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ラズワードの瞳がリリィをとらえる。リリィは一瞬で魔物たちを一掃され驚きはしたものの、冷静を欠いてはいなかった。静かにラズワードを見つめ返し、微笑んで見せる。
「やっと、本気になってくれたのね。それじゃあ、私も本気で戦うわ」
リリィの周囲に――巨大な、赤い魔法陣が出現する。今までの魔法陣とは桁違いの禍々しさに、さすがのラズワードも息をのむ。
――ジャバウォックが来る。
次にリリィが召喚する魔獣を悟り、ラズワードは生唾を呑んだ。可憐な少女が召喚するにはあまりにも不釣り合いな、気味の悪いオーラ。魔法陣から放たれる赤いプラズマは、その異常性を垣間見せる。
ジャバウォックーールージュとなった女のみが使役できる、魔獣の王だ。対となる、ノワールのみが使役できる聖獣の王・グリフォンとはまるでその性質が違う。グリフォンが光なら、ジャバウォックは闇。グリフォンが生なら、ジャバウォックは死。この世の悪という悪を喰らいつくしたという化け物、ジャバウォックが――今、リリィによって召喚される。
『――クク、リリィよ……貴様、私を使役する気か。そこの小童とのつまらぬ決闘のために』
「……、」
――しかし。
いつまでたっても、ジャバウォックが召喚される様子はない。それどころか、リリィの顔色がどんどん悪くなってゆく。
「……私の覚悟を賭けた戦いよ。付き合いなさい」
『ハッ……ノワールのことを想ってのものだろう? つまらぬ。つまらぬつまらぬ。貴様にとっては大きなことだろうが、私にとってはつまらんにもほどがある。私はノワールのことなどどうでもいい』
「貴方、私の契約獣でしょう。逆らうな」
『いつになく強気なお姫様だ。しかし、興が乗らん。面倒だ』
「……」
なかなか現れる様子のない、ジャバウォック。ラズワードは一向に変化のないリリィの召喚の陣を見つめ、眉を顰めた。
リリィは、ジャバウォックと契約してまだ間もないという。そもそも従えることが困難だというジャバウォックを、まだ契約の浅いリリィが従えることができるのだろうか。それに、ジャバウォックは契約者にとってかなり負荷の大きい契約獣だともいわれている。リリィには、ジャバウォックを扱いきれないのではないか――リリィの様子を見ていたラズワードは、そう思った。
ジャバウォックを召喚できないのでは、決闘も始まらない。ラズワードには、どうしてもリリィ本人には手を出せないのだ。ただ黙って彼女の召喚を見守ることしかできず、敵を見守るというなんとも不思議な状況に陥ってしまう。
「……貴方が従わないというのなら、私も容赦しない」
『……なんだと?』
暫くラズワードが見守っていると――魔法陣に、変化が現れた。
光が強くなり、そして放たれるプラズマの量も一気に増えてゆく。
「二重契約。従わない貴方が悪いのよ。これよりおまえは私の奴隷。命令に従いなさい、ジャバウォック!」
『……っ、二重契約だと!? 貴様、どこでそれを知った――』
二重契約――それは、召喚魔術における禁忌である。
通常、契約者と契約獣は、双方の同意により魔力によって繋がれる。契約獣は命令に従う対価として、契約者より相応の魔力を与えられるのだ。この繋がりには一定の信頼が必要で、そもそも信頼が全くない状態では契約が成立しない。
二重契約とは、契約の呪文を二重にかけることによって、契約者が一方的に契約獣と契約し、そして強制的に命令に従わせる魔術である。これによって契約獣は契約者に逆らうことができないが――その代償は、大きい。二重契約の場合、契約獣にかかる負担が凄まじい。そのため、契約者が術を解いたその瞬間――大抵の場合、怒り狂った契約獣によって、契約者は殺される。契約を解かずとも、契約者にすきができれば、そこを喰われてしまうだろう。
それを――リリィはやろうとしているのだ。最凶の魔獣・ジャバウォックを相手に。
ただ、ノワールを救うためだけに。
「魔獣の王――貴方が私の悲願を遂げたなら、そのときは……私の子宮と魂を貴方に捧げましょう。貴方の子を成してあげる」
『……貴様、気が狂っているのか……! この、俺を相手に、二重契約だとォ!? ただではすまないぞリリィ! 契約が解けたその瞬間――テメェの腹に俺の種ぶちこんでやる! テメェの子宮がぶっ壊れようとなァ!』
「……おだまり。私の命令は、絶対よ!」
リリィの目は、ラズワードをとらえ続けたまま。魔法陣はどんどん禍々しくなってゆくというのに、リリィの表情は美しさを増してゆく。強い殺意と決意――それが宿ったその瞳に、ラズワードは魅入られた。
「夕火 の刻、粘滑 かなるトーヴ 遥場 にありて回儀 い錐穿 つ 総て弱ぼらしきはボロゴーヴ、かくて郷遠しのラースのうずめき叫ばん――! 応えよ、我が名はリリィ・デルデヴェール! 今ここに、この命のもとに――服従せよ、ジャバウォック!!」
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