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2-2:生徒会の依頼
一年の猫羽優斗と学校で……な事があってから一週間。私は不思議なほど平和な日常を送っている。
秘密の手帳が何者かによって盗まれ、それを理由に脅されて生徒と破廉恥な関係を結んでしまった翌日は、流石に動揺が隠せなかった。
どうやって帰って来たのか分からない。最後の記憶は教室の後ろで、経験のない快楽と気怠さに倒れ込んだ所だ。なのに翌朝目が覚めると自宅のベッドの上、体もさっぱりとしている。
誰かが運んだのか? 風呂まで? 猫羽では無理だろう。そもそも手帳はどうなったんだ。教室の片付…………既に誰かにバレていないか?
パニックになりそうな気持ちに「落ち着け」と自分に言い聞かせて早めに登校した。
今頃一年の教室で淫行の跡を見つけた誰かが犯人探しをしていたら。誤魔化しきれるのか? いや、無理だ。
私は辞職も覚悟していたのだが、職員室には落ち着いた様子でコーヒーを飲む緑川先生がいるばかりで混乱など起こっていなかった。
「早いですね、白鳥先生」
「え! あぁ、いや。昨日少し、やり残した事が……」
適当に言い訳をし、慌てて机に荷物を置く。そこに緑川先生が来て、ふと正面からジャケットの襟を正し、少し跳ねていた髪を直してくれた。
「珍しいですね、服装が乱れている。よほど、お急ぎだったのですね」
「あぁ、ははははは……」
なんとか愛想笑いを浮かべるのが精一杯だった。
その後隙を見て昨日の教室へと向かったが、何の痕跡もない朝の教室の光景が広がるばかりだった。
何が起こったのか分からない。既に一週間も経っているのに落ち着かない。なぜなら元凶の手帳No.5が未だ見つからないままなんだ。
昼休み。
前の授業の様子や進捗状況を書き込み、次の授業の内容を確かめてからの食事。私は弁当を持ってカフェテラスへと向かう。
少し前までは職員室で食べていたのだが、そうもいかない事情ができてしまった。
カフェに行くとすぐに彼が目に付く。わざと跳ねさせた髪が猫の耳にも見える少年は大きなピンク色の猫目をこちらへと向けてニヤリと笑う。私はそこに向かい、正面に座った。
「先生遅いよぉ。俺、腹減った」
「食べたんじゃないのか」
「そりゃ、パンは食べたけどさ。でも、先生の弁当も楽しみなんだもん♪」
身を乗り出して目を輝かせる猫羽に、私は溜息をつきながらも密かに嬉しかった。
事の起こりは学校での情事から二日後の昼休み。突然職員室に現れた猫羽にドキリとした。とうとうアレがバラされてしまうのかと、気分は断頭台の上だった。
猫羽は人懐っこく私の所にくると数学のノートを広げ、「ここ教えて」と言ってきたのだ。
どういうつもりだ? 脅しにきて、またあんな事を強要しようというんじゃないのか?
私の困惑など知らぬ顔で、猫羽は弁当を見ると唐揚げを摘まみ上げ、口に放り込む。その後は感動したように目を輝かせた。
「美味い! これどこの?」
「いや、私が作ったものだが……」
「マジで! 先生料理するんだ! もしかして、全部手作り?」
「あぁ……」
「すげぇ!」
職員室であまりに大きな声で言われ、注目を浴びた私は縮こまる気分だった。
美味しそうに他のおかずにも手をつけ、いちいち「美味しい」という猫羽は年相応の少年らしい無邪気さがある。だが彼は同じ無邪気さで私を弄んだのだ。
これにもきっと裏がある。私の油断を誘い、気を許した瞬間にまた何処かにつれてゆかれてあんな……恥ずかしい事をされるに違いない!
