134 / 350
44(1)
***
「……」
自分の部屋の扉の前で緊張する日がくるとは思っていなかった。波折はドアチャイムをじっと見つめながら、深呼吸をする。合鍵なんてものは持っていないから、鍵は鑓水にあずけてある。こうしてチャイムを押して中から開けてもらうしか、入る方法はない。
ゆっくりと、チャイムを押すと、中からバタバタという音がしてすぐに扉が開いた。開いた扉から、鑓水が顔をのぞかせる。
「おかえりー、波折」
「……た、ただいま」
おかえり、って言葉にどきり。波折はおずおずと中に入って、扉を閉める。買ってきた肉まんの袋を鑓水に渡すと、嬉しそうに彼は笑った。鑓水はすぐに背を向けて奥までいってしまって、波折は「あれ?」なんて思う。何もしないんだ、と。そして、なんで自分はがっかりしているのだろう、と。
「あ、肉まんありがと」
「ううん」
部屋まで入っていって、波折はブレザーだけを脱いで鑓水の隣に腰をおろした。買ってきた肉まんは若干ぬるくなっていたが、まあ、美味しいと感じた。鑓水はぼんやりとしながら肉まんをしばらく食べていたが、やがて意を決したように呟く。
「……俺もうちょっと、大人になりたいな」
「……大人?」
「家にいるのが怖くて逃げてるとかさ、ガキっぽいじゃん。正面から、向き合えないんだ、あの家族に」
鑓水はあっさりと肉まんを完食してしまう。早いな、と波折は思ったが気付けば自分も3分の2は食べていた。無心で食べていたせいで、気付かなかった。鑓水の口からでてくる言葉一つ一つに緊張して、肉まんには全く意識が向いていなかったようだ。
「だからさ、強くなりたい」
「どういうこと?」
「えー……あんまり突っ込んで聞くなよ、青臭くて恥ずかしいから」
波折がもそもそと肉まんを食べていくのを鑓水はじっと見ている。居心地の悪さを感じながらも、波折は全て食べきった。なんでそんなに見つめてくるんだ、と波折がちらちらと横目で彼を伺えば、鑓水が軽く、手を重ねてきた。
「……おまえと一緒に、強くなりたい」
「えっ……」
「波折のことが好きだ。俺、波折のことが好き」
「……ッ」
あ、と頭の中が真っ白になった。かっと全身が熱くなってきて、眩暈がする。咄嗟に身を引いて逃げようとしたけれど、鑓水に手を強く掴まれたからそれは叶わない。じっと至近距離で見つめられて、心臓がバクバクと高なっていく。
「だ、だめだって……慧太、俺のことは好きになるなって、言っただろ……」
「……それ、前から思ってたけどどういうこと」
「だから……俺のことを好きになると、あとで哀しむことになる、苦しいことがきっとたくさん起こる……俺はきっと、慧太のことを裏切る……だから、」
「……詳しくは、言えない」
「……うん」
「……あっそ、でも俺そんなことどうでもいい」
「な、」
鑓水が波折を押し倒し、まっすぐに見下ろした。波折が目を逸そうとすれば、軽く頭を掴まれて、それを阻まれる。無理矢理に目を合わせられて、波折は涙目になっていた。
「いくらでも、俺を悲しませればいい、苦しませればいい。俺は何があっても、おまえのことを好きでい続ける」
「なっ……なんで、なんで俺のことなんかそんなに、……」
「しらねえよ、俺はおまえが好きなんだよ! いい加減俺の気持ちをちゃんと受け取ってくれよ、付き合ってくれなんて言わない、だから俺が波折を好きだってこと、わかってくれ」
「け、慧太……だめ、……だめ、だから……」
「……波折、」
「――んっ……!」
波折は必死に鑓水の言葉を否定する。鑓水はそれを許さないとでも言うように……波折の口を唇で塞いだ。
……頭がびりびりする。何も考えられなくなるくらいに、気持ちいい。自分がおかしくなってしまうのが怖くて、波折は鑓水を押しのけるように彼の胸をぐいぐいと押していたが、腕に力が入らずそれは全く功を奏さない。
ともだちにシェアしよう!