀身の剣でイヴが空を切ると、一瞬嫌な音がラズワードの耳に届く。
「――っ」
その瞬間、ラズワードは膝から崩れ落ちていった。体を傷つけられたわけではない。強烈な目眩と、体の震えが体を襲ったのである。続いて過呼吸でも起こしたかのように、息苦しくなってゆく。
「ラズッ……!?」
尋常ではない様子のラズワードに、グラエムが駆け寄った。ラズワードはあまりの苦しさに地面を引っ掻くように砂を握り締める。
「ハッ、思った通りこの魔術への対処法を君は知らないみたいだ」
「……あっ、な、なに……っ」
「あんまりこういう魔術は俺は使いたくなかったんだよね。個人的に好きじゃないからさ。でも、君に効くのこれくらいかなって思ってさ」
イヴが嗤いながら歩み寄ってくる。起き上がることもできないラズワードを庇うように、グラエムがダガーを構えた。しかし、その手は震えている。
「うん、勇敢勇敢。よかったねラズワード、素敵な友人をもって」
「……お、おまえ……まさか」
「ああ、おまえ、俺のこと知ってるの? 服装からしてハンターだもんね、知っていてもおかしくないかな」
グラエムの脳裏に浮かんだのは、とある噂であった。黒髪、赤目。主に精神への異常をきたす魔術を得意とする悪魔。上位ランクのハンターにしかその存在は通知されていなかったが、ハンター達の間で噂になっている悪魔がいる。……なんでも、あの施設のトップのルージュの手を逃れて施設から脱走したらしい。
「おまえ……『ナイトメア』か……!」
「それ天使が勝手に付けた名前でしょう? 俺はイヴ。冥土の土産にこれくらい覚えていってよ」
「……冥土の土産?」
イヴの言葉に反応したのはグラエムだけではなかった。ラズワードは目を見開き、ガタガタと震える体を無理やり起こし、叫ぶ。
「ま、て……! イヴ、やめろ……!!」
イヴはグラエムがダガーを構えていることなど気にもせずに近づいてゆく。グラエムは噂で聞いた目の前の悪魔の恐ろしさに、震えが止まらなかった。焦りから、まともに魔術式を頭に浮かべることができない。それでもラズワードを守ろうと、ヤケになってダガーを振り回した。
「ふっ……まあ、そう怖がらないでよ。君の大切なラズワードはまだ殺す気ないからさ。……まずはちょっと危ないから、君は休んでいてくれるかい?『Paralyse』」
またもやイヴがグラエムの体内のパトローネに命令をだす。その瞬間、グラエムの体は動きを止め、地に伏した。おそらくはラズワードに使った麻痺の魔術と同じであろう。ラズワードが何をするつもりだと目を見張れば、イヴが襟元を掴んできた。そしてそのままグラエムのもとへ引きずられていく。
「君の記憶見たけどさ、水魔術にこんな使い方あったんだね」
「……、なに、」
動くことのできないグラエムは、その様子を見ていることしかできない。イヴがラズワードの額に手を添え、ラズワードの手に自らのそれを重ねる。ぐったりとしたラズワードは、冷や汗をかき、荒く息を吐き、虚ろげな瞳でそれでも心配そうにグラエムを見つめていた。
「グラ……エム……」
イヴがグラエムのシャツのボタンを引きちぎった。そして、そこにラズワードの手を添えさせる。
「素敵な嘆きを期待しているよ」
イヴの紅い瞳の色が深まったような感覚を覚えた。その時、ラズワードが微かにうめき声をあげる。眉をひそめ、苦しげに目を閉じた。ポタ、と彼の汗がグラエムの体に一雫落ちる。グラエムは同時に体に違和感を覚えた。イヴの魔術に散々弄ばれ疲労を蓄積していたはずの体が軽くなってゆく。これはラズワードの治癒魔術。そう気付いたグラエムはなぜこの状況でそのようなことが起こっているのか、と思案した。そして、その答えを思いつく。
ラズワードの状態からみて、今彼は魔術を使える状況にない。イヴが何らかの方法を使って、ラズワードに魔術を使わせている。その魔術は治癒魔術なのだろうか。否。『冥土の土産』、『嘆き』『水の魔術にこんな使い方があったんだ』。イヴの言葉を思い出せば、今この体に使われている魔術など予想はついた。
治癒魔術のその先。昔、ラズワードが狩りの際に使っていた、魔術。
その答えが正解だとでも言うように、体の中で水が茹だるような感覚を覚えた。ブツブツと、グツグツと。気泡が発生しては弾けていく、そんな感覚を。
「……なに、なにを、しようとしている……イヴ……」
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