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氷高の部屋のベッドは、契の部屋のベッドより少しランクダウンする。そのため、単純な寝心地は契がいつも使っているベッドの方がいいのだが……なぜか、契には氷高のベッドがやたらと心地よく感じて、しばらく契は氷高のベッドにもぐったままでいた。
(いい匂い……)
人のベッドでこんなことを勝手にやってはいけないとわかっているが……あまりの心地よさに、契はうとうととし始める。もう、今日一日こうしていたい……そんなことまで考えてしまう。一応、今日の簡単な予定は決めていたのに。そう、たしか……以前、氷高が勧めてきた、エーゴン監督という有名な監督が制作した映画のBlu-rayを観る、という予定。「エーゴン監督は、私が世界で最も尊敬する監督の一人です」と英語の教科書に載っている和訳文みたいなことを言って、氷高はそのBlu-rayを紹介してきた。氷高がそうして熱烈に何かを語るということも少ないので、どういったものだろうと気になったのだ。
もうちょっと、ゆっくりしたらベッドから出ようと思う。今は、氷高の匂いに包まれていたい。
契はぼんやりとしながら、スマートフォンに手を伸ばした。布団にもぐりながら、特に意味もなく、色んなアプリを開いてみる。クラスメートたちからいくつかメッセージが来ていたが、今は返事をする気になれず、それは後回し。
SNSを一通り見ていき、最後に――絃も登録している、世界的にも利用者数の多いSNSを開いた。正直、契はこれが気になっていたのだ。気になりすぎて、後回しにしていた。絃の投稿の中に――氷高の情報がないかと、期待していたのだ。
「父さん投稿しすぎ……これも仕事のうちなのか……」
同級生たちの投稿のなかで、絃の投稿はやたらと目立つ。難しい言葉を多用している上に、写真がいちいち派手なのだ。そのせいで余計に投稿数が多く感じられるが、契はそれらを一つ一つ、見ていく。
……しかし、あたりまえだが氷高の情報など一切なかった。絃の投稿は、一企業の社長として投稿しているもの。付き添いの執事の情報など、乗っているわけがない。時々、写真の端に小さく顔が写り込んでいるくらいだ。
契はがっくりと肩を落としながら、画面をスクロールしていく。ちょくちょく入り込む、同級生たちが恋人と楽しそうにしている投稿にイラッとしながら。ぼーっと流れていく画面――ある一つの写真に、契は「え」と思わず声をあげてしまう。
「えっ、……これ、……」
『エーゴン監督とお会いしました』、そんなことが書かれた、記事。そこに書かれている文章には、絃とエーゴン監督が実は知り合いであったこと、そして今日は一緒にバーへ行ったことなどが記されている。そして――そこに添付された写真には。エーゴン監督と絃、そして、嬉しそうにしている、氷高の姿。
冷水を浴びせられたように、全身が冷えていった。そして、バクバクと不愉快な動悸に胸が苦しくなった。
氷高が、尊敬する人物。そして、一緒に映る、嬉しそうな顔をした、氷高。
「……」
見知らぬ、腐敗臭がした。
初めて――自分のなかにある感情を、醜いと思った。
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