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「今日取引先の相手からいいワインもらったからよ、飲むか?」
「い、いえ……結構です」
やたらと饒舌に話しかけてくるエリスに、アザレアは始終戸惑いっぱなしであった。エリスは自分のことをどこまで知っているのだろう。今エリスは何をしているのだろう。不安だけが胸の中を渦巻いて、アザレアはまともにエリスと目を合わせられなかった。もう随分と前に彫られた刺青がなぜか痛むような気がした。
ソファに隣り合って座ると、いろんなドキドキが混ざり合って吐気を覚えた。冷や汗がでてくる。エリスがいつ、自分を罵倒しだすのか。そんなことばかり考えてしまう。
「なあ、アザレア」
「……」
「おまえ今、恋人とかいる?」
「え、……いるわけないじゃないですか。特定の人と関係を結ぶのは禁じられていますから」
突然の質問にアザレアはサッと血の気が引くのを覚えた。思わずでた言葉は、エリスが自分の境遇をどこまで知っているのか試す言葉。エリスはこの言葉にどう反応するのだろう。こんな姑息なことを考えて、正直に打ち明けようとしない自分が酷くみっともなく思えたが、今のアザレアにはそれが精一杯だった。こんなに堕ちても、たぶん、まだエリスのことが好きだったから。
「ふうん、ああ、あとさ、もうアザレアって戦ったりしてないんだろ」
「そ、そりゃあ……だって私の職業は……」
「じゃあ断る理由ないよな」
「え?」
エリスはおもむろにポケットに手を突っ込むと、小さな箱を取り出し、それをアザレアに突き出した。訳がわからず目をパチクリとさせるアザレアに、エリスはその箱を押し付ける。
狼狽えながらアザレアはその箱を受け取った。古びたその箱は、金属部分が錆びていて少し開けづらい。ゆっくりと箱をあけて、そこに入っていた小さな光にアザレアは息を飲んだ。
「――アザレア、俺と結婚してくれ」
箱に入っていたのは、指輪だった。
ぐら、と気を失いそうになった。真剣な眼差しで自分を見つめてくるエリスから目をそらせなかった。
どう断ればいい。だって、だって、自分は今。こんなにも穢いのに。
「で、できません……! だって、私……もう数えきれない男性と寝てきた、穢い女なんです! 私を救おうとしてくれたラズワードにも酷いことを沢山言った、性根の腐った醜い女なんです! そんな私が……どうして貴方のような方の妻になれるっていうんですか……!」
「……そんなこと言って欲しいんじゃない。おまえの素直な気持ちをきかせてくれよ。俺を今でも好きなのか、そうじゃないのか。それだけ答えろ」
「……私は、……だって、怖い……こんな穢い身体で、エリス様のお側にいる自分を想像すると怖くて……」
「……」
「あ、」
エリスはわずか目を細めたかと思うと、静かにアザレアを押し倒し、その背をソファに沈めた
そしてアザレアのシャツの胸元のボタンを外してゆく。アザレアは目を見開き、慌てて抵抗した。刺青が見られる、その恐怖に体を震わせた。しかし、エリスはそんなアザレアの手を掴むと、襟元をハラリと開く。
刺青は、はっきりとエリスの瞳に映った。
「み、ないでください……みないで……エリス様、お願い、貴方にだけは……」
「アザレア」
ぽろぽろと泣き始めたアザレアをみて、エリスは辛そうに顔を歪めた。刺青をみてもあまり驚かないところを見て、ああ、この人はもう全て知っているのだと悟ったアザレアは、すべてが終わったような気分になった。せめて、このまま会わなければ。こんなプロポーズを受けなければ。もう少しだけ、この人との幸せを夢見ることができたのに。
心が割れた、そんな感覚を覚えた。100年の恋が、夢物語が、泡沫に消えて行った。
……しかし。そんなアザレアの涙が、すっと、エリスの指に拭われた。はっと息を飲んだアザレアの胸に、エリスは唇をよせ、刺青に口付けをした。
「あのさ、俺、全部知ってるよ。アザレアがディーバにいたことも、全部。その上でアザレアにプロポーズしてんだけど。ついでにいうともうお父様にも許しもらってるし」
「え……なんで、なんで私なんか……エリス様、勘違いしてるでしょう、私がいやいや淫売していたと、そうおもってるでしょう、違いますよ、私はもう最近は……悦んで、自ら浅ましく男を……」
「俺、おまえが今まで誰に抱かれたとか興味ねぇんだわ。俺だってアザレアに会っていない間色んな奴抱いてきたしな。な、だからさ」
エリスは顔をあげる。そして、そっとアザレアに口付けた。
「俺を、おまえの最後の男にしてくれないか」
「……ッ」
「もう剣を持っていないおまえのことは、俺が守る。誰にもおまえを渡さない。だから……俺と結婚してくれ。アザレア」
「え、エリス、様……!」
今度こそ、アザレアは声をあげて泣いてしまった。真っ直ぐに自分を見つめてくるエリスの眼差しに心が焼き切れてしまいそうだった。抱きしめてくれたエリスの背に手を回して、こみ上げる胸の痛みと熱い熱い恋情に、エリスのことをきつくきつく抱きしめた。
「はい……はい、エリス様……ずっと、ずっと貴方のことをお慕いもうしておりました……、どうか、私を……これからも、貴方のお側にいさせてください……!」
「……ああ」
微笑んだエリスの笑顔に胸がぎゅっと締め付けられた。触れた唇の熱さに心臓が溶けてしまいそうになった。部屋のライトを受けたプラチナリングの淡い光が、目に染みて。また、泣いてしまった。
――古びたジュエリーボックスの意味に、アザレアは気付いただろうか。その指輪が、100年前につくられたものであったということを。
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