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「鑓水くん、」
動画に映っていた、波折を調教していた人物。それが目の前にいる男だとわかると、腸が煮えくり返りそうになった。叫んだ瞬間――鑓水の視界は反転する。そして、何が起こったのかわからないままにベッドにふっとばされた。真横に篠崎の焼死体があって、慌てて顔をそらす。
「先生に、その口の聞き方はだめじゃないかなあ」
「なにが、先生だよ! 生徒に手をだしやがって! しかも裁判官でJSの講師までしているくせに、魔女を手引するようなマネをして! どの口が先生だなんてほざきやがる!」
「あはは、威勢がよくて結構。でももう少し、自分の置かれている立場を理解しようか、鑓水くん。わかるよね、利口な君なら」
「……っ」
鑓水はぐ、と口を噤む。目の前にいるのは、篠崎を惨殺した男。同じようにされるということだって、充分に有り得るのだ。
「鑓水くん。幸福な君。波折に気に入られた君は、なんと選択肢が与えられている」
「……選択肢」
「死ぬか、俺達についてくるか、の選択肢だ」
「……は?」
淺羽が、ぐいっと波折を引き寄せて後ろから胸をまさぐりだす。波折は「あっ……」と喘ぎだして身体をくねらせた。
「鑓水くん。俺の論文、みただろう」
「……魔術の源について、の論文か」
「そうだ。人の使う魔術は人の心の内に潜む欲望によって、その性質は左右される。俺はね、それを証明したいんだ。この理論はまだまだ仮説にすぎないからね。人間の感情を刺激して魔術を使わせるっていう実験を繰り返している」
「……内に潜む欲望を引き出して、そしてそれがそいつの使う魔術に影響するのかどうか……そういうことをみているのか」
「そのとおり、物分かりがいいね!」
にこ、と淺羽が笑う。実験、なんて言ってもやっていることは魔女の増殖だ。犯罪行為をしているという自覚を持っているのかと疑いたくなるようなその笑顔に、鑓水は嫌悪感を覚える。
「……おまえの行動の結果、魔女が増える。それで、これから被害がでるかもしれない。今までの軽犯罪なんてもんじゃ済まない、死者がでるような犯罪を犯す魔女がでてくるかもしれない」
「そうだね。でも、それでも俺は魔術の真実を知りたいんだ。死者がでるかどうか、そんなことは関係ない。俺が知りたいのは、俺の仮説が正解かどうか、それだけ」
「ふざけんな、おまえの実験のためにこれから人が死ぬなんて――」
「一緒にこないなら、死ねばいいだけだよ。そこの肉塊のように。もっとも、ソレは俺達についてくることができるほどの素質もないくせに俺達のことを知ってしまった莫迦だから死んだだけだけど」
淺羽が懐から銃を取り出して、鑓水に向ける。
なんで? どうしてこんなことになった。誰が人殺しの仲間なんかになってたまるか。よっぽど首を横に振ろうかと思った。しかし――それを、波折が止める。
「――慧太。慧太……一緒にくるよね、慧太」
「……っ」
まさか、波折は――
「慧太は……俺とずっと、一緒にいてくれるよね」
――俺が波折の仲間になると確信していたから、この事実を気付かせようとしていたのか。
波折が少しずつヒントを与え、そしてこの殺人現場へいくことを止めなかったわけ。それに気付いた鑓水は、淺羽の誘いを断れなくなってしまった。
そうだ、沙良に波折は何もヒントを与えずこの事実を教えようとしなかった。それは、沙良は淺羽の誘いを拒絶するからだ。そして、沙良は淺羽に殺される羽目になるだろう。沙良のことも大切に思っている波折が、それを許すはずがない。
「そうだ、言い方を変えよう。波折は君が堕ちてくれるのを、信じている。そして波折は、君のことを大分好いている。きっと波折はおまえと添い遂げたいと願っているだろう。君が選ぶのは、波折ただ一人を愛し世界を敵に回すか、波折を裏切り世界の味方となりここで死ぬか、の二択だ」
俺は、波折を拒絶しない。波折はそれを信じていた。そしてここへ連れてきた。
「……敵に回すのは、世界だけ?」
「ああ、そうだね。ちなみに世界っていうのは……君の今まで持っていたもの全てが含まれるよ。たとえば友人、家族、居場所。それから倫理観。表向きには今までの自分を保っているかもしれないけれど、裏ではそれらを全て裏切ることになる」
「……小さなもんさ、波折と一緒にいられるなら」
淺羽の腕のなかで、波折の瞳が、見開かれる。
「友人、家族、居場所? そんなもん全部いらない。波折よりも大きなものなのか。倫理観? そんなもの今からだって変えてやるよ。人を殺すことが、波折のためになるんだろう。それならいいさ」
「……慧太」
「――いいよ、おまえらの仲間になってやる。堕ちてやるよ、悪党に。世界を敵に回しても、俺は波折を愛し続けると誓ってやる」
とん、と世界がひっくり返った。波折が、淺羽の腕から抜けだして抱きついてきたのだ。
「……慧太。慧太、慧太……」
「波折……」
波折がすんすんと泣いて、縋り付いてくる。鑓水の言葉が、ほんとうに嬉しかったのだろう。あんまりにも愛らしくて、鑓水はぎゅっとその細い身体を抱きしめた。
「波折は……本当に完璧な人間だからね。どんな人間の心も惹き寄せる、魔性の子。俺の最高傑作。波折を欲しいと思った人間は、その欲望をむき出しにするだろう。欲望をむき出しにした人間は、その本質を顕にするだろう。そして俺の仮説の証人になる。鑓水くん、君もそんな、波折に惹き寄せられ証人となった人物の、一人。波折のことを批判せずに全てを受け入れることを選んだ、防御魔術に特化した子」
死体の転がる、血に汚れたシーツの上。そこで二人は、キスをしていた。まるでただ、純粋に愛しあう恋人同士のように。
狂気なんてそこにはなくて。ただ二人は、二人だけの世界へ堕ちた歓びをかみしめている、それだけだった。
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