2 / 10

第2話

食料や武器の積み込みを済ませた船は、出航準備を続けていた。 「よお」 ようやく現れた諜報部少佐は、小柄でメガネをかけている。 白っぽいシラキ達の軍服とは違い。黒を基調とした色合いだ。 「…お前ね、事あるごとに俺を使うなよ…」 シラキは顔を見るなり呟いた。 部下たちに聞こえないようにひっそりと。 「私情は挟んでない。お前が適任だと判断したんだよ」 「…嘘つけ…」 シラキがさらに睨みつけて呟くと、ミズタはわざとらしく咳払いをした。 「中尉!何か問題はあるか」 「いえ、ありません」 とっさにシラキが姿勢を正して敬礼をすると、ミズタはニヤリと笑った。 ミズタの指示のもと辿り着いた島は一見普通の田舎の小島だった。 船は沖に隠れて停泊し、軍服を脱いだシラキ、ミズタ、カワニシの三人で小舟で島へ上陸する。 密やかに活気を持つ港を抜けて、街へ向かう。 のどかな田園もあり、人々の格好も慎ましく、奴隷商人が巣食うような街には見えなかった。 ミズタが案内するのはさらにその奥。 というより、島の裏側。 崖の端まできて、ミズタが覗き込むように地面に伏せた。 カワニシとシラキも従って同じようにする。 ゆっくりと崖から顔を出すと、崖をくり抜いて作ったような小さな街。 小さな港もある。 人相の悪い男たちが船を取り囲み、周囲を見渡していた。 ミズタがそっと無言で指差した先には崖の中腹に取って付けたような小屋。 二人が頷くと、そこを目指して一旦崖から離れた。 窪みを見つけて這い降りていく。 「おいおい、結構な重労働じゃないかよ」 思わずカワニシがぼやくほど、足場は悪く、体力を使う。 二人より体力的に劣るミズタを補助しつつ、下っていくと、すぐ近くの窓へと辿り着いた。 中を見渡して、入り込む。 足音を消して、中を調査する。 細い岩作りの廊下にボロく、腐りかけたような扉が点在し、こっそりと覗くと中には鎖が散らばっていたり、異臭がしたりと酷い有様で。 「誘拐してきた人をここに一時的に監禁しているんだろう」 ミズタが小さく呟く。 「酷い」 シラキは鼻を摘みながら、眉を寄せた。 身を潜めて確認した窓からは港が見える。 階段などはなかったが、ゆっくりとした坂で降っていたらしく下に近付いていた。 「上から攻めるのは無理だ。下からじゃないと」 「港も使えないぞ。狭すぎる」 「迂回してくるしかなさそうだな」 崖を下りきった先には上からは見えなかったが広いホールがあった。 「ここで競売にかける気だな」 ミズタにつられて覗き込んだホールの先に、またひとつ小さな部屋が見えた。 微かに見えるのは壁に張り付けられた人達。 「今夜の商品か?」 カワニシが嫌そうに言う。 同じく返そうとしたシラキに一人の捕虜が目に入った。 食い入るように見つめて、喉を鳴らす。 「…あり得ない…」 思わず漏らしたシラキの声に二人が反応する。 「どうした?」 急に飛び出そうとしたシラキをカワニシが慌てて抑えて、ミズタもとっさにシラキの口を押さえた。 シラキはカワニシの腕から逃れようと暴れる。 シラキの取り乱しように首を傾げながらも、先程からシラキが視線を外さない先をミズタも確認した。 「…う、そだろ…」 ミズタも同じく驚愕する。 「ありゃ、テラサキじゃねーか」 カワニシも確認したらしく呟いた。 それからシラキを振り向く。 シラキはカワニシの腕を引き剥がそうと、爪を立てて来る。 「シラキ、落ち着け!」 シラキは目を見開き、少し青ざめている。 一度も視線を外さない。 微かに見える張り付けられた人々の中で、長身で細身の、ひときわ鞭で責められたのか血だらけの姿で、両手を壁に張り付けられ、足にも枷が付いているのが見える。 項垂れる他の捕虜と違い、顔は正面を向き、無表情で目を閉じている。 顔にも傷がある。 「カワニシ、一旦離れるぞ」 こんな状態のシラキを同行させては調査どころではない。 作戦自体にも支障がでかねない。 力づくでシラキをカワニシに押さえつけさせて、迂回して突入するはずの経路を逆に辿り始める。 ホールをカワニシに押さえつけられながらも離れる直前に、シラキは確かにテラサキと目があった。 船に戻ってきてもシラキは落ち着かず、階段に座り込んだまま手を組み、その手に顎をつけるようにしてじっと空中を見つめていた。 なぜ。 どうやって。 いつから。 疑問は尽きない。 ただ言えるのは、シラキがテラサキを取り逃がした後に捕まってしまったことになる。 他のクルーは、助けに来ないのか。 考え込むシラキをカワニシは無言で見下ろしていた。 