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第5話
海軍島へ着くと今度は石の牢獄へ移された。
その一角には他に囚われている罪人もいない。
何度か訪れたことのある監獄と違い、静まり返っていた。
「すごい特別待遇だなあ」
苦笑いが出る。
ここでも微かに光を取り入れる窓が一つあるだけ。
牢獄の物悲しさを示しているようで、笑える。
罪人には空を仰ぐことすら許されないらしい。
落ちて初めて知る現実だった。
ふと近付いてくる靴音に振り向いた。
拷問、などはないが面会もない。
微量の食料が1日1回運ばれてくるだけだ。
それ以外には音の聞こえる範囲に人はいなかった。
思わず見つめた檻の端に現れた人物にシラキは眉を寄せた。
「…なんできたんだ…」
「失礼な奴だな。親友に会いに来ちゃ行けないのか」
黒基調の軍服に身を包んで、縁なしメガネをかけたミズタ少佐だった。
今は諜報活動を主に行っているため、海軍島にはあまり近づかない。あの作戦の後、またどこかへ出かけているはずだった。
「それはどうも。こんなところで悪いな、お茶も出せない」
「ふん。笑える」
「………」
「………」
お互い黙り込む。
視線も合わせない。
「シラキ」
沈黙を破ったのはミズタだった。
檻の前に仁王立ちして、手を前で合わせている。
だが視線は足元に落ちたまま。
「…説教なら聞かないからな…」
「そうじゃない。…カワニシが辞めた…」
思わず振り向いたシラキをミズタは見ようとしない。
「表向きは家業を継ぐといっていたが、お前を捕まえなきゃならん海軍に愛想を尽かしたようだ」
「……カワニシさんは、前から今の海軍に不満があったから…」
シラキは窓を見上げた。
「だが、お前がきっかけになったのは確かだろう」
「……まさか、ツジさん、も?」
「それは引き止めた。俺とカワニシで」
「…そう…」
「色々問題がある海軍だが、本当に正義を通したいなら辞めるべきじゃない。そう、説得した」
「…それは、自分に言い聞かせたんじゃないのか…」
「…………」
また沈黙。
「シラキ」
再び、ミズタが声を出す。
「…やだ…」
「…まだ何も言ってないぞ…」
「お前がわざわざこんな所に現れたんだ。目的は一つしかないよ。…だから、やだって言った」
「………」
「お前を道連れにするつもりはないよ。お前には俺と約束した野望があるだろ?それを果たして貰わないと、困るからな。俺の面倒にお前が犠牲になる必要なんてないんだ」
シラキは寄りかかった壁に後頭部を擦り付けるようにして、窓を見上げる。
ミズタはそんなシラキをちらりと見ると、再び目を伏せた。
「…不可能、かも知れない…」
「珍しく弱気なんだな」
「…弱気にもなる。親友の処刑など誰が見たがる?」
思わずシラキから苦笑いが漏れた。
「ごめん。でも俺は俺の正義を通しただけ。後悔もしてないし、約束を違えた気もないよ。…それでもお前が俺を連れ出すというなら、俺に剣をくれ」
「………」
「お前を巻き込むくらいなら、ここで自分を終わらせる方を選ぶよ」
ミズタが髪をくしゃくしゃと掻きむしった。
「…言うと思ったよ。この頑固者め」
「お前に言われたくないよ」
「…確実なんだぞ…」
「絶対やだ」
「………」
黙り込んだミズタが少しだけ顔を上げた。
シラキも池ミズタを振り返ると、ふわっと笑った。
「ほら、行けよ。お前がここにいると怪しまれる。俺たちの友人関係は上も知ってるんだから」
ミズタはあからさまな舌打ちをした。
それからすっと体を横に向けた。
「俺は諦めないからな」
「…ばか。こういう時は諦めるんだよ…」
「やだね」
そう言ってまた靴音を立てて去っていった。
「ばか。本当に、何もするな。諦めろよ」
シラキは祈るように手を組むと、そこに額を押し付けた。
幼い頃から二人で海軍に憧れて、それぞれの野望を抱いて海軍に同期で入隊した。シラキは正義を貫き弱者を助けたいと、ミズタはそのためにも海軍のあり方に疑問を抱き、頂点に上り詰めて改革をと。それをお互いに約束をした。
