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「どれほどの長い時間おまえを愛したと思っているんだ! 裏切るのか、俺を……波折!」 「沙良のことさえ見逃してくれれば俺はもう、貴方のもとから離れない! 裏切ったりはしない! だから……」 「そいつをここから逃すんだろう、そしてそいつに殺してもらいたいんだろう、それは裏切りじゃないのか! 俺は波折に死んでいいなんて言っていないぞ!」 「……っ」  淺羽の言っていることは、たぶん間違ってはいなかった。波折の死んで罰を受けたいという願いは、言い換えれば淺羽のもとから離れたいという願い。裏切りといえば裏切りだろう。  波折は淺羽のことを慕っているし、嫌ってなどいない。ただ、やっていることがどうしても受け入れられない。それだけだから、ああして裏切り者と罵られると罪悪感がこみあげてくる。 「――そいつのことは殺す。そして、波折、おまえは俺のことだけを想って生きていろ!」  淺羽の殺意を感じて、波折は慌てて沙良の前に踊りでた。  大切な研究対象だったはずの沙良を殺そうとしている淺羽は、どう考えても正気じゃない。ただ知的好奇心を狂わせた男だった淺羽が、愛を叫んでいる。淺羽に自分は道具としてしか思われていない、そう思っていた波折は激しく動揺したが、ここで心を揺らがせてはいけない。  沙良を守りぬかねばいけない。  淺羽の放ってきた魔術は真っ直ぐに二人のもとへ向かう。波折は心を落ち着かせ、バリアを張る。こちらからは攻撃ができない。この状況をどうやって潜り抜けるか、解決策は浮かばないが、とにかく沙良を傷つけてはいけないと、まもりの体勢にはいった。 「……!?」  バリアに魔術を受けて、波折は違和感を覚える。バリアに走る激しいノイズと、襲い来る疲労感。普段バリアを使うときには起きない現象だ。これが何か、というのはすぐにわかった。バリアの強度よりも淺羽の放った魔術の方が威力が上ということ。このまま攻撃を受け続けていてはいずれ体力が切れてバリアが壊れてしまう。 「なんで……」  ただ、正直なところ魔術で淺羽にここまで差をつけられるとは思っていなかった波折は、この現象に疑問を覚えた。自惚れというわけではなく、数値的にみて淺羽よりも自分の魔術は上だったから、である。じゃあどうして今は魔術で負けているのか――考えて、その答えに波折は気付く。冬廣波折という人間が、淺羽という存在に依存しきった人間だからだ。魔術は人間性によって特質を左右される。だから、淺羽の「完璧な人間であれ」という命令を遂行するために魔術の点数が満点だった波折は、淺羽に逆らった行為をしている今、魔術の威力が落ちているのである。  早くどうやって沙良をここから逃すか、その策を決めなければバリアが破られる。淺羽の戦意を喪失させるか、それか駅を覆う膜を破るかその二択しか策はない。どうやって……波折が必死に考えていると、バリアに生じるノイズが段々と酷くなっていく。頭がぼーっとするくらいに体力がガリガリと削られていって、もう、バリアが切れてしまう、そう波折が感じたとき。 「波折、下がれ!」  ぱっと波折の前に鑓水が現れて波折の前にバリアを張る。現れたバリアにはノイズは走っていない。淺羽に逆らうことで効果の落ちてしまった波折のバリアよりも、もともと防御の魔術を得意とする人間性を持つ鑓水の方が今は上位のようだった。 「えっ……慧太」 「波折は淺羽の魔力隠蔽術をコピーしろ! そして神藤、おまえがそれを使って淺羽を討て」  鑓水の言葉に、二人はぎょっとした。たしかに攻撃をするにはそれしか方法がないが……波折は今までその魔術を使ったこともないし、やり方を知らない。そして沙良も実践で攻撃魔術を使ったことがないため、突然魔術を放てと言われても戸惑ってしまう。 「……鑓水先輩、俺」 「今の淺羽はまともじゃない。話が通じるような相手じゃない。力ずくでここから逃げろ! 大丈夫だ、殺せって言ってんじゃねえ、戦闘不能まで追い詰めればいい」 「……戦闘不能」 「体力を限界まで削ってやるんだ。相手よりも魔術の威力が上回れば相手の体力を消耗させられる。ずっと魔術をぶつけてやれば淺羽もそのうち魔術を使えなくなるだろ」 「まってください、その作戦は俺の魔術が淺羽せ、先生よりも上ってことが前提の作戦じゃないですか! 無理ですよ、あの人は一等裁判官でしょう!」 「はあ? 無理? 波折を救うんだろ、あいつに手こずっているようじゃあそれは叶わない」 「……!」 ――たしかに、そうだ。沙良は鑓水の言葉に納得する。これから自分が裁判官になって、波折を魔女として裁くとき、淺羽は必ず自分の前に立ちはだかるだろう。だからここで怖気づいていてはいけない。

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