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――時は数時間前にさかのぼる。 「あれっ、久しぶり、執事さん!」 「――ゲッ、貴方ですか……お久しぶりです、篠田様」 「ゲッ……って、どんだけ僕のこと嫌いなの、君……」  契を学校に送ったあと、今度は真琴を仕事場へ送った氷高は、そこで莉一に出くわした。まさか莉一に会うなどとは思ってもいなかった氷高は、心も準備もできていなかったためか、莉一に露骨に渋い顔を見せてしまう。どうも氷高は前回の別れ際に莉一に言われたことが気に入らないようだった。「3Pしよう」と、その一言が。もちろん、それは莉一が半分冗談で言ったことだったのだが。  莉一は真琴に挨拶をすると、にやにやとした顔で近づいてくる。氷高は契や真琴の前では絶対に見せないような嫌悪丸出しの目で莉一を見つめていたが、莉一はそんな氷高すらも可愛いと思っているようだ。嫌な顔ひとつ見せることがない。 「ねえー、氷高さん。鳴宮家ってさ、氷高さんみたいに若い執事を他に雇っていたりする?」 「は……? いえ……私くらいの歳の執事は他にいませんが……。メイドになら、女性の若い方が何人かいらっしゃいますけど」 「はあ~。じゃあ、アレは氷高さんのことか」 「アレ?」 「……カレンちゃんが鳴宮家の若い執事さんとデートするんだってうきうきしてたけど」 「――ンッ、ぐふ」  莉一は氷高に――突然、爆弾を投げてきた。またからかいの一つでも言ってくるのだろうと思っていた氷高は、思わぬ攻撃に動揺しまくりである。氷高の反応に「正解」であることを悟った莉一は、楽し気な顔をして氷高に身を寄せてきた。そして、ほかの人たちに会話が聞こえないように顔を寄せてくる。 「動揺しすぎでしょ、氷高さん。っていうか氷高さんもすみにおけないね~。あのカレンちゃんとデートの約束を取り付けるとは」 「ま、待ってください……それ、みんな知っているんですか……?」 「いや、まさか。僕とカレンちゃん、結構仲がいいからね、そういう相談されるんだよ」 「……天樹さんは、なんと……?」 「『久々に好きな人できちゃいました……! 真琴さんのところの若い執事さんなんですけど、すっごくかっこよくて……あ、顔だけじゃないですよ、あのビシッとしたところがもう素敵なんです! デート誘ったらオッケーしてくれて……どうしよう、こんなにときめいたのいつぶりかな……! あ、誰にも言わないでくださいね☆』……って」 「……そう、ですか」  何もかもが莉一にバレている。それを悟った氷高は、額に手を当てながら深くため息をついた。そしてやはりカレンは氷高に恋心からデートに誘ったらしいと知り、断らなかったことを後悔する。  これではまるで―― 「氷高さん、まさか浮気するとは思わなかったよ」 「ち、ちがっ……俺は別に天樹さんのこと……」  ――浮気だ。  氷高は契と恋人関係にはないが、契に対しはっきりと告白をしている。しかもそれを契に受け入れてもらっている。あんなにも自分の気持ちに本気で応えてくれた契を不本意とはいえ裏切るこの行為は、結果的には浮気にほかならない。  しかし、そこまでデートを楽しみにしているというカレンに今更断わりを入れるというのも、罪悪感が生まれてしまう。 「僕としては構わないんだけどね。君から契くんを奪えるチャンスだ」 「だ、誰が契さまを渡すものですか」 「あー、契くん、きっと悲しんでいるだろうな。契くん……なんだかんだ君のこと、……。っていうのは僕が言うことでもないと思うけど、ちゃんと慰めてあげないとだと思うんだよね。ねえ、契くんを僕に貸してよ」 「はあ? 嫌に決まっているじゃないですか」 「……契くんは君と一緒にいることを嫌がると思うけど」 「……っ、」  『浮気者』――契が自分に言ってきた言葉を思い出し、氷高は血の気が引くのを覚えた。  契は……深く傷ついていた。きっと、もう――顔も見たくないと思っているに違いない。    しかし、謝るにも、謝れない状況。氷高が契と恋人であったなら、「浮気」という行為を謝れただろう。しかし、関係性が明確でない以上、契に対して「浮気」について謝罪しても、契は納得がいかないだろう。でも、実質この行為は浮気に近いもので、契も『浮気者』と言ってきて…… 「……っていうか、今の氷高さんが契くんと話したら余計に色々こじれると思うし。氷高さんも頭冷やしたら? 眉間にしわ寄ってるけど」 「……え」 「……僕が契くんに話を聞いておいてあげるよ。氷高さんはその間に土下座の練習でもしていればいい」  頭がごちゃごちゃとしてきて、わけがわからなくなって。そんな氷高に、莉一はいやらしく微笑みかける。 「……土下座」  謝罪は、するべきだ。契を傷つけてしまったのだから。しかし……何を、契に謝るべきなのだろう。自分のどの行動が、契を傷付けたのだろう。  たしかに莉一の言う通り、氷高には熟考する時間が必要だった。契のことを好きではあるが、それゆえに契の考えていることを見抜くことのできない氷高は、下手に謝れば契を余計に傷つけてしまう可能性がある。 「……あの。俺は、……篠田さんに契さまをあげるとは言ってませんからね」 「……僕がいいか氷高さんがいいか決めるのは契くんだけどね」 「……篠田さん。……すみません。……それから……」  莉一に、契のことを頼む。  それは、氷高にとって苦渋の決断であった。しかし、愚かな自分のせいでこれ以上契を傷付けるのも嫌だった。せめて、カレンとの関係をはっきりさせてから契と話をしたかった。今の状態では、何を言っても言い訳にしか聞こえないだろう。  氷高は莉一に頭をさげる。莉一は少しばかり驚いたような表情をしたが―― 「……ありがとうございます」 「君たち……ほんと、馬鹿だよね」  ふっと笑って、くしゃくしゃと氷高の頭を撫でてやった。

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