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「……」
「氷高?」
「あっ、いや」
実際に契が雑誌に載ったこと、学校中の生徒に騒がれていたこと――そんなことがあったためか、氷高は少しだけ契に接するのに緊張してしまっていた。学校が終わって、いつものように迎えにいって、そして家に帰ってきて――部屋で、二人で過ごしている時。自分は契と対等でなくてはと思っているのだが、どうしても怖気づいてしまう。
これでは契に失礼だ。それはわかっているが――どうしても、前のようにぐいぐいいけない。無意識に、契を雲の上の存在として考えてしまっていた。
「おーい、氷高?」
「はいっ!?」
「……何もしないの?」
「なっ、何もとは……」
「だから……その……き、キスとかさ、……」
「んなっ……」
あんまりにも氷高がもだもだとしていたせいか――契は焦れてしまったようだ。むっとしたような顔をして、下を向いている。
やってしまった――氷高は青ざめた。
契は、俺のためにここまで来たのに。それなのに、その俺が、こうなってどうする。いつものようにふるまえなくては、彼の努力が水の泡ではないか。氷高は怖気づいてしまった自分を叱咤するように、ぎゅっと強く拳を握りしめた。
「せ、契さま……」
ベッドに座る契の前に、氷高が跪く。そして、じっと契を見上げて手に触れる。
まず、指先に……口づけてもいいだろうか。そう思って、そっと唇を寄せて……
「氷高」
「はいっ!?」
「口にしろ」
「……はっ……はい、……」
……契さま自ら唇へのキスを命じてくるなんて。
氷高は胸がいっぱいになってにやけそうになった。しかし。
「……、」
なかなか、キスをすることができない。
跪いた状態では、距離が遠すぎて唇を重ねることができない。もちろん、自分が立ち上がればいいのだが……なんとなく、この状態が一番心地よかった。自分が、契を見上げる――この状態が。
――おかしい。
氷高は、自分の状態に疑問を覚えた。自分は、契の躍進を誇りに思っている。そして、自分がそんな彼を支える存在であるべきだとわかっている。それを心に決めた。それなのに。彼と二人きりになって、彼を自分のものにできる時間―ーそれがやってきた瞬間に、怖気づいた。
なぜ?
その原因が、氷高自身もわかっていない。普段、生活しているときは、そう迷わないでいられるのに。今になって、なぜ……?
「氷高」
「はい、……」
「おまえ、俺にびびってるだろ」
「なっ……何を言って、……」
「俺が仕事始めてから、氷高はあんまり俺に触れてこなくなったから。俺から何かすれば嬉しそうにしてくれるから俺のことは好きでいてくれるんだなってわかるんだけど……自分からは、してこない。氷高は自分のことを下に見すぎるから。……違う?」
「……あ、」
――そうだ。
契を好きになる覚悟は決めた。契と共に生きていく覚悟も決めた。どんどんまぶしい存在になっていく契の隣に立つことも決めた。けれど――契を自分のものにしたいという欲望は、抑え込んでいた。ずっとだ。ずっと――彼を「欲しい」なんて恐ろしくて思うことができなかった。
それが、彼と恋人になると決意した氷高にとっての枷となった。恋人という関係になるということは、彼の心を奪うこと。彼の体を我が物にするということ。それを強く意識してしまって、彼に触れることを憚れたのである。
「……貴方が、どんどん遠い存在になっていくような気がした。けれど、俺は……そんな貴方にふさわしい男になろうと、強く在りたいと思った。そうやって必死になっていると……胸のなかが、ぐちゃぐちゃになるんです。貴方の隣に立てる男になったその先で……きっと俺は、貴方の全てを欲しくなる。それが、怖くて……」
「なんだそれ」
「な、なんだそれと言われましても……」
氷高の言葉を聞いた契は溜息をつくと、氷高のネクタイを引っ張り上げるようにして立ち上がった。半ば無理やり立たされた氷高はおろおろとした目で契を見下ろす。
「強欲な執事だな。俺は、俺の体も俺の心も俺の未来も――もう、おまえにあげたんだけど。ほかに、何が欲しいんだよ。おまえがビビるほどのもの? 俺の心臓でもあげようか」
「……ッ、俺はまだ……そんな……」
「欲しいって言ってない? ……それは、……ずるいよ、氷高」
契がぽす、と氷高に抱き着いた。いつもなら抱きしめ返すのに、氷高はそれができず――うろたえるばかり。
ずるい、なんて。なぜ、そんな……
「氷高は……俺のことが好きってだけでもいっぱいいっぱいなんだって、わかっている。でも……俺は、氷高が欲しい。すごく欲しい。俺がこんなに欲しいって思っているのに、氷高が思ってくれないのは、悲しい」
「おっ……思っています……! 俺は、俺自身が怖くなるくらいに、契さまの全てが欲しいと思っています……! けれど……けれど……契さまのことを、俺のそんな穢い想いで穢したくない。俺は、貴方が思っている以上に……醜い想いを……貴方に……――ん、」
契の切なげな姿に引きずり出されるように、本当の気持ちを吐露してしまうと――契に、唇をふさがれた。驚きに目を見開く氷高の視界に、離れていった契の優しい瞳が映る。
「醜いなんて誰が決めたんだよ。おまえ自身だろ?」
「……契さま、」
「俺が赦すよ。氷高は、俺にどんな想いをいだいてもいい。俺に何をしてもいい。怖がらなくていいから。俺は、おまえのご主人様なんだから、何があっても壊れたりしない」
「――……」
契の手が、氷高の頬に触れる。氷高はその手に自らの手のひらを重ねると――目を細め、今度は自分から唇を重ねた。
――契さまの言葉は、魔法のようだ。ただそう言ってくれただけで……本当の自分に、素直になれるような気がする。
――貴方が欲しい。俺は、貴方が欲しい。
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