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「ひ、氷高……だから、俺……この先誰かとその……き、キスしようとか今は思ってないから、練習はいらない、……」 「夜の公園はキスをするには最高の場所ですね、契さま」 「だから話を聞いて!?」  広い公園の中を歩いていき、二人は噴水の前までやってくる。水面に街灯の光が反射して、夜だというのにきらきらと眩しい。契がちらりと氷高を見上げれば、水面の揺らめきが氷高の頬と体に映っていた。  ……なんだか。すごく、氷高が大人っぽく見える。元々見た目はかっこいいけれど、この夜の公園の雰囲気が相まって、艶っぽく見えるのだ。夜の漆黒に溶ける黒髪と黒い瞳に揺蕩う水面の光。どきりとして、なぜか、息が詰まった。 「この場所は完璧ですね……契さま。ロマンチックなファーストキスの練習にもってこいの場所です」 「いやだからですね……俺はキスをする予定はないので、練習はいらないって言ってるんです! っていうか、ファーストキスって初めてのキスだろ! ファーストキスに練習なんてないから!」 「おっといけない、練習にかこつけて契さまのファーストキスを奪う計画を口を滑らせて言ってしまった」 「なんなんだおまえは!?」  せっかくの雰囲気が、氷高の発言で台無しである。  契がどんどん本性を露わにしてくる氷高にげんなりとしていると、氷高がにこやかに笑う。 「さあ、そういうわけですので、ファーストキスをください、契さま」 「はあ!? 嫌に決まってんだろおまえ!」  変態執事にファーストキスをやるのなんざ、ごめんだ。  契はぐいぐいと迫ってくる氷高を押し返して、キスを拒絶した。どうせするなら、もっと紳士的でとろけるようなキスをして欲しい。氷高にならできるはずだ、こいつの潜在能力はこんなものではない、キスをするなら本気をだせ氷高!   心のなかでこんな悪態をつく契の気持ちなど、氷高は知る由もなく。ひたすらに拒絶されて、氷高はがくりとうなだれたのだった。 「くっ……今の俺にはまだ契さまとキスをする資格がないということか……徐々に好感度をあげなければいけないと……」 「そういうのを口にしちゃうところがだめなんだと思うよ」 「契さまが俺のキスだけで腰がくだけてしまうというのが、俺の夢だったのに……」 「そういうのを口にしちゃうところがだめなんだと思うよ」  かっこいい氷高などここにはいなかった。情けなくも座り込み、キスを拒絶されたことにめそめそと嘆く、ダサい男。噴水の前に来た瞬間の氷高は、すごくかっこよかったのに。口を開いた瞬間ダメダメになった氷高に、契も思わず笑いそうになってしまった。  ……俺のことになるとかっこよくなるようで、超絶キモくなるんだな。なんて。  契は氷高の前に座り込むと、わしゃわしゃと頭を撫でてやった。「?」とどんよりとした顔で自分をみてきた彼をみて、ついに吹き出す。 「……予約くらいなら、させてもいいけど?」 「……え?」 「……どうせこの先、氷高よりいい人なんて、現れないし。俺の……ふぁ、ファーストキス、氷高だけに予約させてやる。もっとかっこよくなっったら、あげてもいいよ」 「……契、さま」  照れながら、それでいてふんぞり返りながら契は言った。  これだけ一心に自分を想ってくれる執事・氷高。キモいとは思うけれど、嫌いになれるわけがない。彼になら、ファーストキスをあげても後悔は絶対にしないだろう、契はそう思ったのだった。  ……それに、時々見せるちょっといじわるで大人っぽい彼にキスをされたら……ちょっと、嬉しいかもしれない、なんて。 「……契さま。それは、卑怯ですよ」 「え? 卑怯って――」  そんな、ちょっと期待を込めた顔をした契を見て。氷高は、時が止まったような錯覚を覚えた。  心臓の鼓動が急激に加速し、血液が体中に一気にまわって、体が熱くなる。理性など、溶かしてしまうくらいに。 「契さま――」 「ん――……!?」  頭の中が、くらくらする。  抑え込んだ情動が、暴れ狂う。  氷高は、衝動のままに契の腕を引っ張り――そのまま、唇を奪ってしまった。バランスを崩した契は、抵抗をすることもできず……そのまま、氷高のキスを、受け入れる。   「……、……!」  ……え?  なに?  俺、キスされている!?  一瞬、衝撃で思考がふっとんでいた契も、徐々に自分のおかれている状況に気付いた。ファーストキスを、奪われた、ということに。 「……え、えっと……」  唇が離れ、うっすらと開かれた氷高の瞳とばちりと視線が交わる。切れ長でまつげの長い、色っぽい瞳に至近距離で見つめられ――契の体温がかっと上昇した。 「よ……よ、予約って言ったじゃん……なに、今、してんの……」 「……あまりにも、契さまが愛おしかったので」 「いっ……愛おしいって……ば、ばかじゃないの!」  ……嫌じゃない。今のキスに、不快感など一切覚えなかった。むしろ……ちょっと、足りないなんて、思ってしまった。  腕を掴む、力強い手。見つめてくる、熱視線。静かな吐息と、甘い熱。  契の言葉を無視して、突然ファーストキスを奪ってきた氷高。そんな彼に、間違いなくドキドキとしてしまっている。それを、契は自覚した。聞き分けの悪い、ただの変態執事のくせに。今のキスは……正直、かっこよかった。 「め、命令違反だぞ、氷高! なに俺のファーストキスを奪って……」 「欲望にはあらがえませんでした……すみません……」 「謝り方キモい!」  しかし、かっこよかったのは一瞬。すぐに、いつもの変態に戻ってしまう。  抱いたような気がするときめきも、すぐに砕け散ってしまった。契はため息をつきながら、氷高の手を引いて立ち上がる。……怒る気にはなれない。……別に、嫌ではなかったのだから。 「も、もう練習は終わりだろ。帰るぞ、氷高」 「……は、はい」 「……また今度、してよ。普通に、デート……」 「……! ……!? ……!!」  さあ、もう屋敷に帰ろう。  帰路に就く契を、氷高がきらきらとした目で見つめる。今度は……練習ではなくて、本番のデートができるのだろうか。それを思うと、氷高はにやけが止まらなかった。  ……そのにやけ面を契に見られて、また「キモい」と言われたのだが。

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