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「騙した……!? おまえのことを笑ってた!? おまえ本気で言ってんのか! 波折はおまえのこと、好きだったぞ、ちゃんと想ってた!」
「どこに、その根拠が」
「みただろ! こいつが! 淺羽が波折のこと奴隷みたいにして逆らえなくしてんだよ! 昔から、波折のことを支配して、波折を魔女に仕立て上げた! それでも波折はその中でおまえのことを想ってた、自分が魔女であるっていう事実と葛藤しながらな!」
「は……?」
沙良は鑓水の言葉によろよろと顔をあげ、淺羽を見つめる。波折の「ご主人様」。そういえば以前波折は「ご主人様」に感情を奪われたといったことを言っていた。幼い頃からずっと奴隷のように扱われて、いつの間にか魔女にされていて……それで、高校生になった。
騙していたわけではない……? 初めの頃やたらと好意を拒絶していたのは、こうなることを恐れたからだったのか。魔女である自分が普通の人間である人と関わらないために、ああしていたのか。それでも、波折は……
「……波折先輩……聞いていい?」
「うん……」
「……俺のこと、どう思ってた?」
波折は沙良問いに、顔を歪ませる。かたかたと震えて、口に手を当てながら泣いて、そして申し訳なさそうに、絞り出すように言った。
「……すきだった」
時が止まったような錯覚を覚える。崩れ落ちるように体を丸めて、沙良の視線から逃げるようにしてつぶやかれたその言葉は、あんまりにも沙良には哀しく聞こえた。彼があんなに苦しそうに「すき」と言ったのは、沙良が魔女を激しく否定しているからだ。波折のことを糾弾したからだ。そして、淺羽に見つめられていたから。それでもその言葉を言ってくれた波折に、沙良の胸に後悔が水のように流れこむ。掻き毟られるほどに胸が痛む。なんて酷いことを、彼に言ってしまったんだろう、と。
「――そういうわけだよ、神藤くん」
「……ッ!」
立ちすくむ沙良に、淺羽が笑いかける。そして、泣き咽ぶ波折の頭を掴みあげた。
「俺はこの子をずーっと昔から調教していた。人間としてなんて扱ってないさ。どう、俺のこと、憎いでしょ」
「……波折先輩は……自分がやっていること、どう思って、」
「無駄に優しいからね。波折は人を殺すことは悪いことだってちゃんと認識している。悲しいって思っているさ。でも、俺がやれと言えば波折は人を殺す。悪辣な魔女だよ」
波折は人を殺したくもないのに、殺している。それを悟ると、沙良の胸は怒りにあふれる。
「ね、そういうわけだからさ、ちゃんと波折のこと救ってあげなよ。ほら、目の前に全ての元凶がいるから。やることはわかるだろう」
自分の胸を親指でとんとんと叩く淺羽の言いたいことはわかる。魔術を使ってみろと言っているのだ。
「……ッ」
人の人生を狂わせて愉しむ本物の悪人。波折を支配し苦しめている男。こいつを殺す、魔術をつかえば殺せる――
「まて、神藤……!」
心の中にぐちゃりと衝動が湧いたとき、鑓水が叫ぶ。ビクリと沙良が振り返れば、鑓水が真っ直ぐに波折を指さし、言う。
「殺すのは淺羽じゃない、波折のほうだ。あいつは、おまえに殺されることを願っているんだ、あいつを止められるのはおまえだけだ!」
「……え、」
「さっきも言っただろ! もうあいつはこのまま魔女として生きるしかない、でもそれをあいつは望まない! 殺してやれ、お前の手で!」
「う、」
憎しみのままに淺羽を殺すか、波折を救うために波折を殺すか。どちらにせよ、魔術をつかえばJSは退学、そして魔女になってしまう。鑓水が選んだのは自分が魔女に堕ちて波折と共に生きること。でも、沙良はそれは無理だとその選択肢はすぐに切り捨てた。魔女として波折を支えるということは、波折を茨道に進んでいくのと後押しするということだ。一緒に進んでいくことは彼の苦痛を緩和を可能とするかもしれないが、根本的に苦痛から解放することにはならない。むしろ最終的には更なる苦痛を与えることになるだろう。鑓水はどうしても自らの手で波折を殺すことが出来ずに、一緒に生きることを選んだ。それは彼の強さであり、弱さだった。
沙良が選べるのは、ここで魔術を使うことだけ。もし使わないでいれば――おそらく、淺羽に殺される。
「沙良……だめ……」
悩んで、悩んで、どうしようもなくなっているとき。波折の震える叫びが耳に入ってきた。波折は淺羽に髪の毛を掴まれながら、必死に叫んでいる。
「沙良は魔女になるな……ここで堕ちるな、魔術は絶対に使うな!」
また、淺羽の命令に反することを。そして、ほんとうは魔女として生きていくという運命から逃げたくて死にたいと思っているのに、波折は沙良に魔術を使うなと言った。なぜか。考えればすぐにわかることだ。
波折が、沙良のことを想っているからだ。沙良が魔術を使って未来を絶たれることを拒んでいるのだ。
「でも……波折先輩……」
しかし波折のことは救いたい。
波折を救うか未来を断つか――
「え――」
ぐるぐると、いろんな想いが頭の中を巡って目の前が真っ暗になって。そうしていると、ぱし、と小さな音が聞こえてきた。そして続いて聞こえてきたのが、周りの魔女たちが動揺する声。何があったのか――沙良が意識を覚醒したときにみたのは、驚くべき光景だった。
「波折、」
「……ッ」
波折が淺羽の手を払って、立ち上がったのだ。そして、慌てて波折をつかもうとした淺羽の手を振りきって、沙良のもとへ走ってくる。そのまま驚くままに固まっている沙良の腕をつかみ、魔女たちの間をくぐり抜けてその場から逃げ出した。
「波折が俺に直接逆らった……!?」
淺羽は虚を突かれたのか即座に反応できず、あっさりと波折と沙良を取り逃がしてしまう。あのように手を振り払われたことが、あまりにも淺羽にとっては衝撃だったようだ。
「ひゅー、誤算だったなあ、「ご主人様」」
うろたえる淺羽に、鑓水が笑い声混じりの声をかける。
「俺から……離れるつもりか、波折……」
「……!」
ぼそりとつぶやいた浅羽に、鑓水の揶揄は届いていないようだ。呆然としたその様子に、鑓水は首を傾げる。鑓水は訝しげに淺羽の表情を眺め、ぎょ、とした。
淺羽のの顔は、絶望と悲しみをたたえたゾワリとする、そんな表情を浮かべていた。血の気が引き青く染まり、今にも死にそうなほど。波折が離れていくことがそんなにショックだったのかと鑓水は少しばかり驚いてしまう。道具だなんだと言いながら、こういう状況に置かれてようやく自分の心を理解したらしい。淺羽も波折のことを本当に愛していたのだ。愚かだな、と思いながらも鑓水はそれは口にしなかった。自分も波折への気持ちに気付くのが遅れた一人。人間離れした思考を持ってしまったせいで人間らしい感情を忘れかけていた……そんなところで妙に共通点を持ってしまったようだ。鑓水はため息をつきながら、ふらふらと波折を追い始める浅羽の背中を追う。
「ったく、波折は……」
関わった人を無意識にどこまでも自分のもとへ引きずり込んでしまう。なかなかに波折も恐ろしい奴だ。自分もも淺羽も、そして沙良も結局は同類なのかと思って、鑓水は苦笑いをしてしまった。
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