ミズタがその半ばシラキの野望ありきな野望を遂げるために、下げたくもない頭を下げ、プライドが高いくせに時に諂いながらも出世していったことをシラキは知っている。
もしも、自分を助けたりすればそれらが全て無駄になる。
これまでの苦労も努力も全て。
例えシラキが居なくなっても、シラキと同じ野望を持つものは少なくない。
カワニシやツジがそうだ。
他にも数人知っている。
ミズタはそんな彼らのために上り詰めてもらわなくてはいけないのだ。
「…ミズタ、頼むよ…。俺に構うな」
小さな窓から月が見えていた。
あれからミズタは現れない。
やっと冷静に自分の立場を理解して、諦めてくれたのならいいが。
冷たく青ざめる月を見ていると、最後に見たテラサキを思い出してしまう。
シラキの行動を理解できない、そんな顔をしていた。
自分でもよくわかっていない。
ただ海軍に渡してはいけない、そう思った。
ずっと捉えるつもりで追いかけていたのに。
繰り返し蘇る記憶が、微かな感触さえ再現する。
細く硬い体。小麦色の肌に滑らかな感触。
腕の中でしなり、乱れていた。
甘く、熱い吐息。
思わず手を握りしめ、それを眺めた。
捉えたかったのはこの腕の中。
ほんの数時間、手に入れただけだったが、最後に触れられたのは神の恩恵かも知れない。
…慈悲、か。
シラキはくっ、くっと笑い始めた。
神など今まで信じたこともないくせに。
じわじわとこの陰気な孤独が自分を蝕んでいると思うと、我ながら笑えた。
海軍はよほどシラキを生かしておきたくないらしい。
その1日後には処刑が決まり、その夕方には執行されることになった。
法の審判にもかけられなかった。
まあ、今の海軍には法に乗っ取って執行される刑はほとんどないが。
手足に枷を付けられたまま、引きずるように光の元へ出された。
長く光から離れていたため、目が痛んで開けることもしばらくできなかった。
やっと光になれた時、視界に移ったのは嘲るように自分を眺める観衆。
ぞっとした。
そのあまりにも冷たい視線が、人のものとは思えなかった。
首に荒々しく縄をかけられ、誰かが罪状を読み上げている。
色々と身に覚えのない罪が雑多に並べられていたが、否定する気にもなれなかった。
よくあることだったからだ。
捕まえた海賊達があらぬ罪を被せられ、この処刑がいかに正義かと観衆に知らしめるために海軍本部がでっち上げるのだ。海賊でない者も中にはいた。
海軍将校に逆らっただけ。
そんなものですら、見せしめに海賊に仕立てられ、処刑される。
シラキもその現状を目の当たりにして、海軍に対する不信を抱いた。
だからこそ、ミズタに正して貰えわねばならないのだ。
見渡した会場にミズタの姿はない。
安堵した時、足元が崩れ、首に全体重がかかった。
苦しみの中、思い出したのは親しかった者たちや家族の顔。
そして一度だけ手に入れた美しい人。
最後に見たのは残念ながら、その美しい顔が歪んでいたが。
朦朧とする意識の中で、はっきりと浮かんでくるその顔。
声。
「シラキ‼︎」
幻聴を聴いた、そう思った時、どこかで爆発音がして同時に体が落下した。
どさりと地面に足から落ちて、転がった。
何が起きたのか、理解できない。
確かに死んだと思ったのに。
急に肺や喉に入り込んできた酸素に思わず噎せて、強く咳き込んだ。
「シラキ!」
体を抱き起こされ、見上げるとあるはずのない顔が近くにあった。
「え、テラサキさん?」
テラサキがシラキの首の縄を解き、手足の枷をナイフで切り取る。
「な、どうして…あれ、僕、死んだのかな…」
ぼーっとする頭を振りながら呟くと、シラキの腕を肩に担いだテラサキが笑う。
「せっかく来たのに死なれては困るな」
「船長!急いでください!」
顔を上げると、少し先でアイカワが大きく手招きをしていた。
そのさらに先でムラサキが海兵を相手にしているのが見えた。
「行くぞ、シラキ」
「…え、ええ…」
シラキを抱えるようにして歩き出したテラサキをぼんやりと眺めて、だんだんと意識が覚醒してくる。
テラサキが助けに来たのか?
自分を?
なんと無謀な。
こんな海兵だらけの島に、たった5人で。
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