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「……ご主人様」
「波折……俺のところから、離れるのか、波折……」
「いいえ。言ったじゃないですか、俺はご主人様のそばにいます。死ぬときまで」
「――おまえは……! おまえは……ずっと……ずっと一緒にいて欲しかったのに……なんであいつを生かした、神藤は、あいつは俺達を殺すぞ、あいつがいたらずっと一緒にいられない……」
崩れ落ちるように、淺羽が波折にすがりつく。波折は切なげに目を細めて、淺羽を軽く抱きしめ頭を撫でてやった。
「……ごめんなさい、俺、人間だったみたいです」
「……」
「貴方の道具で、そしてちゃんとした感情ももっていない化け物だって自分で思っていたけど……俺、人間でした」
波折の声は、しんとした空間によく響いた。二人を囲む者たちは、呆然と波折の言葉を聞いている。
「何気ない幸せを希って、きらきらとした日々に焦がれて、……そんななかで自分を嫌悪して。ご主人様のことは、好きです。でも貴方の命令に従う俺のことは、俺は嫌い。救われたいって、願ってしまいました。自分を嫌悪する人生から、救われたい」
こつ、と波折が淺羽の頭に額をぶつけた。淺羽ははっと顔をあげて、波折を見つめる。息のかかる距離で見つめる波折の瞳は、手の届きそうな空を思わせるほどにきれいだった。
「ご主人様。はじめてで、さいごのわがままです。俺に希望をください。幸せになれる、希望をください。俺は俺に罰を与えてくれる人が欲しい」
「……ッ」
淺羽がゆらりと体を起こし、沙良を眺める。ぱちりと目が合って、沙良はぎくりと体を強ばらせた。
「……神藤くん。俺は君を高く評価しよう。君みたいな人間、そうそういないよ」
「……」
「いくら愛している人が殺して欲しいと言ったからといって、それに頷ける人間はなかなかいない。君の持っている波折への愛は、甘いようで、ずいぶんと歪んでいる」
淺羽の瞳は、淀んでいる。波折の心を自分のもとから奪った沙良を、嫌悪しているのかもしれない。しかしそれ以上に、称賛に満ちている。侮蔑のように聞こえる淺羽の言葉は、彼が言ったなら褒め言葉となる。沙良は彼の求めてやまなかった、普通から逸脱した人間だった。
全てを知っているというわけではない沙良に、その真意はわからない。しかし、「歪んでいる」とはっきりと言われても不快にはならなかった。沙良は淺羽をじっと見据えて、言い放つ。
「あんたも、鑓水先輩も俺と変わらない。波折先輩への想いは歪んでいるけれど、波折先輩のことを愛している。それで、自分が正しいと思っているからお互いの考えを理解はできないけれど」
沙良の視線が、波折に移動する。
「俺は波折先輩をあんたの支配から、波折先輩自身の過去から救うことが波折先輩を一番幸せにできるって思うから、波折先輩のことを裁きます。それが俺の精一杯の波折先輩への愛です」
波折の瞳が、揺らぐ。わずか変わった表情に、淺羽は歯を噛み締めた。沙良の言葉を心の底から嬉しいと感じている、波折の顔。それを悟って、淺羽は思ったのだった。これが、本当に波折が求めていた幸せだったのか、と。奴隷として支配されることや魔女として人殺しなんてしない、平凡を本当は波折は求めていた。だから現状から逃げたいと願っていた。
「……は、」
淺羽の口から吐息が漏れる。そして、小さく震え、笑い出した。
「……は、はは……いいだろう、神藤くん。見逃すことにするよ」
「……!」
「でも俺だってそう簡単に波折のことを手放すつもりはない。精々がんばることだ、俺達を魔女として検挙するのは容易いことではない。君がどれほどの裁判官になるのか、楽しみにしているよ」
淺羽が立ち上がる。そして、沙良に背を向けた。
「……ご主人様、」
「……まだ、離さないよ、波折。神藤くんが君のもとへ、来るまで」
じり、と空間にノイズが走る。沙良も何度か見たことのある、空間転移の魔術だ。淺羽はそれを使って、自らの姿と、仲間の魔女を消してしまった。
「!」
淺羽が消えた瞬間、遠くから人の声が聞こえてきた。駅の出入口のほうだ。おそらく、駅を覆っていた膜が淺羽が消えたことで解けて、外で中に入ろうとしていた裁判官たちが入って来たのだろう。
「……ふたりとも、これから淺羽の仲間として生きていくんですか」
ばたばたと足音が近くなってくる。もうこのテロは解決に向かっていくのだろう。大きな事件になったから、きっとまた世間には魔女の恐ろしさが広がっていくに違いない。だんだんと世界が変わっていく、そんな気がする。
「……ああ、俺は淺羽の仲間になるんじゃなくて波折のそばにいるだけだけど」
「俺はもう悪事でずいぶんと手を汚しちゃったからね。いまさら真人間には戻れない」
現れた裁判官たちは、周囲に転がる死体に驚いたような声をあげている。そして、生きている三人を見つけて急いで駆け寄ってきた。
「……はっきりと魔女になるって言っている人と、あんまり親しくはできませんね。俺自信のけじめというか。でも正直鑓水先輩が羨ましいです。波折先輩と、これからもラブラブ」
「おまえすげえやつだな。俺は無理だわ。自分の正義と好きな人と一緒にいたいって欲求天秤にかけて、前者が勝つんだ」
「……この正義がなければ俺は俺じゃないし波折先輩のことは救えない」
君たち大丈夫か、そんな声をかけられる。
「これから、俺と、お二人は敵ですね。でも俺、」
怪我の確認などをさせられながらも、周囲の声は三人にあまり聞こえていなかった。
「――波折先輩のことも、鑓水先輩のことも大好きです」
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