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*** ――――――― ―――― ――…… 「あの、ノワールさん」  商談が終わって、ノワールを玄関まで送ると言ったのはハルであった。敵意剥き出しの会話をしていたハルが自らそんなことを申し出たことにエセルバートは少々驚いていたが、特に止めることはしなかった。  ハルがそんなことを言ったのは、ちょっとした理由があった。もちろん、ノワールのことを慕っているなんてことはあるはずもない。聞きたいことがあったのだ。  『彼を愛おしいと思っている』。ノワールのその言葉はハルにとって衝撃的だった。ノワールという悪人の口から『愛おしい』なんて言葉がでてくることもそうだし、ラズワードを商品扱いしていた癖にその言葉は矛盾していると思ったのだ。  そして何より、ハルの中ではまたも焦りが渦巻いていた。ラズワードがノワールに対して何らかの感情を抱いていることは間違いない。そんな中でノワールがそんなことを本心から言ってるのだとしたら、彼にラズワードを奪われてしまう、そんな幼い焦りだった。  自分でも「いい加減にしろ」と咎めてはいるのだが、何分ハルは今まで嫉妬とかそのような感情を抱いたことがない。処理の仕方がわからないのだ。できる限り抑えようと心がけながらも、ノワールの本意だけでも聞いておきたかった。 「貴方は、ラズワードのことどう思っているんですか」  まわりくどく聞く時間などない。ハルは直球な質問を投げかける。 「……どう思っているって……私たちにとって最も大切なお客様へ売った商品と思っていますよ」 「そうじゃなくて、さっきのことです。『愛おしい』ってどういうことですか?」  ノワールははたと立ち止まる。そして振り返った顔は相変わらずの仮面。その下がどうなっているのか気になって仕方がない。 「……別に……そのままの意味です」 「……」  この男は聡い人物だと聞いている。ハルの言葉の意図がわからないわけではないだろう。つまり、敢えて明確な答えを隠している。ハルはそう感じ取った。  それならば。質問をかえてやろう。  もっと確信に迫ったものに。 「……じゃあ、貴方はラズワードになにをしたんですか」 「……」  ただ調教師としてあの身体に快楽を植え付けたのか、奴隷として生きるための洗脳をしたのか。本当にそれだけなのか。 「……俺は」  ノワールは静かに言葉を紡ぐ。その声は妙に耳触りの良い落ち着きのある声だった。この声でラズワードに何を言ったのだろう。この声で愛の言葉でも囁かれたら確かに心を奪われてしまうかもしれないと、そんなことを考えてハルの心にはモヤモヤとした不快感がうずまき続ける。 「俺は、彼の未来の奪ったんです」 「……未来を?」  その声色にはどこか陰りが生じていた。まさか罪悪感でも持っているのかとハルは笑いたくなった。数え切れない人の命や幸せを奪ってきたくせに、たった一人の人間のためにそんなことを想っているのかと。なんて自分勝手な男なんだろうと。 「きっと彼は……俺に出会わなければ幸せを手に入れることができたでしょう。生まれ持った魔力のために奴隷になってしまうことは逃れることができないとしても、買われる先は貴方のような心優しい方なのですから。ただ俺に出会ったばかりに、彼はその未来を失ってしまった」 「……どういうことです? 俺に買われることが決まっているのなら未来だって同じじゃないですか」 「……それは」  ふい、とノワールが顔を逸した。  ハルは先ほどからノワールの様子に違和感を覚えていた。それはたぶん、ノワールがこうして言葉を選んで慎重に言葉を発しているからかもしれない。前に会ったときは、彼は残酷な言葉であろうが躊躇わずに発していた。  この様子から察するに、ノワールもラズワードに何らかの想いは抱いている。そんな確信を得たような気がして、ハルは心臓に嫌な痛みが走ったのを感じた。 「……俺は彼に永遠にとけない呪いをかけたのです……その呪いはきっと、彼がどんな幸せの中にいたとしてもずっと付き纏うと思います」 「呪いってなんですか」  ハルはチラリとラズワードのことを思い出す。ノワールについてラズワードが話すときの彼。酷く辛そうな顔をしていた。 「……愛の誓いです」 「……、」  ガン、と打たれたような衝撃が頭に走った。  調教師と奴隷が一体どんな状況にあったらそんなものを交わすんだ。調教される側の奴隷が調教師に洗脳に近い愛の感情をもってしまうのはわからないわけでもないが、このノワールが一人の奴隷に「愛」の感情を抱くのか。「誓い」はお互いの想いに相違があっては成り立たない。つまり…… 「愛の誓いって……まさか、貴方たちが恋人ってことは……」 「……」  なんだ、その沈黙は……。肯定と捉えていいのか。  ハルのなかで浮かぶ、最も聞きたくなかった答え。頭が真っ白になって言葉が浮かんでこない。 「……でも、」 「――ノワール様?」  ノワールの言葉を遮ったのは、ハルではなかった。聞き慣れたその声に、ハルは血が引いていくのを感じた。は、と顔を上げた先にいたのは、やはり。 「……ラズワード、なんで」

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