そこへ静かにやってきたミズタが小さく言う。 「テラサキの件は報告した。手を出すな、との命令だ」 ばっと顔を上げたシラキにミズタが眉を寄せる。 「テラサキは海賊だ。救出の価値はない。作戦は一般市民の解放を目的としている」 「だけど!」 あのまま放っておけば、近々行われる競売でテラサキが競り落とされる。 奴隷? あのテラサキが? シラキにふつふつと怒りがこみ上げていた。 許せない。 「命令だ」 「………」 長年追ってきた海賊を救出の名目で拿捕できるチャンスなのに、手を出すなという命令。 海軍は明らかにおかしい。 もちろんシラキもおかしい。 捉えるために追いかけてきた海賊が、奴隷として囚われているのを目の当たりにし、こんなにも動揺している。 しかも助けたいと思っている。 助け出して、逃がしたい。 そう考えていた。 もう一度ぎゅっと手を組んだシラキを、ミズタは眉を寄せて見下ろし低く繰り返した。 「テラサキには手を出すな」 シラキは決して頷かなかった。 夜、闇がすっかり辺りを包み込んだ頃。 シラキはこっそりと船を抜け出した。 そして昼間辿った道を再び歩き出す。 作戦は夜明け前に実行されることになった。 調査で発見した迂回経路での突入を目指す。 だからシラキは作戦への支障を考えて、崖上からの侵入を試みた。 もし気づかれた場合に、迂回経路を意識させては一般市民の救出という作戦が遂行できなくなってしまう可能性があるからだ。 昼間の窪みは夜には深い真っ暗な落とし穴のようだった。 予想はしていたので縄を落として、慎重に降りる。 静まり返る中を足音に気をつけながら、ホールを目指した。 だがテラサキは昼間の部屋にいなかった。 他の捕虜と分けられたようだ。 慌てて周辺を探し回る。 奴隷商人達はテラサキの価値を知っているらしい。 そう考えながら探していると、今までの見窄らしいドアと違って鍵のついたドアを見つけた。 近くには警備をしているものも見える。 慎重に人数を確認する。 3人。 武器は腰の剣のみ。 シラキは壁に背を向けながら、静かに近付き、順に気絶させていく。 相手は素人らしくあっさりと倒させた。 1人から鍵を取り上げ中を覗くと、探し人がいた。 倒した三人を中に入れ込んで、テラサキにそっと近付く。 「…見間違いじゃなかったか…」 近付ききる前にテラサキが静かに呟いた。 シラキを見ると、微かに微笑む。 いつも、シラキをみつけると浮かべる微笑み。 この笑みをみると、シラキの胸はいつもざわつく。 「…独りか?…」 シラキは答えずにテラサキの手枷足枷を外した。 「とうとうあんたに捕まる時が来たか」 傷だらけの顔で楽しそうに微笑まれ、シラキの胸が痛んだ。 「逃げますよ」 そう言ってシラキがテラサキに肩を貸す。 そのシラキをテラサキが驚いたように見つめた。 「捕まえるチャンスだぞ、二度と来ない」 「わかってます。でも僕はこんなあなたを捕まえても嬉しくありません」 テラサキの腕を首に回し、腰を支える。 思った以上に細い腰にどきりとした。 近づくと香る血の匂いに胸が締め付けられた。 テラサキを抱え、来た道順を逆に辿る。 案外、警備が手薄なのが気になった。 警備らしい警備に出会ったのはテラサキが捉えられていた部屋と、帰り道にばったり鉢合わせた二人だけ。 奴隷の脱走や、海軍の介入などないと決めつけているようで。 ただの奴隷商人の組織、ではないかもしれない。 そんな考えが浮かんだものの、今はテラサキを連れ出すのが先決。 奴隷商人達とも海軍とも鉢合わせたしたくない。 海軍は、テラサキを捉えたらどうするだろうか? 即刻、処刑? それとも別の? 自分も海軍で、実際に捉えようと追いかけてきたくせに、シラキの中で海軍に渡してはいけないという気持ちが強くなってきた。 一番の手こずったのは窪みだった。 テラサキは体力を消耗しているのか縄を掴み続けていることが出来なかった。 「置いていけ。後は自力で逃げる」 早々に諦めを口にするテラサキにシラキは苦笑いした。 「そうしたいんですけど、出来ないんですよ。自力で逃げるにしても逃げ道はここしかないんです」 首を傾げるテラサキを無理やり背中に乗せ、縄を手に巻きつけるようにしてなんとか這い上がった。 降りる時の何倍もの時間を要して窪みを這い上がると、シラキは膝をついた。 いくら軽いといっても、ただでさえ足場の悪いところを大人を抱えて登ったのだ。 体力の消耗が著しい。 このまま逃げるのは得策ではない。 シラキはそう判断し、予め見つけておいた洞窟内に身を隠した。

ともだちにシェアしよう!