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「契くんってすっごく食べ方綺麗だね。やっぱり、そういうのもしつけされるの?」 「……まあ、……テーブルマナーとかそういうのは一通り」 「いやあ、すごいなあ」  莉一は契を連れて、有名なレストランに来ていた。莉一が会員になっているレストランで、ついた席はVIPルームだ。人目を気にせず食事ができるので、気に入っている。 「契くん、氷高さんのこと怒ってる?」 「全然」 「……ほんとに?」 「いや……だって、別に付き合ってるわけじゃないし。氷高が誰と何しようと、それを咎める権利は俺にないんで」  契は出された食事に「おいしいですね」などと言いながら、もくもくと手をつけている。食事自体は喜んでいるように見えたが……機嫌が良いようには見えない。莉一は苦笑いをしながら、なんとか契の気持ちを聞き出そうと奮闘した。 一応、恋敵との約束がある。 「でも、契くん苛々してない?」 「……そう見えますか」 「うん。もし、思うことあるなら氷高さんに言っちゃったほうがいいと思うよ。君たち二人して不器用だから、こじれたらなかなか修復できないもん」 「……」  契はチキンソテーを口に運びながら、ちら、と莉一を見る。なんだかその目が据わっているように見えて……莉一は思わずぎょっとしてしまった。  あまり、いい展開を望めないように思える。まだ、ショックを受けているとわかりやすい顔をしていたなら、いくらでも慰めようがあった。しかし、年相応の感情の起伏を全く見せないその瞳は、どこか危うげで。下手な言葉が起爆剤となってしまうような気がして、莉一は思うように会話を進めていくことができない。 「……本当に、氷高には何も怒っていないんです。氷高は悪いことをしていない」 「失望とかはしてないの?」 「いいえ、全く」 「氷高さんの行動に傷ついたでしょ? それなら氷高さんに怒ってもいいんじゃないの?」 「……まあ、……その……違う人とデートするっていうのは、哀しかったけど……怒ってはいないんです。氷高からそれを聞いたときは本当にショックでうっかり「浮気者」とか言っちゃったけど、俺、全然氷高にイライラとかしてなくて」 「……契くんって、そもそも氷高さんのこと好きなの?」 「……」  契は、氷高を責めるつもりはないと、そればかりを言っていた。莉一は、その言葉があまりよくないように思った。言いたいことを言えない関係というのは、長く続かないからだ。  しかし、契は我慢しているようには見えなかった。氷高を責めるつもりがないというのは、本心なのだろうか。浮気をした相手に対して全く怒りが沸かないというのも、莉一にとっては不自然なことであったから、敢えて尋ねてみる。「氷高のことを好きなのか」と。  ――尋ねてみれば、契は黙り込んだ。食事をしていた手を止めて、うつむいてしまう。 「……わかりません」 「好き、って感じじゃないの?」 「……莉一さんが言ってる「好き」って、付き合いたいかどうかってことですよね? 俺……そのへんが微妙っていうか……」 「今の関係のままがいい、みたいな?」 「いや……その……氷高と、……そ、そういうこと? するのは、す、好きだし……氷高が俺のことを見ていてくれるのが、すごく嬉しいけれど……でも俺、付き合うって考えるとつっかえちゃうんです。自分と氷高が恋人になっているところを、想像できない。だって……氷高と俺は、……釣り合わない」 「ーー……!」  ――あ、と莉一は思う。  今ので、すべてが繋がった。  契は、氷高に対して後ろめたい気持ちを持っていたのである。それが何に起因するものか、ということは莉一にはわからない。しかし、浮気めいたことをされても怒らない、恋人という関係に進むのに踏み切れない……それは、自分は氷高に不釣り合いだと契が思っていたから。  少しばかり、莉一は驚いた。契はどちらかと言えば、自分を絶対だと思っている俺様タイプだ。莉一はそういった態度をとる契を目の当たりにしたわけではないが、顔つきを見て大体わかる。絶対に、他人と自分を比べて自分を卑下することなど、ありえない。たとえ氷高がどんなに容姿が優れていて頭が良くても、だ。  では、契は何故――?  そんな莉一の疑問は、契が答えてくれた。契は――莉一が思っていたよりもずっと、自分自身のことをわかっていたらしい。 「覚悟が、違っていた。氷高は、自分の夢を捨ててまで俺の執事になるって言ってくれた。その想いに、俺のこんなふわふわした想いは釣り合うのかなって――そう思った。そんな俺と一緒にいて、氷高は幸せになれるのかなって……思った」 「……契くん」 「俺は、氷高の覚悟に釣り合うくらいに、氷高を幸せにする力があるのかって……時々怖くなりました。ずっと昔に氷高と約束した、『世界一のご主人様になる』って言葉に、今の俺はどのくらい届いているんだろうって最近はそればかり考えて……」 「……、」 「……氷高は、役者を見る目がある。そんな氷高から見ると、俺は天樹さんに劣っていた。俺が演技したことないとか、天樹さんがプロだとか、そんなことは関係ない。氷高の世界の中で、俺はすべてにおいて一番じゃないといけないのに……俺は負けた。だから、氷高が天樹さんに興味を持とうと、それを止めることなんて俺にはできません」 「でも――氷高さんのすべてにおいて一番になるなんて、不可能でしょ。それこそ演技の話になっちゃったら、普通の高校生の契くんはカレンちゃんに勝ち目なんてない」 「……それくらいの、覚悟が必要ってことです……! なんなら俺は俳優にだってなんだってなってやります。とにかく、一番じゃなきゃだめなんです、氷高の人生を奪うなら、それくらいの覚悟がーー……!」  契の言葉はあまりにも気迫がこもっていて、さすがの莉一も口出しすることができなかった。  契が考えていることは、一見「異常」である。ある種の強迫観念すらも感じさせる契の論理は、莉一も少し引いてしまうほど。  しかし――そんな莉一の覚えた不安は、杞憂に過ぎなかった。一歩間違えればどこまでも自分を追い込んでしまうようなことを考えている契であったが。 「……俺、……氷高に、……ただ、幸せになってほしいんです……」  糸が切れたようにぽろぽろと涙を流し始めた契の瞳は、美しかった。  莉一は思う。これが、不器用な彼が、不器用なあいつを愛する方法なのだと。

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