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 ラズワードと恋をしていたときは、まるで夢の中にいるように幸せだった。白黒の世界が色付いてゆくような、じわりじわりと心に沁み込んでゆく幸福感。何もない、虚の世界で生きていたハルだから、その眩しさはハルにとって尊くて、無意識に儚くて、その恋は何よりも大切だった。  終わりが来ることなど、考えていなかった。そして終わりが来た時に、自分がどうなるかなど予想もつかなかった。 「――……」  ラズワードと過ごした粉雪のような日々の夢を見ていたハルは、目を覚まし――息を呑む。  ラズワードは、起きていた。腰にシーツを纏い、ハルに背中を向けて体を起こしている。視線の先は――窓の外。いつの間にか降っていた雨を、見つめている。  『お茶を淹れましたよ』、いつもそう言ってハルに微笑みかけるラズワードは、きらきらと綺麗だった。その姿がラズワードという青年の本質なのだと思っていたハルは、雨を見つめるラズワードの姿に驚いた。彼の背中は、こんなにも仄暗いものだっただろうか。彼の体を縁取る光は、こんなにも昏いものだっただろうか。 「ラズ、」 「……ハルさま」  名前を呼べば、ラズワードは振り向いた。哀しそうな目でハルを見下ろして、ふっと微笑む。 「雨が……降ってきましたね」 「雨、好きなの?」 「いえ……特に」 「……そっか。吸い込まれるように見ていたから、好きなんだと思った」 「……そんなに、見てましたか、俺」  ラズワードは無意識に雨を凝視していたらしい。ハルに指摘されれば、自嘲するように瞳をゆがめて、俯いた。その表情の意味がわからないハルは、しかし妙な胸騒ぎを覚えて、ごくりと唾を飲み込む。不愉快なほどに、のどが渇く。 「俺は……太陽が、好きなはずなんですけどね」 「……っ」  ――ラズワードは、たしかに太陽の下が好きだった。明るい日差しの中で笑っていた。しかし――自覚することもできず、今のラズワードは――雨に焦がれている。冷たい、翳りに。  もう、ラズワードは自分のそばにいられない――そうハルは確信してしまった。彼は幸せなど求めていない。幸せを捨ててまで、不幸の先にある何かを求めている。 「……ラズ」  ぞわりとハルの中で黒い何かが蠢いた。獣、いや、蟲――悍ましい何かが。自分の知らない感情に、ハルは焦る。しかし、その正体もわからないまま――ハルは、ラズワードを引き倒す。そして、その上に覆いかぶさった。

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