警戒に硬くなりながら猫羽を見ていた私は、だがそれが杞憂だと知った。猫羽は私に妙な要求をすることもなく、翌日も教科書とノートを持って職員室を訪れ、お弁当をつまみながら数学の教えを乞うた。そして真面目に勉強をしていった。
聞けば猫羽は毎日を購買の焼きそばパンとパックジュースで過ごし、朝食も取るか取らないか、夕飯もコンビニ弁当か外食だと言う。
私の目は曇っていたのかもしれない。年頃の少年だ、過ちを犯す事もあるだろう。満たされない心を持て余しただけなのかもしれない。
事実今、猫羽はとても満足そうに私の弁当を食べているし、性的な要求もなく、とても素直に勉強をしている。これが本来の猫羽なのだろう。
間違った事を正し、健やかな体と心を育てていく。それも教師の役目だ。食欲が満たされ、こうして触れあう時間で気持ちが満たされていれば、もうあのような間違いを起こすこともない。
なにより、生徒に慕われるということがまずなかった私は屈託なく笑い、美味しそうに弁当をつまみ食いする猫羽に悪い感情を持てなかった。
私はそれから毎日カフェで食事をし、弁当のおかずを増量している。栄養バランスに気をつけ、育ち盛りの彼の腹が満たされるように考えて。
今日のメニューは昨日多めに作った肉じゃがとほうれん草の白和え、豚小間の生姜焼き、ミニトマト、卵焼きは少し甘めの味付けに、デザートは苺。少し多めに作った俵型のおにぎりも入れた。
猫羽はそれを私以上に食べている。本当に美味しそうに食べるものだから、私も嬉しい。思えば自分が作ったものをこんなに喜んで食べてくれたのは、猫羽が初めてじゃないだろうか。
「そういえば、この間教えた問題は理解できたのか?」
卵焼きを食べながら私は聞いた。
猫羽は「苦手」と言うが、しっかりと教えればちゃんと理解をしてくれる。そして、一度理解してしまえばその先は早い。「分かった!」と嬉しそうにされると、私も自然と嬉しくなる。こういう時だ、教師になって良かったと思うのは。
「バッチリ! 小テストも八十五点だった。俺、数学であんな点数取れたの初めてだよ」
「理解出来れば問題ないんだ。お前は頭がいいんだからな」
これは教え方の問題なのか、それとも猫羽本人の授業に対する姿勢の問題なのか。単純に苦手意識があって拒絶反応、なんてことも考えられる。特に数学嫌いを口にする生徒の大半はこれではないかと思う。苦手だと思う意識が根付き、数字を見るだけで考える事を拒否してしまう。だが分からない所まで一度立ち戻り、そこから丁寧に教えれば……
「どうした?」
思考に囚われていた私はふと視線を上げる。その先で、猫羽が赤い顔をして、何ともいえない緩い笑みを浮かべていた。
「先生、いい人だなって」
「なんだそれは」
「へへっ」
訝しむ私に明確な理由を言わないまま、猫羽はデザートの苺を摘まみ上げて行ってしまうのだった。
昼休みも残り十分程度。
職員室へと戻る最中、私を呼ぶ声に足を止めた。
「白鳥先生」
「白雪?」
呼び止めたのは三年の|白雪黎(しらゆきれい)だった。生徒会長という役職に就く才色兼備な優等生で、全校生徒が憧れている。
気品のある中性的で美しい顔立ち、雪のように白い肌。背に落ちる長い白髪までもが姫に相応しい上品さを演出している。通常長髪は顔にかかって野暮ったくなるが、彼はサイドの髪を適度な位置で短くしているからか、スッキリとしている。
白雪姫。その名に違わぬ、白が似合う少年だ。
だが、なぜ呼び止められたのか。私は彼の担任ではないし、あまり関わりがない。彼のクラスの数学担当ではあるが、今まで彼から授業に対する意見や質問があったことはない。
「どうした?」
「実は先生に大事なお話がありまして」
「大事な話?」
「はい。生徒会の事で少しご相談があるのです」
控えめな笑みを絶やさないままの白雪に、私は今度こそ首を傾げてしまう。
生徒会は重要な役割を持っている。そこの指導をする先生もベテランで、とても私のような若輩がしゃしゃり出る場はないはずだが。
「先生にしかお願い出来ない事なのです」
綺麗な柳眉が下がるのを見て、私はひとまず頷いた。生徒が困っているのだ、教師として助けないわけにはいかない。
「分かった」
「有り難うございます。つきましては本日放課後、お時間よろしいでしょうか」
「あぁ、空いている」
「よかった。では、生徒会室でお会いできますか? ちょっと職員室では、お話ができない事でして」
「? あぁ」
職員室では話しのできない重要な事。一体なんだろうか?
疑問に思いながらも、私は白雪に生徒会室へ行く事を了承した。
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