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***  本当に、波折の考えていることはわからなかった。一緒にごはんを食べることを承諾してくれたものの、やっぱりその顔はぶすっとしていてとっつきにくい。女子生徒から離れたとたん、いつもの顔に戻ってしまった。わからないなあ、わからない。前よりもツンケンはしていないにしても、やっぱり壁はつくられているような気がする。一体彼は、自分とどんな関係になりたいのだろうと、沙良はぐるぐると考えていた。全く話したくないならもっときっぱりとはねのければいいのに、ちょいちょい笑顔をみせてきたりするものだからお近づきになりたくなってしまう。 「神藤君」 「あ、はい」 「さっきの、どういうこと?」 「え?」  屋上について、いつもの波折の定位置につくと、波折が訪ねてきた。風に吹かれて、髪がさらさらとなびいている。 「俺と仲いい理由。副会長だからじゃないって言ってたでしょ」 「……?」 「俺と神藤君の接点なんて、生徒会の役員ってことくらい。仲良くする理由、他にもあるの?」 「えっ、……えー……」  真剣な目でそんなことを言われて、沙良は困ってしまった。なんて答えればこのATフィールド全開生徒会長は納得するのか……と考えて、なんとか答えを絞り出す。 「えっと、その……お、お友達になりたい、から?」 「友達?」 「えっ! っと! ほら、学年違いますし、先輩後輩ですけどなんかもっとこう、普通に話して楽しいって思えるような関係になりたいっていうか、……あー、まあ、そもそも俺たちそんな仲良くないしむしろ嫌いあってるし、それ以前の問題だと思いますけど、ね、せっかく出逢ったんだしお友達に……」  そう、自分たちはまずお互いをよく思っていなくて、仲良くない。まわりから波折に恋をしているなんて言われたけれど、まずそれはありえない。こんなにもやもやと考えてばっかりでなにひとつ楽しくないのだから。  だから、突然友達なんて言われて波折は戸惑ったと思う。沙良も自分で言ってから、言葉の選択を誤ったの思ったのだ。  しかし、波折の反応は思っていたものとは違かった。てっきり「はあ?」と一蹴されるかと思ったのに……波折は、きゅ、と眉を寄せて今にも泣き出しそうな表情をみせたのだ。 「……友達とか……俺となってどうすんの」 「え?」 「俺と友達になったところで、神藤君にはなにもいいことないけど」 「……?」  なんでそんなに悲しそうな顔をしてそんなことを言うのか。沙良にはわからなかった。ただ、無性にいらっといた。いいことない、なんて勝手に決められたくない。沙良は波折の手を掴んで、じっとその顔を見つめ、言う。 「……波折先輩とごはん一緒に食べれるの嬉しいって思うの、これはいいことにはいらないんですか」 「……ああ、それ……だって俺は、みんなの理想の生徒会長でしょ、そういう風に俺が振舞っている……一緒に食べれたら優越感得られるだろうね」 「そういうこと言ってるんじゃないから! 俺は生徒会長とごはん食べたいんじゃなくて、波折先輩と食べたいの! あんたと一緒にいると……なんか苛々もするけど、……それ以上に、なんか……その、楽しいっていうか、嬉しいっていうか、……とにかく、俺は波折先輩と友達になってみたいって思ってるんです! 文句あるか、この馬鹿!」  自分でも自分の言っていることがよくわからないままに叫ぶ。なんだか色々と変なことを言ったような気はするが、すっきりした。わずか息を切らしじっと沙良がみつめれば、波折はさらに悲しそうな顔をした。そして、俯いて、小さくつぶやいたのである。 「……俺だって……本当は、友達になりたいよ」 どくん、と心臓が震えた。波折の表情に焦燥を覚えた。 「……じゃあどうして……あんなに人をはねのけるんですか? 人と接するのが苦手なんですか?」 「……いや」 「じゃあなんで……」 「それは……いえない。でも、俺は……友達をつくっちゃいけないんだ」 「……よくわからないけど、だから他人と壁をつくっているんですね。