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――……
何も、言葉が浮かんでこなかった。頭の中は真っ白だ。それなのに、スラスラと唇から歌うように言葉が漏れ出てくるのはなぜだろう。
「――求めてください。……俺のことを全部。貴方が望むのなら俺はなんでもします。この身体も目も心臓も、魂だってすべて貴方に奪われたっていい。……だから、どうか……そんな苦しそうな顔をしないでください」
まるで自分の唇が自分のものではないようだ。自分で発した言葉に自分で驚いていた。なぜこの男にそこまでする必要がある? そしてそのでてきた言葉に自分で違和感を覚えないのはなぜ? まさかこれは自分でも気づいていなかったこの男に対する気持ちとでもいうのか。
ノワールと目を合わせてみれば、彼はふいと目を逸らす。その仕草がもどかしくて、ラズワードは再びノワールに詰め寄った。ノワールは目を見開いてラズワードを見つめるも逃げようとはしない。
「俺は――……」
そのまま、ラズワードはノワールを抱きしめた。びくりと震えたそのか細い体を抑えこめるように腕に力をこめ、彼の後頭部にそっと手を添える。
「怖い……怖いんです。貴方の苦しむ姿、壊れ行く未来……そんな貴方を見ていると、俺は辛くて、痛くて……狂ってしまいそうになる」
「……だったら……見るなよ……俺のことなんて」
「――それができたらとっくにやっています……!!」
ぎり、とノワールを抱く腕に強く力がこもってしまう。ノワールの息を呑む音が耳を掠める。涙をこらえるように吐く途切れ途切れの呼吸音が、酷く痛々しい。
「できないんです……貴方のことが頭から離れない……!!」
一人になったときも、違う調教師に犯されているときにも、ずっとフラッシュバックのように頭に浮かんでくる今までの彼との時間。冷たい瞳も時々見せる笑顔も。剣を振るう最強の男の姿も牢の片隅で静かに本を読んでいた綺麗な人の姿も。全部、全部、消えることなく頭に焼き付いている。彼の笑い方、嘘のつき方、そんなこともわかってくるほどに彼の仕草ひとつひとつに目を奪われていたのかもしれない。
思えば、この施設に入ってからはずっとノワールが世界の中心だった。彼の表情、仕草が心を満たしたていた。まるで自分の心が彼に連動しているかのようだった。だから、彼が笑えば心が暖かかった。彼が苦しめば……泣きたくなった。
見るな? そんなの無理だ。
だって――貴方への想いが俺をつくっているようなもんなんだから。
こみ上げてくる想い。心が焦げてゆく臭いと脳が溶けてしまうような熱。ぐちゃぐちゃと混ざり合う感情の叫びたちを感じながら、ラズワードは自らの頬を伝う涙に気付く。痛いのだ。痛くて涙がでてきているのだ。彼が痛そうだから、怪我をした子供のように、ラズワードは泣いている。
「……ラズワード……泣いているのか……?」
「……だって、ノワール様が……!!」
「……だめだ……俺を見ないで。今すぐ俺から離れるんだ……俺のために泣いたりするな……」
「――どうして……!!」
拒絶、また拒絶。泣きながら拒絶をされてそのまま引き下がることなんてできない。
「ノワール様……!! その強がりになんの意味があるんですか!? そうやって辛いのなら、どうして素直に欲しいものを求めないんですか! 「死」はそんなに悪いことですか! 貴方は「生きている」から苦しいのに……!!」
「……欲しいよ。俺は、おまえが欲しい」
「――っ」
背中に何かが触れるのを感じて、ラズワードはびくりと体を揺らした。するりと背中を滑るそれが、ノワールの手のひらだとわかったとき、おかしくなってしまいそうだった。背に腕を回されて、体が燃え朽ちてしまうのではないかと思った。それでもその淡い抱擁に応えるように、ラズワードは静かに彼の肩に顔を埋めた。
「……俺は……何よりも自分の「死」が欲しい……でも……今までたくさんの人の命を奪った、傷つけた……そんな俺が簡単に「死にたい」なんて言えないんだよ。それに、こんな汚れ役違う人に背負わせたくない。……俺は死ねない。……でも、おまえは俺に「死」を与えてくれるって言った。……俺は、おまえに自分の「死」を映し見ているんだと思う」
「……それなら、いいでしょう。俺を求めてください……」
「うん……俺はおまえが欲しいよ。おまえは俺の「死」なんだ……。でも……それは、だめなんだ。俺はおまえを求めてはいけない」
「だから……どうして……!!」
少しずつ、ノワールがラズワードに身を寄せていく。
「……俺が「死」を欲して「死」を投影しているおまえを求めるってことは……俺はおまえ「自身」を欲しているということじゃない。おまえ「自身」を愛しているんじゃない、俺の「死」を愛しているだけだ」
「……どういう、ことですか」
「……俺が、おまえのことを自己満足のための道具としか思っていないってことだよ……」
ノワールがラズワードの背を掻き抱いて、肩を震わせる。そんな痛々しい彼の背を、ラズワードはそっと撫でた。
「……いいですよ。俺のこと道具と思ってくれても」
「――そんなことできるか……!! だっておまえは……!!」
ひく、と小さなしゃくりをあげ、ノワールは泣く。
「おまえは……こんなに俺のことを想ってくれているのに――……」
「……ノワー……」
「俺のためにこんなことを言うおまえのことを……どうして愛しいって思わないでいられる……? どうして道具みたいに扱える!? 俺の渇望の果てに、おまえを求めたその後 に、ただおまえは俺に使い古されてボロボロになるだけだ……おまえに幸せなんて残らない!! できない、俺はおまえをそんな風にしたくない……!!」
――ああ、そんなことか。
知らぬ間にラズワードは笑っていた。そっとノワールから離れて微笑んでいた。
涙に濡れるノワールの瞳が揺れる。頬に手を添え、触れるだけのキスをした。
「ノワール様、あなたは優しいんですね」
「な、……」
「いいんです。俺のことは道具と思って。俺自身のことなんて忘れてくれていい。見なくてもいい。貴方の望むものを俺に映して、愛してください」
「……でも」
「俺のことを想ってそう言っているのなら尚更ですよ。俺にとって何より辛いのは、貴方が苦しんでいることです。俺のことなんてどうでもいい」
もう一度、唇を重ねた。滑らせるように角度を変えて何度も何度も。ノワールはただそれを受け入れているだけ。しかし抵抗しようとはしない。そっと目を開けて彼の表情を伺えば、彼もまぶたを伏せていた。チリ、と胸が焦げゆく熱、ズキリと痛む心臓。その唇に噛み付きたい衝動をなんとか抑え、ラズワードはそっと唇を離す。
「ノワール様。きっと、俺は貴方を救ってみせる」
「……俺は……」
「大丈夫、貴方は貴方のことだけを考えてください。貴方自身の幸せだけを望んでください。……それが、俺にとっての幸せですから」
「――っ」
ラズワードは笑う。それをみてノワールは辛そうに顔を歪めた。
「……ラズワード……ごめん」
濡れた黒い瞳はどこか熱がこもっていた。ドクンと跳ねる心臓を抑え付けるようにラズワードは目を閉じた。
「――ごめん」
ノワールが、口付けてきた。
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