本当は友達が欲しいのに」  波折の事情は気になるところだが、これ以上言及したところできっと彼は教えてくれない。だから、自分にできることはこれしかない、そう思って沙良は一歩足を踏み出して、波折に訴えるように言う。 「……なら、無理やり壁を壊してもいいですか。先輩が拒絶しても……俺は、話しかけますよ、俺も先輩と友達になりたいって思っているから」 「……、神藤君、でも、俺は……」 「うるせえな! 先輩のためじゃない、俺のためですから。俺が! 先輩と仲良くなりたいの!」 「……」  波折は沙良から逃げるように後退する。そして、唇を噛んで目を逸らした。肩が、震えている。 「……ばか、じゃないの。俺と一緒にいたって……楽しくないよ。あんまり人と深い話をしたことがないから、話だって面白くない。趣味だってまわりの人とは少しずれている。そこまでして、俺と……」 「……先週借りた本、読み終わりましたよ。あとで先輩の感想教えてください。本を好きな人、俺のまわりには先輩しかいません。趣味なら合います。それに話が面白いのかどうかは知らないですけど、俺は先輩と一緒にいられれば、それで楽しいって感じています」 「……いみ、わかんない」 「先輩……それは、友達になりたい理由にはなりませんか」 「……ッ」  ぽろ、と波折の瞳から涙がおちた。あ、と思って沙良は手をのばす。なにをしようとしたのか、自分でもわからなかったけれど……きっと、その華奢な肩に触れて抱き寄せたかったのだと――手を払われてから気付く。 「……沙良、おまえ、本当にばかだね」  涙で瞳を濡らしながら、かすかに微笑んでそういわれて――ストン、となにかが心に落ちる音がした。  あ。  俺、この人のこと、好きだ。  そう思った。 「あの……えっと……はい、ばか、ですから……ごはん、食べましょう! 時間なくなりますよ」  恋。恋なんてみんな言っていたけれど、まさか今まで波折に抱いていたもやもやが恋だったなんて。気付いてしまった瞬間、沙良は動揺してしまって波折の目を見つめることができなくなってしまった。どか、と腰掛けると、波折にも隣に座るように促す。  波折が、おずおずと座った。目を手の甲で拭っている。ああ、ハンカチもってくるの忘れた、今日にかぎって。波折の挙動のひとつひとつに、心が反応してしまう。ゆっくりと、パンの封をきっているその仕草にも、遠慮がちにコロッケパンにかじりついたのも、その味に不思議そうな表情を浮かべたのも。ぜんぶ、沙良の心を捕らえてはなさない。 「あ……」 「えっ」  波折が顔をあげる。沙良はびくりとして勢い良く波折の方に首を回す。 「この曲……『展覧会の絵』」 「……ああ、管弦楽部の……」  波折が反応したのは、管弦楽部の昼の練習で演奏している曲だった。音楽室から音が溢れて、屋上まで聞こえてくる。管弦楽部は学園祭にあわせて定期演奏会も近づいているため、必死に練習しているときいたことがあった。 「……俺、『プロムナード』なら弾けますよ、ピアノで」 「……沙良、ピアノ弾けんの?」 「昔……ピアノの先生だった母親に教わっていたんです。今は独学というか……好きな曲をときどき家で弾くくらいですけど」  さら、という響きにまだ不慣れなのか照れが混じっている。そんなところに、またどきりと胸がさわぐ。 「……今度、ピアノきいてみたいかな。機会があればね」 「……じゃあ何か練習しておかないと」  今食べているパンの味がわからない。機械的にもそもそと顎をうごかして、飲み込む。 「……波折先輩、パン、美味しいですか」 「……自分のお弁当のほうが美味しい」 「……そりゃあ色とりどりおかずいっぱいのお弁当にはかないませんよ」 「でも、」  さ、と風が吹く。前髪がかかったのか、波折の瞳が少し細められる。長いまつげが、動く。 「いつもこれを沙良が食べているって考えると悪くはないかな」  その人のことしか、もう見えない。……恋って、厄介だ。

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